1582話 温かな旅路
大橋の前での騒動から数時間後。
テミスとシズクは無事に大橋を渡り切り、ゲルベットへの道を歩んでいた。
無論。番兵たちに支払った金額は適正価格の木貨二枚のみで。せいぜい出た被害といえば、テミスの正体が露見してしまった事くらいだった。
「もぅ……あんな大立ち回り、これっきりにして下さいね? びっくりしたんですから」
「ハハ……悪かったよ。だが、十三軍団の名を騙られては黙っている訳にも行かなくてな」
「そのお気持ちは十分理解できますけど……」
「まぁ良いじゃないか。聞けば奴め、番兵連中の中でも、十三軍団の名前を使って相当悪さをしていたらしい」
「私は、事が丸く収まっただけでも奇跡だと思っています。番兵の人たちが集まってきた時にはどうなる事かと」
「私とて、敵か否かを確認もせずに斬りかかったりはしないさ。相手は番兵なんだ、理由があるとはいえ暴れはじめた私を鎮圧しようとするのは道理だ」
「……番兵の人たちも呆れていましたよ? 口で豪語しているほどでは無いとはいえ、人間が素手で制圧できるほど弱くは無い筈だ……って」
「ともあれ、ここまですんなりと通り抜ける事ができるとは思っていなかった。てっきり脱獄の一つでもする羽目になると覚悟したのだが」
「テミスさんの剣と……強さのお陰でしょうね。詰め所についた頃には、誰もテミスさんの素性を疑っている人は居ませんでしたよ」
後にしたパランクスでの騒動を話のネタにしながら、テミスとシズクはのんびりと会話を交わしながら街道を歩き続ける。
そんな二人の横を通過する乗合馬車からは、誰が噂を零したのかテミスの名が漏れ聞こえてきた。
「……もう噂になっているみたいですね? 噂の足は速いですから。次の町では覚悟をした方が良いかも知れません」
その声を逃さずに聞き取ったシズクは、悪戯っぽい笑みを浮かべてピコピコと耳を動かしながらテミスへと視線を向ける。
尤も、当のテミス自身は既に外套を目深に被り直し、シズクの視線から逃れるように明後日の方向へと目を泳がせているのだが。
「いいですよ。構いませんとも。パランクスではテミスさんのお手を煩わせてしまいましたから? 次の町では私が! 全て! 手配しますッ!」
「……手間をかける」
「クス……。気にしないでください。冗談です。元より私が任された任務はテミスさんの補佐ですから」
「感謝するよ。本当に……。私一人だったらどうなっていた事か……」
「きっと、町の入り口でひと騒ぎ、宿についてからひと騒ぎ、食事に出てひと騒ぎ……といった所でしょうか? 宿に一目見ようと押しかけて来る人も居たりして……」
「っ……勘弁してくれ。想像しただけで頭が痛くなる」
時には拗ねたように、時には楽し気に声を弾ませるシズクに、テミスはがっくりと脱力して言葉を返しながらも、何処か心地よさのようなものも感じていた。
フリーディアとも、サキュドたちとも違った肩肘の張らない会話。
それだけでもきっと、ただ一人で黙々とゲルベットへ向かう旅とは大違いなのだろう。
明後日の方向へと逃した視線で、そのまま青空に浮かぶ雲を眺めながら、テミスがそんな事を考え始めた時だった。
「あの、テミスさん。ひとつだけ、お聞きしても?」
「んん……? 何だ?」
「いえ。他愛のない疑問なのですが……。番兵さんと戦う時、なぜ大剣を使わずに、腰の刀を使ったんです?」
「あぁ……」
声色を変えたシズクが、不思議そうに首を傾げながらそう問いかけると、テミスは穏やかに笑みを浮かべて頷きを返す。
確かに。大剣を携行しているにもかかわらず、この刀を腰に提げているのは些か不自然にも思えるのは間違い無い。
予備携行として持ち歩くにしても、主兵装としても通ずる刀では些か嵩張るし、こちらで戦うのであればわざわざ、この大きな大剣を背負い歩く必要は無い。
「簡単な手慣らしさ。最近鍛練を続けていた刀なら、大剣と違って加減も利きやすいかと思ったんだ」
「加減……ですか……? まさかテミスさん……っ!!」
今更隠し立てをする必要も無い。
そう判断したテミスは、嘘偽りの無い理由を答えたのだが、それを聞いた途端シズクは眉根を寄せて鬼気迫る表情でテミスへと詰め寄った。
「まさか、体調がまだ万全ではない……だなんて言いませんよね? あれだけの事があったのです。たかだか数日で完全に回復する方がおかしいとは思っていたのですが……!!」
「いや……待て待て。体調は万全だ! お前だって見ただろう? だが、病みあがりだという事に変わりは無い。間違って殺してしまいましたでは取り返しが付かんのだ。慎重は期して然るべきだろう」
「確かにそうですが……。っ……!! わかりました! ではいい機会ですので、今夜はテミスさんは宿の部屋から出ないでくださいね! 食事も私がお運びしますので!」
「えぇ……。だから大丈夫だって。幾らなんでも心配し過ぎ――」
「――聞き入れていただけないのなら、戻った時に先程の一件と合わせてフリーディアさんに報告します」
「ッ~~~!!! わかった。降参だ。従うよ」
そんなシズクを説得すべく、テミスは何とか言葉を重ねようとしたのだが……。
テミスの言葉を遮って、ピシャリと放たれたシズクの言葉に、全てを諦めて空を仰ぎながら力無く答えたのだった。




