1583話 黒き出迎え
渓谷の町パランクスからさらに数日、西へと向かった場所にゲルベットの町は存在する。
そこは大商会が取り仕切る町らしさが滲み出ており、町を囲う外壁には幾つもの馬車が同時に出入りできるように、数多くの大門が穿たれていた。
「ああなってしまっては、もはや防壁とは形ばかりのモノだな。あれだけで入り口が在るのだ、どこからでも攻め入る事ができる」
テミスはそんな有様の防壁を一目見ただけで、深々と溜息を零しながら皮肉気に頬を歪めてみせた。
事実。防壁における門とは、その場所で生活を営む者達が出入りする為に、やむなく設えられているもので。
防御性能だけで語るのならば、門の部分は堅牢に組み上げられた防壁部分とは比べる事すら烏滸がましい程に脆弱であることは言うまでもない。
尤も、門が少なすぎても日常生活に支障をきたしてしまうが故に、日常を守るための備えとしてのバランスが重要なのだが。
とはいえ、こんな蜂の巣が如くボコボコと門戸が開いていては、獣に等しい低級の魔物ならば兎も角、少し強力な魔獣や町を攻め落とさんとする軍隊への性能は推して知るべしといった所だろう。
「テミスさん! 冒険者の入り口はあの辺りみたいですよ?」
「……面倒だな。忍び込むか?」
「っ……。無茶を言わないでください。一晩滞在するだけならば兎も角、ここは目的地なのですよ?」
「ハァ……だよなぁ……」
シズクの声に導かれて、指差された方向へと視線を向けると、そこには既に幾人もの冒険者たちが列を作っていた。
先日の一件により、悪事を働いていた番兵に誅を下したと、一躍噂の人となってしまったテミスとしては、今人混みに向かうのは自殺行為に等しく、がっくりと肩を落とす。
だが、テミスの想像以上に規模の大きなこの町では、完全に素性を隠したまま忍び込むのは難しく、万が一後から露見した時のリスクは計り知れない。
そう考えたテミスは、イヤイヤながらもシズクの後に続いて、冒険者たちが並ぶ列の最後尾へと並びながら、せめてもの悪あがきをすべく外套を目深に被り直した。
そのとき……。
「ね……ね……そこのお二人さん」
「…………」
「あっと、下向いたままで良いですよ? ちょいと失礼?」
「っ……!?」
「おとと! 声。出さないでッ! そのままそのまま!」
地面を向いたテミスの耳にひそひそと潜めた声が届くと共に、その足元に一匹の黒い兎が潜り込んでくる。
尤も、兎とは言ってもジャケットのような可愛らしい服を身に着けており、どこからどう見ても愛玩用のペットが喋っているようにしか見えないのだが。
「こいつは仮の姿。擬態魔法なんです! 噂のテミス様と、お連れの剣士様でしょう? このまま行くと騒ぎになっちまいますから、こっち! 付いてきてくだせぇ!」
「っ……! あ……おい……!」
言うが早いか、ジャケットを羽織った黒兎は列を抜けてすたこらと走り出すと、馬車の行き交う道を器用に横切って向こうへと駆けていく。
それに続いてテミスも後を追いかけるが、流石に馬車が駆け抜けていく真ん前を堂々と駆け抜ける訳にも行かず、車列が途切れるのを待って数秒後に追い付いてきたシズクと共に道を渡った。
幸い、兎の方も自分の方からテミス達に声を掛けただけあって、しばらく行った所でこちらを振り返って待っていたが、テミス達が追い付いてくるのを見るや否や、再びクルリと身を翻して駆けて行ってしまう。
そんな事を数回続けた後。
「ッ……!! 決めた。次に……逃げ出したら……刺してでも捕まえてやるッ!!」
「ちょっ……!! わかります! お気持ちはわかりますけれどどうか抑えて!!」
幾つも穿たれた門の端まで辿り着いたテミスは、息を荒げながら腰の刀へと手を添えた。
その後ろでは、同じく呼吸を乱したシズクが、慌てたようにテミスの腕に縋っていて。
しかし、二人の眼前で立ち止まっている黒兎は逃げる素振りを見せず、ピタリと閉ざされた大門の前で止まっていた。
そして……。
「待った待った!! お噂通り、気の短いお人ですなぁ……。ご案内したかったのはこちらですって。緊急輸送用の大門ですから、この先も人通りは少ないです。あなた方には好都合でしょう?」
そんなテミスの言葉に応えるように、黒兎はぼふんという音と共に煙幕に紛れると、中から長い兎の耳を生やした黒い毛並みの獣人族が、にっこりと人の良い笑みを浮かべながら姿を現したのだった。




