146話 主客転倒
その戦いは、唐突に始まった。
平和的とまでは言えないものの、それまで笑みを浮かべて言葉を交わしていた二人が突然、戦闘態勢に入ったのだ。騒然とする周囲を歯牙にもかけず、怒れるテミスの咆哮が戦場に木霊する。
「貴様が厄災を持ち込んでおいてよくもそのような口が利けた物だッ! 自らの利益の為に理を曲げて平和を脅かす侵略者がッ!」
「待つんだッ……確かに僕も得はするが、それは君の得でもあるだろう?」
「黙れッ!! 貴様だけは気に食わん! ああ……反吐が出るほどに気に食わんッ!」
「っ……!!」
ライゼルは剣を器用に躱しながらテミスに叫びをあげるが、ライゼルが言葉を放つ度に、テミスの攻撃は鋭く、激しくなっていった。
「っ……!! 仕方がないッ! ならば、押し通るっ!」
「何ッ!」
突如。鈍い金属音と共に、それまで空を切っていたテミスの剣が、何かによって弾かれた。
「力は奔流。猛り狂うその力を御してこそ、真の強者である」
ライゼルがぼそりと呟いた瞬間。テミスの剣を弾いたカードがライゼルの手に収まり、淡い光を放った。そして淡く光るカードを指先で挟んだまま、ライゼルはそれを剣のように扱ってテミスへと切りかかる。
「チィッ……!!」
漆黒の甲冑の継ぎ目を狙ったその一撃は、素早く動かされた漆黒の大剣に受け止められる。再び金属音が鳴り響き、テミスの手には、まるでライゼルが大剣でも振り下ろしたかのような衝撃が伝わっていた。
「へぇ……やるね。普通はたかがカードって舐めてくれるから、一撃でケリがつくんだけれど」
「フン……」
テミスは不敵に唇を歪めたライゼルを鼻で笑うと、ぎりぎりと火花を散らして鍔迫り合いを演じるカードを圧し返す。
転生者の事を知らない連中ならば、そうなのだろう。いくらカードが宙を舞おうが、魔法的な光景である事に変わりは無い。故に、まさかここまで物理的で、ここまで重たい一撃が繰り出されるなど、夢にも思わないのだろう。
「あまり私を舐めるなよ偽善者め。貴様が善として発した主張は全て、薄汚い悪そのものだ。私の為? 人の世の為? 綺麗事を並べたからと言って、貴様がこの町の平和を簒奪した事に変わりは無い!」
「おっと。フム……確かに、そうかもね」
カードを圧し返したテミスの膝が閃き、ライゼルの腹を狙う。しかし、ライゼルは予測をしていたかのように軽やかにそれを躱すと、薄笑いを浮かべてテミスの言葉を肯定した。
「テミスッ!」
「――っ!?」
直後。蹴りを躱して僅かに体制の崩れたライゼルへ、真横からフリーディアの剣が襲い掛かった。ライゼルはその鋭い刺突に微かに驚いた表情を浮かべるが、クルリと体を回してそれを回避する。
「フリーディアッッ!!」
「っ……!? …………わかったわ!」
しかしテミスは、まるでフリーディアの援護を咎めるように鋭く彼女の名を呼んだ。その声にフリーディアはピクリと肩を震わせると、数秒の逡巡の後に頷いてライゼルに背を向け走り出す。
「……どう言う、つもりですか?」
「答える義務はないな」
目線だけでテミスが切り開いた道へと走り去るフリーディアを追いながら、ライゼルはテミスへ問いかける。しかし、それに突き返されたのは短い拒絶の台詞だった。
「まさか、あなた一人で僕を相手にしながら兵達を止められると?」
「そこまで思い上がっちゃいないさ」
そうだ。いくら転生者の力があると言っても、相手も同じ転生者……むざむざ負けはしないだろうが、拮抗した力を私の敗北へと傾ける要素には十分なり得る。だがコイツはどうやら、常識と言うものを欠落させているらしい。
「ならば問い返すが……。まさか、こちらの戦力が私とフリーディアだけだと本気で思っているのか?」
「――っ!!!!」
テミスが凶悪な笑みと共に問いかけると、ライゼルの表情が驚愕のそれへと塗り替わった。その見開かれた目の脇を汗が滴り、綺麗な曲線を描いて顎から落ちる。
まさか……。そう思わされていた? 無論……敵の戦力がたった二人などと思っていた訳では無い。だがしかし、彼女たちにとって大軍に攻め入られているこの状況で、おいそれと守りを手薄にするとは思えなかった。故に、最高戦力であるだろう彼女たちで兵を削り、残りの兵は守りを固めていると思っていたのだが……。
「ハッ……」
「くっ……まさか……本当に……?」
テミスがここでそれを明かす意味。その真意を汲み取ったからこそ、ライゼルは驚愕していたのだ。
ここでテミスがライゼルと戦い、その隙にフリーディアが一人でも多く兵を削る。つまり、戦略上の陽動であるのならば、テミスがそれを明かすのは自殺行為だ。そうであるならば、疲弊したフリーディアを兵達が倒すのを待ち、合流した軍勢でテミスを落とせば、後は将を失った烏合の衆を叩くだけで良い。
「ククッ……クハハハッ……お前達曰く、姦計は人間の特権だったなぁ……? 残念ながら、私も人間だ」
歪み切った恍惚の笑みを浮かべて答えを返すテミスに、ライゼルは確信する。その証拠に、あれだけ苛烈な攻めを繰り出していたテミスが、今はその大剣を肩に担いで問答に興じている。それを理解すると同時に、言いようの無い焦燥がライゼルの脳を焼き焦がした。
「このっ――!!」
気合と共にライゼルが輝くカードで切りかかるのを、テミスは薄ら笑いを浮かべながら一歩退いてその刃を躱す。そして、その笑みをさらに嫌らしく深めて、歌うように口を開いた。
「ハハハッ! どうした? 私と話がしたいのだろう? 何が訊きたい? 好物か? 信念か? 今なら、大抵の事は答えてやるぞ?」
「黙れッ!!」
ライゼルの怒りの咆哮と共に、彼の周囲を漂っていた札が鋭く輝くと、嘲る様に嗤いを浮かべるテミスへ向かって射出される。
「おっと……なかなか面白い玩具だな」
「グッ……」
テミスはそう嘲ると再び、まともに構えすら取らずにライゼルの前に立ちはだかった。
計画は実に順調。最終的にコイツを倒す必要があるとはいえ、後はのんびりと時間稼ぎをしていればいい。私は足止め……敵の最高戦力であるライゼルを押さえておけば、数は多いとはいえ残ったのは雑兵。こうして待っていれば、フリーディアとマグヌス達が雑魚共を片付けてくれる。
「まぁ、遊んでやっても構わんがな……。私としては、楽しくお喋りをするのがオススメだが?」
歯ぎしりと共に睨み付けるライゼルを嘲嗤うテミスの声が、朝日の降り注ぐ戦場に木霊したのだった。