1577話 一夜のねぐら
渓谷の町パランクス。
テミスたちが本日の逗留地点である町へ辿り着いたのは、陽が橙色に染まり切った頃だった。
その頃には町もひと際活気付き、酒や食事を楽しむ人々で賑わっていた。
「さて……どうしたものか……」
「まずは宿の確保ではないですか? あ、あそことかどうでしょう? 結構大きいですし綺麗ですよっ!」
「待て」
「っ……!?」
広い街道がそのまま目抜き通りと化している道を進みながら呟いたテミスに、シズクは丁度傍らに現れた大きな建物を指差して駆け出して行く。
だが、テミスは即座にその肩を掴んで留めると、静かに目を細めてまるで敵でも見据えるかのように宿を睨み付けた。
「あの宿は駄目だ」
「どうしてです? ほら、厩舎を見ると乗合馬車も止まっているみたいですし、人気がありそうですよ?」
「そうだろうな。目貫通りに面していて交通の便も良さそうだ。だからこそ……さ」
「……降参です。意地悪しないで教えてください。テミスさん」
「っ……! なに、簡単な話だ。私は人間で、シズクは猫人族……獣人族だからな。出入りしている連中をよく見てみろ」
シズクはピシャリと言い放ったテミスの傍らで首を傾げるも、早々に理由を考える事を諦めて、しょんぼりと背を丸めて素直に問いかける。
尤も、テミスの方は意地悪をしているつもりなど毛頭無かったのだが……。それ故に、明らかに気落ちしているシズクの態度に、テミスはチクリと痛む良心に従って、淡々と理由を解き始めた。
「あの宿の客は身綺麗な奴が多いだろう? チラホラと冒険者らしき連中も居るようだが、どいつもそれなりに装備が整っている」
「確かに……そうですね……。ですが高級な宿ならば、私たちの情報が漏れる可能性も少ないのではないですか?」
「本来ならばそう在るべきなのだろうがな。かといって、同じ宿に泊まっている奴等の耳目を遮断する事も出来まい。それに……ただでさえ今の我々は怪し気な風体をしているんだ。門前払いされる可能性だってある」
「な……なるほど……。なら、どうしますか? 他を探すにしても時間が……」
テミスの言葉に、シズクは別の宿を探すかのように不安気に周囲を見渡す。
しかし、同じ目抜き通りに軒を並べる宿の客層に大きな違いがあるはずも無く、どこの宿の客たちも、先程の宿とほとんど変わらない顔ぶれだった。
「フフ……安心しろ。策はある」
だが、テミスは涼しい笑顔を浮かべてシズクへそう告げると、目抜き通りを外れて一本の街路へと歩を進めていく。
その足取りには一切の迷いは感じられず、まるでこの町の勝手を知っているかのようだった。
「もぅ……テミスさんったら……。意地悪はしないでって言ったじゃないですか……」
「……? 何の話だ?」
「だって知っていたんですよね? この町で私たちが泊まるべき宿を。なのに私ったら空回りして……恥ずかしいじゃないですか……」
「いや……そんなものは知らんが?」
「えぇっ……!? だって今……」
「大方の見当をつけて歩いているだけさ。なにせこの町は交通の要所……集まるのがあんな宿に泊まることの出来るほど余裕のある奴等ばかりではない。なら、探せばある程度まともなねぐらくらいある筈さ」
頬を僅かに膨らませて不満を露わにするシズクに、テミスは穏やかに笑いながら言葉を返すと、飲食店が立ち並ぶ繁華街のような通りを突き進んだ。
恐らくは馬車の護衛なんかを担っていた冒険者たちなのだろう。開け放たれた店先で飲み食いに興じる者達の服装は、装飾の凝った身綺麗な服ではなく、革鎧やローブといった実戦的な装いの者が多かった。
「見ろ。乗合馬車や商人連中が居るのならば、護衛を務める者達も居るのが通理さ。奴等は護衛対象ほど金は持っていないが、ボロ布一枚に包まって眠らねばならんような安宿に泊まる程貧してもいない」
「っ……! たしかに、さっきの大きな通りに比べて、色々な種族の人が増えたような気がします」
賑やかな店々で楽しむ者達を示して告げたテミスの言葉通り、目抜き通りではほとんど見かけなかった獣人族や異形種の者達も肩を並べており、誰もが笑顔で酒や飯を喰らっていた。
しかしそれほどまで多種多様な種族が入り混じっている中でも、人間らしき人影は一人として居ないのだが。
「フム……よし。ここにしよう。古びているが小奇麗で手入れが行き届いている」
そして、テミスは繁華街の外れにぽつんとあった一軒の古ぼけた宿屋の前で立ち止まると、満足気な笑みを浮かべて、後に続いてきたシズクへとそう告げたのだった。




