1595話 策謀の末路
人の域を超えた剣戟の傍ら。
キラリと輝いた一筋の光が、淀んだ空気を裂いて疾駆する。
駆ける音は微か。奏でるのは柔板に物を置いたが如き軽い音のみで。
しかし、僅かな気配のみを残して走るその影はしなやかな動きでカウンターを飛び越えると、セレナへと忍び寄る影へ狙いを定める。
そして。
「ヒィッ!? な……ぁ……うわぁッ!!?」
「…………」
――ッタン! と。
突き出された白刃が僅かな音と共にギルドの壁を穿つと、セレナへと忍び寄っていた男は悲鳴をあげ、尻もちをついてそのままズリズリと数歩後ずさった。
傍から見れば、大の男が怯え竦んでいる酷く滑稽な姿。
だが、それも無理はない話だろう。
刺突がギルドの壁を穿ったシズクの鋭い刺突は、男のまさに鼻先を掠めて行ったのだから。
「っ……!! あの馬鹿ッ……!! 何やってんだッ……!!」
男が挙げた悲鳴で、男たちは仲間の独断専行にようやく気が付いたらしく、今も激しい剣戟を繰り広げるテミス達からシズク達へと目を向ける。
だが、シズクの眼前で震えあがる男自身が歩んだその距離は、もはや彼等が割って入る事を許すほど短いものではなかった。
「そちらがその気なら、仕方がありません」
「ッ~~!!! ま、ま、待てッ!!! わかった! 止せ! 降参だ!」
シズクはテミスと同じ紅い瞳で足元の男を睨み付けると、壁に突き立てた刀を抜いてゆらりと構え直す。
テミスとルードの殺気に中てられ続けたシズクの殺気は既に研ぎ澄まされていて、真っ向から受けた男はそれだけで戦意を喪失し、携えていた一対の短剣を傍らへと投げ出した。
だが。
「自分の目論見が失敗したから降参ですか? セレナさんを狙って何を企んでいたのかは知りませんが……謀を巡らせておいて無傷で済んでは間尺に合わない。……あの方ならきっとそう言います」
「待て!! 無抵抗の奴に斬りかかるってのかッ!!」
「そ……そうだぜ!! 降参! 俺は降参してんだッ!! だから――」
異変に気付いた男たちが駆け出しながら浴びせる罵声も、それに乗じて命乞いを始める足元の男も置き去りにして、微かな風切り音だけを残してシズクの刃が振るわれる。
まるで中空に線を描いたが如き一閃は、降参の意思表示とばかりに挙げられた男の両腕を通過していた。
「――確かに、無抵抗の相手を斬るのは忍びないですが、卑劣な悪党を斬る事を躊躇う理由はありません」
直後。
振り切った刀でヒャウンと空中を薙いだシズクは、足元で自らの腕がゆっくりと離れ落ちていく様を呆然と眺めている男に淡々と告げると、怒声と共に駆けよってくる男たちに応ずるべくカウンターの上へと飛び乗った。
そして、僅かな空白の後。
「っ~~~~~ぎぃぃぃっぃやあああああぁぁぁぁぁぁァァァァァッッッ!!! あああああッ!! 腕ッ……!! うでぇ……!! 俺の……うでがぁァァァァァァッッ……!!」
噴きあがる血潮と共に両腕を断たれた男の絶叫が、ホール中に響き渡る。
その途端に、仲間を救わんと駆け寄っていた男たちの顔色が青ざめ、それをみるみるうちに怒気が塗り替えていく。
「テ……テメェ……!! 俺たちの仲間をよくもやってくれたなッ……!!」
「アイツは降参してただろうが! この卑怯者ッ!! 獣人族の面汚しがッ!!」
「ふざけんな!! 降参してもぜってぇに許さねぇ!! 殺してやるッ!!」
背後から響く苦悶の絶叫を浴びながら、シズクは正面から喧々囂々と響く罵声に身を晒すと、何一つ言葉を返す事無くただ静かに刀を構えた。
事ここに至っては、話し合いで解決するなど不可能。決着は刀を以てつける。
そう判断したが故に、シズクは油断する事無く次の戦いへ挑むべく、眼前で猛る男たちを睨み付けたのだが……。
「あ~……すまない。悪いんだが、おっぱじめる前に俺だけ通しちゃくれねぇか。戦う意思はねぇ。この通り、武器はここに置いていく。アンタ、アイツの腕を両方とも斬っちまった。血を止めてやらねぇと死んじまう。アンタも、アイツが死んじまったら困るだろ?」
いきり立つ男たちの間から一人、飄々とした態度の男が歩み出ると、腰に提げた剣を剣帯ごとその場に棄て、シズクへと視線を向けながら朗々と告げる。
確かに、今も尚後ろでのた打ち回る男の腕からは夥しい量の血がまき散らされており、このまま何も処置を施さなければ、数分と経たず命が尽きるのは明白だった。
尤も、両腕を断たれたとて、血を止める方法が無い訳では無いのだが。どうやらこの男にはその知識は無いらしい。
「……わかりました。ただ、妙な動きを見せたら即座に斬りますのでそのおつもりで」
「しねぇよそんな事。ありがとうな」
前方の男たちから目を離さぬまま、シズクが低い声で答えを返すと、進み出た男は笑顔を浮かべて一言シズクに礼を告げると、カウウンターを飛び越えて腕を切られた男の元へと向かった。
「後は全員。敵という事で構わないんですね?」
「囲めッ!! 囲んでブッ殺せッ!!」
「では……」
瞳に煌々と闘志を宿したシズクの凛とした問いに、男たちは罵声を以て応えを返す。
そんな男たちとの戦いに赴くべく、シズクは静かに構えた刀に力を込めたのだった。




