1580話 強引な番兵
翌朝。
テミス達はのんびりと朝寝坊を貪ると、朝早くに出立するであろう乗合馬車や、次の町へ向かう冒険者たちの混雑を避けて、昼前に宿を後にした。
そんなテミス達をいたく心配した宿の主人は、出立の際にわざわざ手製の弁当まで持たせてくれた訳だが。
「とても良い宿でしたね!! 帰りもあそこに泊まりましょう!」
「そうだな……。我々の無事を報せてやるのが筋というものか」
この魔族領深い地で、人間と獣人族の立場が低い事実は変わらない。
良からぬことを生業としている連中に、野宿などしているところを見つかりでもした日には、舌なめずりをして襲い掛かってくるのは確実だ。
だからこそ、宿の主人はこんな時間までのんびりと留まっているテミスたちをいたく心配していた訳なのだが。
「見事な大橋だ。本当に……どうやって架けたのやら……」
「わぁっ……!!」
他愛も無い話をシズクと交わしながら数分歩いた先で、姿を現した大橋を視界に収めると、テミスは溜息まじりに素直な感想を漏らした。
こうして視界が開けた場所から見てみると、この大渓谷は底が見えない程に深さがある。
加えて、向こう岸もここから遠くに霞んで見える程度で。
そんな広く深い大渓谷の上を、左右の端に店が軒を連ねているほど巨大な橋が貫いているのだ。
「まぁいい。さっさと行こう」
「はいっ! 凄い光景ですよね……お店の人、怖くないんでしょうか……?」
「慣れているんじゃないか? これ程大きな橋だ。崩落するなんて考えが端っからないのだろう。なら、後は高さや吹き付ける風に慣れるだけ」
「崩落って……。私もそんな事考えもしませんでしたよ……。落ちてしまったら怖いなって思っただけで……」
「フッ……むしろ、何か疚しいことが見付かってとしても、窓から投げ捨ててしまえば処理できるという訳だ」
「ッ……!! テミスさぁん!! 怖いこと言わないでください!!」
「はは……ほんの冗談さ。あるかもしれないという程度のな」
橋のたもとに並び立つ番兵たちの元へと向かいながら、テミスは自らの腕に縋って悲鳴をあげるシズクに笑みを零した。
完全犯罪というヤツは意外と難しい。
たとえ死体を簡単に処理できたとしても、消された者が店に入る姿を誰かが目撃していれば露見する危険性は跳ね上がるし、消された者が万が一知人にでも行き先を告げていればそこから瓦解する。
だからこそ。こんな底の見えない深い渓谷に架かる橋の上だとしても、そう簡単に人が消えるという事は無い筈だ。
「止まれ。徒歩で渡るのなら通行料は一人木貨一枚だ」
「…………」
「っ……! は、はい! 少し待って下さい!!」
テミスがとりとめもないことを想像している間に、二人は番兵の前へと辿り着き、槍を携えた大柄な番兵が、ジロリとテミス達を睨み付けた後で口を開く。
その、敵意とも警戒とも取れない視線に、テミスの手が外套の下でピクリと跳ねかけるも、剣呑な気配を察したシズクが慌てたように一歩前へと進み出て、番兵に通行料を支払うべく懐から財布を取り出した。
「二人で木貨二枚……ですよね? はい……どうぞ!」
「……。通行証だ。橋を渡ったら対岸の兵に渡せ。無くすなよ?」
「はい! ありがとうございます!」
しかし、番兵は身に纏った寡黙で強靭な気配に反して、指定の金額を差し出したシズクから金を受け取ると、腰に提げた袋から取り出した木札を二枚差し出しながら、低い声で穏やかに告げる。
筋骨隆々な番兵の背丈は、テミスとシズクを合わせたよりも高く、腰を屈めてシズクに応対するその姿は、傍らで見守るテミスに何処か微笑ましさすら感じさせた。
けれど、番兵に礼を言って通行証を受け取ったシズクが、クルリと背後のテミスを振り返った時だった。
「オイコラァッ! 何そんな怪し気な連中を通そうとしてんだッ! ったくよぉ……種族を確認しろっつってるだろうが」
隣に立っていた小柄な番兵がテミス達の方を向いて怒号をあげたかと思うと、荒々しい足音を奏でながら肩を怒らせて歩み寄ってくる。
その視線には、大柄な番兵とは異なるあからさまな敵意が滲み出ており、鋭敏にその気配を察知したテミスが身構えると同時に、シズクが一歩退いてテミスの隣へ並び立った。
「って訳だ。外套を外しな。つかそっちのお前、さっきちらっと見えたけど獣人族だろ? 獣人族はこの橋を通りたいってんなら蒼貨二枚だ」
「なっ……!? 待って下さい! 通行料は木貨一枚では無いのですか!?」
「それは俺達魔族用の金額だ。お前らみたいな獣人族風情、本来なら橋を通る資格すらねぇんだよ!!」
「待て。そんな決まりは無い」
「うるせぇんだよ! この俺が決めたんだ。文句あるか!? 払えねえってんなら諦めて崖でも下れよ! ハハハッ……!!」
しかし、声高に文句を着けてきた番兵は、テミス達に蔑みの籠った視線を向けたまま言葉を続けると、大柄な番兵の制止を無視して笑い声をあげた。
本来は木貨一枚である通行料を蒼貨二枚とは、ぼったくりも良い所だ。
つまるところ、あちらの番兵は最初から私達にこの橋を使わせる気は無いのだろう。
若しくは、法外な値段を吹っかけた後で、有り金全て攫おうという算段なのか……。
「ま、俺もそこまで鬼じゃねぇ。代わりに有り金全部とその高そうな外套、あとそのご立派に担いでいる武器って所だな」
「止せ。悪い。お前ら。良いから早く行け」
「良くねぇって言ってんだろ! 古株だからか知らねぇけど調子乗ってんじゃねぇぞ!」
「フム……」
テミスの予想通り、小柄な番兵はテミス達二人をジロジロと無遠慮に見回した後、得意気に笑みを浮かべながら朗々と新たな条件を叩き付けた。
だが、大柄な番兵が肩を掴んで再び制止すると、小柄な番兵は強引にそれを振りほどいて気炎をあげる。
そんな二人の番兵を前に、テミスは小さく息を漏らしながらニヤリと口元を歪めたのだった。




