1585話 黒き兎に導かれ
ハクトの手引きにより、秘密裏にゲルベットの町へと入ることに成功したテミス達は、ひとまずそのままハクトの案内に任せて、当てどなく町をぶらついていた。
ゲルベットの街並みはファントやヴァルミンツヘイムとは大きく異なり、立ち並ぶ建物はどれも三階建て以上の高さを誇っている。
見たところ、上階部分を住宅として使用し、下層部分を店舗として利用している形が多いようで、上に高く積み上げられている分だけ、建物が立っている土地自体の広さはかなり狭いように思えた。
「……面白いな。この雰囲気……どこか懐かしい気もする」
「変わった町ですよねぇ。私としては、空が小さくて少し不安になってしまいます」
「クス……確かに、ギルファーやファントに比べると、少しばかり圧迫感があるやもしれんな」
次は宿屋へ向かうと言うハクトの背に続いて歩きながら、テミスは街を一望しつつシズクと感想を語り合った。
テミスとしては、高い建物が立ち並ぶこの風景は、どこか元居た世界を彷彿とさせるものがあったのだが、あまり高い建物が存在しないこの世界に住む者としては、やはり異様な光景に思えるのだろう。
「ハクト。これらの建物はどうやって建てたんだ? 見たところ石造りのようだが……これほど高い建物を建ち並ばせるのは容易ではあるまい」
「おぉ……! よくぞお気づきになられました! 流石のご慧眼と言うべきですかな? 何を隠そうこの街並みこそ、我らゲルベットの自慢とも言えるのです」
「この街並みが……ですか……?」
「えぇ……! この町の建物のほとんどは、我々双月商会が管理しておりまして。この尖塔を思わせる建物の数々の保全と活用に努めているのです」
「えぇっと……。なんだか、肝心の作り方が説明されていないような……」
「申し訳ありません! そこばかりはゲルベットの秘中の秘に御座いまして。幾らお二人と言えども明かす訳にはいかないのでございます。どうか、ご容赦ください」
テミスの質問にクルリと振り返ったハクトは、軽快で軽薄な口調でテミス達を持ち上げながら、ペラペラと聞いても居ない事ばかりを喋りはじめる。
そこに、シズクが苦笑いを浮かべてバッサリと斬り込むと、ハクトはくしゃりと表情を歪めて苦渋の表情を作って、大仰な態度とともに深々と頭を下げた。
「代わりと言っては何ですが、今からご案内する宿はこの町随一を誇る宿屋でして。高さこそ三階までとこの町では低い部類に入りますが、その分空間が広く利用されているのです! お陰で、受付と食堂を兼ねたホールは広々としていますし、お部屋も快適に滞在できること間違い無しッ! でございます!」
「っ……! そ……そうなんですか。楽しみですね?」
「…………。フッ……そうだな」
だが、ハクトの商人としてのサガがそこで終わる事を許さなかったのだろう。
ハクトはぺこりと下げた頭を即座に跳ね上げると、明るく弾むような口調で話題を新たなものへと切り替えた。
その勢いに、テミスの隣で応じたシズクは浮かべた苦笑いを引き攣らせると、隣を歩くテミスへ助けを求めるかのような視線を向ける。
そんなシズクに、テミスはクスリと涼し気な笑みを浮かべて短い言葉を返した後、機関銃が如き勢いで喋り続けるハクトを眺めた。
よく口の回る奴だ。だが嘘吐きではない。
これが、短い時間ではあるが、ハクトと接したテミスの抱いた印象だった。
それが商人としての誠実さに起因するものなのか、それとも『嘘』というものの本質を知っているが故の慎重さなのかはわからないが、ハクトをただ者でないと証明するには十分過ぎるほどだ。
恐らくだが、ハクトはこの町の建物がどうやって建てられたのかなどは知らないのだろう。
どの建物も、よく手入れが行き届いてはいるが、見るからに年季が入っている。
しかし、ハクトはその話題を避けて話を膨らませたうえで躱し、シズクに斬り込まれた際も、『知らない』事を秘密とする事でやり過ごしてのけたのだ。
「…………。ハァ……」
どちらにしても、そろそろ切り上げねばならんな。
喋り続けるハクトの相手をシズクに押し付けたまま、テミスはぼんやりとそんな事を考えて溜息をもらす。
先程から周囲へ気を配ってはいるものの、錬金術屋を謳っている店など一件もないのだ。
そもそも、尋ね人が店屋を営んでいるかすら定かではないのだが、どちらにせよ内容が無いようであるが故に、このハクトを何とかしない事には、見付けた所で訪ねる訳にもいかないだろう。
「……っと。さぁさ! そう言っている間に到着でございます! こちらが双月商会が誇る宿屋! 金の鉄鍋亭でございます!」
などとテミスが考えを巡らせていると、朗らかな声と共に足を止めたハクトが満面の笑みをテミス達に向け、傍らに現れたひと際大きな建物を、大仰な身振りで示してみせたのだった。




