1603話 探し人との邂逅
カチィィィィン……ッッ!! と。
シズクの忠告通り、恐る恐ると言った様子でテミスがドアノッカーを叩くと、奏でられた音こそ蚊の鳴く声のように小さかったものの、澄んだ音は不自然に広がっていき、巨大な館全体に響き渡った。
「ッ……!?」
「なっ……!?」
恐らくはドアノッカー自体が魔道具だったのだろう。
テミス達はそう察しこそしたものの、半ば反射的に掌を己が武器へと翻して身構えた。
だが、沈黙の中を風が吹き渡る中、テミスの奏でた音に応ずる者は居らず、数秒の時を経て尚、この館に住んでいるという人物も姿を現す事は無かった。
「…………」
ひとまず、自分達を害する者が現れたり、防衛機構の類が起動した訳でも無いらしい。
そう判断すると、テミスは静かに剣の柄を手放し、シズクもそれに倣う。
しかし。だからといって事態が好転した訳では無く。むしろ追っ手を撒いてここまで辿り着いたテミス達にとって、向かうべき場所を失って立ち尽くしている現状は、殆ど最悪に近いと言っても過言では無かった。
「フゥム……」
「お留守……なのでしょうか……」
「どうだろうな? 兎も角、宿に戻る事も町をうろつく事も出来ない以上、ここで待つしかあるまい。幸い、庭の草は丈が高いから身を隠す場所に苦労はしなさそうだ」
「……ですね」
小さくため息を零しながらテミスがそう呟きながらその場に腰を下ろすと、シズクはそれにコクリと頷いて静かにしゃがみ込む。
家主からしてみれば、自らの家の前でたむろされたり待ち伏せをされるのは酷く不快な事は想像に難くは無いが、双月商会の監視連中を引き連れての再訪問に比べればマシだろう。
ともあれ、しばらく退屈な時間が続くな……。と。
ボロボロの館の上に広がる青い空に目を向けたテミスが、胸の内でそう呟きを漏らした時だった。
「……オイオイ。久々にマトモな訪問客が来たと思ったらコイツはどういう事だい?」
ガチャリ。と。
突然屋敷の扉が開くと、テミス達の後ろから不機嫌そうな女の声が響く。
「ウチの戸を叩いておいて、玄関口で座り込みたぁ良い度胸だ。ワタシに嫌がらせをする分にはある程度目を瞑ってやるが、客人に無体を働く気なら容赦はしないぞ?」
「ッ……!!! す、すみませんッ!! その……お留守なのかと思いまして!! こちらで待たせていただこうかと!!」
「非礼は詫びる。だが、こちらにも事情があってな。まずは我々は貴女の敵ではない事から理解して欲しい」
その声に驚いたシズクは、ビクリと肩を竦ませながら跳び上がるようにして立ち上がると、深々と頭を下げて弁明を口にした。
一方でテミスは、ゆっくりとした動きで立ち上がり、館の者らしき女に静かな瞳を向けながら口を開いた。
「フゥン……? ま、良いさね。出てくるのが遅くなったアタシも悪い。立ち話も何だしさっさと入りな」
「あ……ありがとうございます。お邪魔します」
「感謝する」
身体を避けてテミス達を館の中へと招いた女に短く礼を言うと、テミスは館の中へと足を踏み入れながらじっくりと女を観察した。
一見したところ、年の頃は二十そこそこといった所だろうか。
しかし、長い耳から察するに彼女の種族はエルフなのだろう。人間に比べて遥かに長寿な者たちが多い魔族の中でも、エルフは特別寿命が長いらしいうえに、外見も二十代前半から大きく変化しない為、外見で年齢を判別するのが困難らしい。
つまるところ、外見を観察したところで、彼女が学者風の片眼鏡をかけ、くたびれたローブを纏った女性であること以上の情報を得る事はできなかった。
「ふふ……もう満足したのかい? ワタシは別に構わないけれど、初対面の人間をそうまじまじと観察するのは止した方が良い。あまり良い印象を与えないからね」
「…………」
「っ……!!」
重たい音と共に扉が閉ざされると同時に、扉はガチャガチャと金属が擦れる音を響かせながら鍵を閉ざす。
だが、振り返った女は扉に触れてすらおらず、静かな笑みを浮かべながらテミスへと語り掛けている。
自動で鍵を閉める魔道具など聞いたことは無く、叱責めいた女の言葉に沈黙を返すテミスの隣で、シズクは驚きに目を見開いていた。
「そう警戒しなさんな。まずはお茶でも淹れるとしよう。ワタシの後に付いて来てくれ。なにせこの館にはワタシ一人で住んでいるからね、普段使わない所は掃除もしていないんだよ。時間がもったいなくってね。さ……こっちだ」
女は言うが早いか、クックッ……と喉を鳴らして笑いながら告げると、テミス達の傍らを足早にすり抜け、先頭に立って薄暗い館の中を歩き始める。
テミスとシズクは互いに視線を合わせた後、言葉を発する事無く女の後について館の奥へと向かったのだった。




