1604話 地下の楽園
女がテミス達を連れて向かった先は、屋敷の地下に当たる区画だった。
その道中は、入口へと至るまでの道程こそ掃除が為されているものの、その他の場所は分厚い埃で覆われており、壁に設置された照明も辛うじて足元が見える程度にしか灯されてはいない。
尤も、壁に設えられた照明は全て、蝋燭や松明を灯す燭台の形こそしているものの、先端には魔石がはめ込まれた魔道具となっていて、館の惨状と随所に配された魔道具とのギャップに、テミスは内心で舌を巻いていた。
「クス……薄暗くて悪いね。これだけ広いと光源用の魔石を替えるだけでも億劫でね。それに、最近は魔石自体も簡単には手に入らなくなってしまったから節約をしているんだ」
「いや……構わない。作業が面倒だというその気持ちはわからんでもないからな」
「これはありがたい。いやぁ、近頃はこの億劫さを理解してくれる者も少なくてね。そんな暇があるのならば、ワタシはもっと別の事に時間を使いたいというのに……。さ……こっちだ。大したもてなしもできないが入ってくれ」
地下階へと到達すると、女は色々と雑多な物が置かれた石造りの部屋を横切り、部屋の傍らにひっそりと佇んでいた扉を開けながらテミス達と言葉を交わす。
同時に、女は自らの生活区域らしき部屋へと先んじて入り、半開きの扉から手首だけを出して手招きをしてみせる。
「失礼する……ウッ……!?」
「ッ……!」
女の招きに従い、テミスとシズクが扉を潜ると、屋敷や地下室の様子から想像していた光景とはまるで異なった、予想外の部屋が広がっていた。
金箔のような物があしらわれた、見るからに高級そうな壁は汚れ一つ無い清潔さを保っており、年季の入った重厚な高級感を漂わせる家具たちが、綺麗に整った配置で鎮座している。
そして何より。
床の上に敷かれた毛足の長い絨毯の上には、本や紙の類どころか小さな埃すら落ちておらず、この部屋だけは完璧に掃除や整備が行き届いている。
「フハッ……!! ハハハッ……!! いや失礼。近頃は私室に誰かを招く事なんか滅多に無かったから、その反応が新鮮でね。不思議かい? 館の手入れを怠っているワタシが、この部屋だけ手入れを欠かしていない事が」
「ッ……!! いや……驚くのは失礼だったな。すまない」
「私も……申し訳ありませんでした」
「ククククッ……!! 構わないよ。寧ろそう言った反応を愉しんでいるフシがあるからね、ワタシは。作業部屋はどうしても素材やら資料やらで荷物が多くなってしまうからね。普段使う居室くらいは快適に保ちたいものさ。二人共、紅茶で構わないかな?」
テミス達が揃って頭を下げて謝意を示すと、女は愉快そうにカラカラと笑い声をあげた後、余程面白かったのか喉を鳴らしながら部屋の奥へと足を向けた。
そこには、部屋から隠れるかのようにスペースがあるらしく、女の口ぶりからするとそこはキッチンとなっているようだ。
「あぁ、構わない。ありがとう」
「ご馳走になります!」
「ん……では、そこのソファーにでも座って待っていてくれたまえよ」
古い屋敷の造りにしては、とても変わった間取りをしているな……? と。
そもそも、地下に位置するこの部屋にキッチンが存在していること自体が異様なのだが、これまで屋敷の随所に配された魔道具から鑑みるに、火や水、そして換気といった設備自体も、魔道具が使われているのだろう。
尤も、火を起こす魔道具や水を出す魔道具は兎も角、閉ざされた空間の換気を行う魔道具など、それ自体で屋敷が数件建てられる程の価値があるだろうが。
「ふふ……。聞いていたよりも随分と表情が豊かだねぇ。それに洞察力も申し分ない。ワタシとしては嬉しい限りだ」
「っ……!?」
「たぶん、想像している通りだよ。あの先には水回りがあってね。勿論、魔道具があってこそできる芸当なワケだが……。火水は当然、お湯も使う事ができるし、換気や温度管理も完璧さ。換気については、空間跳躍魔法を応用したのだけれど……っと、失礼。君の慧眼に釣られてついつい語りたくなってしまった」
女の言葉の通り、ソファーへと腰を落ち着けたテミスが部屋の中をきょろきょろと見渡しながら、随所に施されているであろう工夫に驚いていた。
すると、数分と経たないうちに大きな丸いお盆のような鉄板の上に、温かな湯気を立ち昇らせる紅茶と茶菓子を乗せ女が、楽し気に喋りながらテミス達の元へと戻ってくると、はにかみながら言葉を切ってテミス達へカップを差し出した。
「スス……。ふぅ……。さて……とだ。ギル坊から大方の話は聞いているよ。キミが死の淵から見事戻って来て見せた奇跡の人間ちゃんだろう? うんうん……やはり興味深い」
「ッ……!!!」
待てよ? 待ってくれ。今この女、サラっととんでもない事を口走らなかったか……?
そうテミスが、女の言葉の端々から感じられる、途方もない実力に絶句しながら差し出されたカップを素直に受け取ると、女はそのままテミスの顔を覗き込むように顔を寄せて、不敵な笑みを浮かべてみせたのだった。




