1581話 虚言の末路
力というものは得てして、それを手にした者を狂わせるという。
財力。権力。能力。暴力。この世界に流れ着いてからというもの、力の魔力に魅せられ狂った者など何人も見てきた。
ともすれば、正常であると認識している自分でさえ、既に狂っているのやもしれない。
だが……。
「小物だな……」
眼前で言い争う番兵を眺めながら、テミスはボソリと感想を零した。
イゼルの町や方面軍を我が物としていたカズト然り、己の全てを女神に捧げたサージル然り、その手にしていた力は強大なものだった。
それに比べれば、前で喚く番兵には大した力量も無く、実力としては前線で戦う一兵卒の足元にも満たない程度だろう。
だというのに、これ程の傍若無人な振る舞いができるというのは、この町が平和な証拠であると同時に、彼自身に武力とは別の力が備わっていると見るべきなのだろうが……。
「おい。獣人族は蒼貨三枚と言ったな? なら、人間はどうだ?」
「っ……!!」
パサリ。と。
テミスは揉み合いながら言い争う番兵の前に歩み出ると、不敵な笑顔を浮かべたまま、目深に被っていた外套のフードを外す。
瞬間。
暴れ狂っていた番兵は驚きに目を見開いて凍り付き、彼を止めるべく奮闘していた大柄な番兵も息を呑んで動きを止める。
「……ところで一つ訊きたいんだが。通行料を吹っかけた奴が強行突破を試みた場合、お前はどうするつもりなんだ? 見たところ、お前自身は大した使い手には思えんが……」
「ハァ~ッッッ!? 人間がなぁ~にほざいてやがる! いいか! 俺様はな魔王軍随一の戦闘部隊、第十三軍団の一員だった男だぞッ!! 喋る家畜風情とは格が違げぇんだ!」
「ホゥ……? 元は魔王軍十三軍団所属の兵だったと? クス……にしては妙な話だ。あそこの軍団長も人間だったはずだが?」
「馬ァ鹿言ってんじゃねぇ! 軍団長様が人間である訳があるか!! 噂じゃ……あぁっ……いや。俺も見ていたが、たったお一人で敵の大軍勢をも退けた方だぞ! 下らん噂を流すのは止めるんだな!!」
「そうかそうか。まぁ、その辺りはどうでもいい」
「へっ……?」
皮肉気な微笑みを浮かべて問いかけたテミスに、小柄な番兵は凍り付いた大柄な番兵の腕を素早く振りほどくと、ギラギラと殺気に満ちた視線で睨み付けながら喚き散らした。
だが当然、テミスがその程度の恫喝で怯むはずも無く、肩を竦めて嘯きながら、静かに腰へ提げていた刀の鯉口を切る。
「こちらとしても、騒ぎになっては面倒なのでな。さっさと始末する事にするか」
ニンマリと愉し気に吊り上げた唇からそう零した直後に一閃。
テミスは抜き放った刀を直上に振り抜くと、番兵の顔を浅く切り裂いた。
その速度は、傍らに居たシズクでさえ高々と刃が振り上げられた後、漸く刀が抜き放たれたのだと認識できたほど迅く、眼前の小柄な番兵に至っては自らが斬られた事さえ理解できていなかった。
「殺すのは容易い。だが、古巣とはいえ我が部隊の名を使って好き放題をやってのけた罪は重い。元・私の部下ならばわかる筈だ。なぁ……?」
「ッ……!! ごっ……が……ぁ……?」
軽薄な笑みのまま硬直した小柄な番兵の額から、一筋の血が伝った刹那。
未だに何も理解できていない様子で、眼前に振りかざされた白刃を見上げた番兵の腹に、テミスは欠片の容赦もなく固く握り締めた拳を叩き込んだ。
ズドムッ……!! と。
小柄な番兵が身に着けていた簡素な革鎧を易々と貫いたテミスの拳が、肉を打つ重たい音を響かせると、その威力によって一度テミスに覆い被さるようにくの字に身体を折り曲げた番兵の身体が、ゆっくりと放物線を描いて後ろへと吹き飛んでいく。
しかし、テミスは小柄な番兵の身体が悠長に宙を舞う事すら許さず、即座に大きく一歩前に踏み出すと、振り上げたままの刀の柄頭を以て打ち据える。
「ゲホッ……!! ゴホッ……!! ガッ……ァァァァッッッ!!? な、何……何ッ……がッ……!?」
「ホゥ……? シズク。私の剣を頼む。少しばかり身体を動かすのでな」
「えっ……!? あっ……! えぇと……」
テミスの強烈な一撃によって地面へと叩き付けられた番兵は、激しく咳き込みながら痛みに悲鳴をあげてのた打ち回った。
それを見たテミスは、ピクリと眉を跳ねさせると、ニンマリと嗜虐的な笑みを浮かべながら、背中に背負っていた大剣をシズクへと預け、悠然と倒れ伏した番兵の元へと歩み寄っていく。
そんなテミスを、シズクはただ苦笑いを浮かべて見送る事しかできず、小柄な番兵の悲鳴を聞きつけて、次々と集まってくる番兵たちの無事を祈る事しかできなかった。
「さてと。我が部隊に居た兵ならば、当然この程度ではくたばるまいな?」
「ぶぎゅっ!? ご……ぁっ……っ……!!」
「間抜けめ。敵に踏み付けられているというのに顔を覆ってどうする。そんな教育をした覚えは無いぞッ!? なあァッ!?」
「ひゃべっ……ごっ……ごべな……ばはッ……!!」
バキリ。ゴキリ。と。
そこからひたすら響いたのは、弱々しく許しを請う番兵の悲鳴と、荒々しいテミスの吠える声、そして肉を打つ音だけで。
あわや賊の襲撃かと駆け付けてきた番兵たちも、抜き身の刀を傍らに突き立てたまま、鬼のような勢いで小柄な衛兵を殴り付ける姿に、ただ呆然と立ち尽くす事しかできず、互いに視線を交わしては小さく首を振るようなありさまだった。
「ふぅ……。さて……? もう一度聞くとしよう。我々の通行料は幾らだ? そしてお前は、本当に魔王軍第十三軍団に所属していたのか?」
優に数分。
テミスの拳が肉を打つ音が響き続け、その音がピチャリという湿り気を帯び始めてしばらく経ってから。
片手で小柄な番兵の胸倉を掴みあげたテミスは、握り締めた拳からポタポタと血の滴を滴らせながら静かに問いを口にする。
その視線の先には、ボロ雑巾が如く打ちのめされ、最早抵抗する気力すら失った番兵の変わり果てた姿があった。
「ぅ……ぁ……。も……か……いちまい……れふ……」
「……それで?」
「っ……!! ヒィィィッ!! ごめ……なさっ……!! 嘘!! 嘘なんれす……!! 俺、魔王軍になんて居なくてッ……!!」
「やれやれ。呆れた奴だ。……んん?」
テミスの問いに、小柄な番兵は悲鳴をあげながら叫びをあげると、テミスの腕から逃れようとするかの如くじたばたと藻掻きながら涙を流した。
そんな番兵に、テミスは溜息を一つ漏らすと、傍らに突き立てた刀を抜き放つ。
瞬間。周囲に集まっていた番兵たちの間に、凄まじい緊張が走ったのだが……。
「あ~……参ったな。このまま殺してしまっては角が立つ……か……」
キン……と。
テミスは拾い上げた刀を腰の鞘へと納めると、最早言葉にすらなっていない悲鳴をあげる番兵から手を離して、その場で静かに両手を挙げたのだった。




