1590話 繁栄の裏側
テミスは言葉を切ると、まるで凍り付いてしまったかのように動きを止めてしまった受付嬢らしき女性へ柔らかな微笑みを向けた。
冒険者ギルドが異様に寂れている訳も、彼女の過剰ともいえる防衛反応を見れば容易に察しは付く。
町に軒を連ねる店々を傘下へ納める事で流通を掌握した双月商会の次なる狙いこそ、素材などを適性な価格で各店舗へと卸す役割も持つこの冒険者ギルドなのだろう。
無論。この場合の適正価格を維持する機能とは何も、不当に吊り上げられた高値を安くするためだけに働くものではない。
大発生などで供給過多に陥った素材の急激な値崩れや、不正に値を下げての買い叩きを防ぎ、経済的な弱者を保護する役割もある。
流通を支配した今、双月商会は適正価格を維持する冒険者ギルドが邪魔になり、乗っ取りか排除かを企てている……といったところだろう。
「あ……あの……えぇと……」
「安心しろ。確かに私たちは今日この町へ着いたばかりの流れ者だが、冒険者ギルドの敵ではない。っと……そういえば名乗りそびれていたな。そら……」
「ッ……!!?」
受付嬢らしき女性を刺激しないように、テミスは極力優しい声色で、ゆっくりと話しかけるのを心掛けながら言葉を続けると、自らの胸元から首飾りのように提げていた青色のプレートを差し出した。
そこには当然、他でもないテミス自身の名が刻まれていて。
身分を伏せている現状を鑑みるのならば、この場で名を明かすべきではないのだろう。だが、有無を言わさず攻撃を仕掛けてくるほど追い詰められている彼女から情報を引き出すには、Sランクというわかり易い立場を示した方が都合が良いと判断したのだ。
「ミスリルのプレート……!? エ……S級冒険者……? それにこの名前……テミスって……まさか……?」
「ファントではギルドは欠かせない存在だからな。重要性は理解しているつもりだ。連中に与する理由は無いだろう?」
「ぁ……ぁぁ……わ……わた……私ッ……!!! も、も……申し訳ありませんッ!!!」
差し出されたプレートに目を向けた受付嬢らしき女性は、愕然とした表情で数度、テミスの顔とプレートの間で視線を往復させた後、みるみるうちに顔を青ざめさせて謝罪の叫びと共に頭を下げる。
「構わんさ。大方の噂は聞いている。だが、予想以上に状況は悪いらしいな?」
「ッ……!!! うぅっ……!! はい……はいっ……!! 双月のヤツ等……破格の条件で依頼を根こそぎ奪っていくどころか、この冒険者ギルドの運営を狙っていてッ……!!」
「やれやれ……。依頼に関してはまぁ、目先の餌に飛び付いた愚鈍な連中の自業自得とも言える訳だが……まさかギルドの運営にまで手を伸ばそうとしているとはな」
「わたっ……!! 私の他にも何人か……商会の横暴に抵抗している人たちは居るんですけれど……もう限界でッ……!!」
「横暴ね……。純粋に価格競争で負けた連中の泣き言ならば聞くに値せん戯れ言だが、どうやらそう単純な話でもないらしい。私もちょうど、連中がきな臭いと思っていた所なんだ。だから少し……この町の話を聞かせて貰えるか?」
頭を下げた受付嬢らしき女性を前に、テミスはクスリと薄い笑みを浮かべると、言葉を選んで問いかけた。
冒険者ギルドという存在は絶対ではない。故に、新たに台頭してきた組織に仕事を奪われるのは自然な事だ。
故に。テミス達に冒険者ギルドの現状を助ける事などできる筈もないし、元より救ってやるつもりなど欠片も無いのだが、ギルドの受付とは、荒くれ連中を相手にする事もあるとはいえ、基本的には町の中での命の危険が無い仕事だ。訪ねてきた者に怯えなくても良い程度には、安全を担保されて然るべきだろう。
「あ……あ……ありがとうございますッ!! Sランク冒険者の方が力を貸していただけるのなら奴等もきっと……」
「…………」
だが、テミスの真意の如何に関わらず、受付嬢らしき女性はまるで既に救われたかの如く、涙を零しながら震える声で礼を口にする。
その誤解こそ、テミスが彼女から正確な話を聞き出すために、狙って生んだ者ではあったのだが。
「……一応言っておくが、ギルドの復興なんざ私は手伝わんぞ? 我々も連中から接触を受けている身だ。身に降りかかる火の粉があれば叩き潰すまでだ」
短い沈黙の後。
胸の内から響く良心の叫びに敗北を喫したテミスは、苦虫を噛み潰したような渋い表情で、言葉を付け加えたのだった。




