1588話 由緒の源
宿での夕食が供されはじめるまであと数時間。
シズクへの説明を終えたテミスは、部屋でのんびりとした怠惰な時間を貪る誘惑に十分ほど抗った後、再び荷物を纏めて外出する決心を固めた。
一方でシズクは、テミスが悩み抜いている間にもこの最高級の部屋を満喫していたようで、気が付けば持参したらしい茶を淹れて一服を着けていた。
「……シズク。寛いでいるところ悪いが、私は少し出るぞ」
「っ……! は、はいっ! あ……ですが……」
「ん……? あぁ、出る前に戴くよ。有難う」
そんなシズクに、テミスは振り払ったはずの欲が再燃し始めるのを感じると、その欲が完全に復活すべく前に叩き潰すべくシズクへと声を掛ける。
しかし、表情を引き締めたシズクが言葉を濁して視線を向けた先を追うと、自らの手元へと向いていたそこにはテミスの分らしい茶が温かな湯気を立てていて。
恐らくは、葛藤しているテミスの邪魔をしないように、何も告げる事無く手元へ置いてくれたのだろう。テミスはシズクの心遣いに微笑みを浮かべると、礼と共に温かなお茶に口を付けた。
「……んむ。美味い。いい味だ」
「えへへ……お口に合って良かったです。ギルファーの数少ない特産品なんです。本当はファントに帰ってからお渡ししようと思っていたのですが……。だから、せっかくなので持ってきたんです!」
「あぁ……本当に……美味い……」
はにかむシズクに笑みを向けた後、テミスは再び温かなお茶を口に含み、噛み締めるように喉へと送り込むと、静かに感想を漏らした。
口に広がる爽やかな苦みと、鼻に抜ける独特な緑を思わせる芳醇な香りはとても懐かしく、緊張で凝り固まった心が安らいでいくのを感じる。
ギルファーでの特産という事は、恐らくは寒さに強い性質を持つのだろう。
ともすれば、他の地でも存在こそするものの、木の葉を煎じて飲むほど食に窮している訳でも無く、まだ見つかっていないだけかもしれない。
「このお茶には、身体を芯から温める効果があるんです。ほら……ギルファーってすごく寒いじゃないですか。本当はあの寒さの中で飲むと格別なんですけれど、前にテミスさんがいらっしゃった時は……その……お国が大変な時でしたから。お出しできるような茶葉が無かったんです。これ、白銀茶って言うんですよ。ヤタロウ様が名付けました」
「――ンゴフッ……!!? ッ……!! ゴホッ……ケホッ……!! ま……待て……。嫌な予感がする。まさかとは思うがその名は……」
温かな茶を楽しむテミスの隣で、シズクはとても嬉しそうな笑顔を浮かべて早口で茶の解説を始めた。
しかし、突如として話の流れが思わぬ方向へと傾いた途端、息を呑んだテミスは激しく咽せ込みながら涙目でシズクへと問いかける。
ギルファーは雪深い地域だ。だからこそ、雪の色にちなんで白銀と名付けた可能性は高い。故に、このような問いは酷く自意識過剰で滑稽な問いなのだが……。
テミスが滞在していた家屋を、『白銀の館』などと公式に称する事を決めた男が言い出したという一点が、どうしようもない不安感をテミスへと植え付けていた。
「はいっ! ヤタロウ様に代替わりしてはじめて採れたお茶ですから! 救国の英雄であるテミスさんにちなんで……との事だそうです!!」
「あぁ……っ……!! ヤタロウの奴め……」
「ちなみに、この名前は一番初めに採れた畑のみが名乗る事を許されていて、そこが何を隠そう今は白銀の館に詰めている、元・私の部隊に居た子の実家の畑なんですよっ!」
「そうか……それは良かったな……」
「はい! ですから、白銀茶の管理運用はヤタロウ様の直属でもある白銀の館の面々に任されているんです!!」
「ハハ……」
力説を続けるシズクに、テミスは頭を抱えてみせた後、乾いた笑みを零しながら力無く手にした茶を啜った。
確かに美味いし、懐かしさも相まって何杯でも飲みたい味ではあるのだが、こうして自分の異名が名付けられていると知った途端、急に気恥ずかしくなるのは何故だろうか。
名産が生まれるのは素晴らしい事だ。
これからは国交が開いていくギルファーにとって、この緑茶という特産はこの上ない強みとなるに違いないはずだ。
その名産となる製品の銘柄の一つに、紛いなりにも国家の転換期に共に戦った自分の名前が、記念的に挙がるのもごく自然な事だとは理解している。
そしてこの茶の名が、ヤタロウ達の感謝と好意の詰まった贈り物である事も理解している。
こういった地域の歴史や逸話に基づいた品こそが、特産の強みであり面白さと言えるのだろう。
けれど敢えて言わせて欲しい。
「やり過ぎだ……。茶だけで十分だぞ……?」
饅頭や煎餅、団子なんかとラインナップが増えていくさまがありありと目に浮かぶ。
そんな空想に苦笑いを浮かべつつ、テミスは目を輝かせながら解説を続けるシズクの話に耳を傾けながら、遠く離れた地に居るであろうヤタロウへ向けて呟きを漏らしたのだった。




