1574話 道理を突き飛ばして
――丁度良い訳があるかッ!!
突然放たれたシズクの言葉に、テミスは胸の内で叫びをあげると、こんどはシズクをどう説き伏せるかへと考えをシフトさせた。
確かに、魔族領の奥深くへと足を踏み入れるにあたって、猫人族であるシズクならば一応は問題が無いとは言える。
だが、猫人族を含む獣人族たちは身体能力に秀でている反面、直接的な魔法を扱う事は不得手だ。
故に、魔族の内での暗黙の格差として、人間ほどでは無いものの、獣人族も侮られやすいのは事実だった。
無論。シズク程の腕があれば、たいていの連中は斬り捨てる事ができるだろうし、軍団長クラスの者が彷徨い出でて来なければ障害足り得ない。
しかし、現状最も重視すべきなのは、如何に戦闘を避けるかという一点であり。
テミスにシズクが同行などした日には、人攫いや奴隷商連中の目にその姿は、カモがネギを背負ってきたどころか、薪や鍋まで携えてきたようにしか見えないだろう。
つまるところ、ただ碌でもない連中と戦う可能性が跳ね上がるだけなのだが……。
「ンッ……?」
テミスは己の思考がそこまで至った瞬間、ピクリと眉を跳ねさせて喉を鳴らした。
シズクの腕前ならば、足手まといになる事はまずないだろう。それに加えて、そういった輩ならば斬って捨てることを躊躇う必要は無いし、何より目を覚まして以降、過保護に過保護を重ねられたせいで、自分の身体がどれだけ鈍っているかを確かめる良い機会でもあるではないか。
「あれ……? えっと……駄目……でしたでしょうか……?」
「いや、素晴らしい案だ」
凍り付いたテミスと共に言葉を失った一同を前に、シズクが酷く気まずそうに声を上げると、テミスはすかさず声を上げて他の者達の言葉を封殺した。
自らが誘蛾灯となり、狡い悪党連中を叩き潰しながら魔王の依頼を果たす。
趣味と実益を兼ねたうえに、ギルティアの奴への借りを返すことの出来るなんて、まさに一石三鳥の完璧な提案だ。
尤も、当のシズク自身は純然たる善意のみから発した提案で、そのような思惑など毛ほども持ち合わせては居ないのだろうが。
「そうね。あなたが付いていてくれるのなら安心だわ。テミスの手綱を握るのは大変だと思うけれど、お願いできるかしら?」
「手綱だなんてそんな……。でも、お任せください」
「えぇと……テミス。その、言い辛いのだけれど――」
「――ゴホンッ!!! んんッ? 何か言ったかルギウス? 良く聞こえなかったのだが?」
「あぁ……いや……何でもない。僕の思い違いだよ。気にしないで」
そこに、詳しい内情を知らないフリーディアが賛同すると、いよいよもってテミスの思惑を阻む者は居なくなり、最後の砦であったルギウスもまた、気迫を纏った笑顔を浮かべたテミスの言葉によって口を閉ざした。
「そうか。お前も色々とあるからな。疲れているのだろう」
「ハハ……かもしれないね……。ここのところ忙しいから……」
「……?」
普段のテミスなら、こんな時は絶対に言い返してくるはず。でも……。
苦笑いを浮かべるルギウスと言葉を交わすテミスに不審を抱きながらも、フリーディアは僅かに首を傾げただけで、その違和感の原因へと辿り着く事はできずに黙殺する。
魔王領が人間にとって、未だに危険の多い地であることはフリーディアも理解していた。
しかし、シズクもまたフリーディア達人間の尺度では魔族の一員である点と、魔族の間に確かに存在する感情的な隔たり。そして何より、単独よりも戦力になる者は多い方が良いという定石が、この場で唯一テミスの真意に気付きかけたフリーディアを阻んだのだ。
「そういう訳だ。ヤタロウ。すまないが少しシズクを借りたい」
「構わないとも。友よ。シズク、君も知っての通りテミスは無理を通す奴だ。大変な任になるかとは思うけれど、彼女を気遣ってやって欲しい」
そんなフリーディアの前で、テミスはシズクの主であるヤタロウへと向き直ると、不敵な笑みを浮かべたままシズクの同行の許可を求めた。
すると、ヤタロウは元より答えを準備していたかの如く即座に頷くと、そこの知れない穏やかな笑みを浮かべてシズクへ言葉をかける。
「はいっ! お任せください! 十全にお役目を果たしてみせます!!」
「えぇ~っ? ねぇ兄様。なら私もシズクと共に行きます!」
「駄目だ。ヤヤまで行ってしまったらシズクの護衛対象が増えるだけだろう?」
「そんな事無いです! 自分の身は当然、自分で守りますっ!」
「駄目だよ。あまり我儘を言うようなら、このままヤヤも一緒に帰って来てもらう事になるよ? ファントに留まるのは許したけれど、ヤヤが私の妹である事実は変わらないんだ」
「っ……!!! うぅっ……それは……むぅ……」
ヤタロウの勅命に、溢れんばかりの笑みで応えてみせたシズクの傍らで、ヤヤが駄々をこねているのを聞きながら、テミスは楽し気にクスリと微笑みを漏らしたのだった。




