1570話 封じられしもの
ルギウスに連れられたテミスが辿り着いたのは、一つの大きな石扉の前だった。
ここへ辿り着くまで一体どれくらい歩いただろうか? 長い廊下をいくつも歩き、幾つもの曲がり角を通り抜けた。
既にここが何処かなど、テミスにはまるで解らなかったが、それでもこの場所が魔王城の奥深くである事だけは理解できる。
「……ここは?」
扉の前で歩みを止めたルギウスの背に、テミスは静かな声で問いを放った。
それもその筈。魔王城の深層であると同時に、目の前の大きな石扉の隙間からは、肌が粟立つ程の魔力の奔流が漏れ出ているのだから。
「この扉を開ける前に……テミス、一つだけ言っておくよ? 気をしっかりと張っておいて欲しい。そうだね、君はこれからこの扉の先へ戦いに行く……そんな心構えを持っておいて」
「何……。いや……敢えて問うまい。了解だ」
「……ありがとう。さて……と……」
テミスの問いに答える事はせず、ルギウスは意味深な微笑みと共に言葉を返したが、テミスは重ねかけた問いを途中で飲み込むと、コクリと頷いてから意識的に気を張り巡らせる。
同時に、石扉に手をかけたルギウスもまた、浮かべていた笑みを鋭い表情へと変えて、深く深呼吸を繰り返した。
そして。
「いくよ」
「っ……!!!!」
短い言葉と共に石扉が開かれた瞬間。
荒れ狂う暴風の如き魔力の奔流がテミス達を包み込んだ。
否。この叩き付けられる膨大な魔力の波に比べれば、荒れ狂う暴風など晴れ渡る草原を吹き抜けるそよ風に等しい。
「ぐっ……!!」
「っ……!」
なるほど、ルギウスが念を押す筈だ。と。
テミスは僅かに遠退きかけた意識を強引に引き戻すと、固く歯を食いしばって一歩を踏み出した。
この部屋の内に留まっている魔力は膨大なだけではなく、水底に居るかのように濃密で。
並の者ならば、この魔力に中てられただけでショック死する可能性も否めない。
そんな中を、テミスとルギウスは押し寄せる魔力に抗いながらじりじりと歩を進めると、テミスの背後で石扉が閉じる重たい音が部屋の中に響き渡った。
同時に、豪風のように吹き付けていた魔力の激流は収まりを見せ、テミスはそこで漸く限界まで細めていた目を開く。
「んん……? テミスか。よく来てくれた。本来ならば、寛いでくれと茶の一つでも出してやる所なのだが……。悪いがここではそうもいかん」
「ギルティア……!? お前……何をして……。いや、そもそもここは何だ!?」
そこには、様々な紋様が描かれた無機質な空間が広がっており、その中心にぽつんと置かれた執務机では、ギルティアがたった一人で書類へと向き合っていた。
この豪奢さの欠片も無い異様な部屋が、魔王の執務室でない事だけは確かで。
テミスは驚きと戸惑いを隠す事も忘れて、驚きに目を見開いたままギルティアへと問いかけた。
「見ての通り、執務仕事だ。先日の宣言から仕事が増えてな」
「そんな事はッ……!! いや……それが原因なのか……?」
挨拶もなしに投げかけられたテミスの問いに、ギルティアは不敵な微笑みを浮かべて答えを返すと、ちょうど手に持っていた書類をひらひらと掲げててみせる。
その的外れとも言える答えに、テミスはふと言葉を詰まらせると、言葉の裏を読んで思考を加速させた。
そうだ。
この馬鹿馬鹿しい程の魔力と、仕事が増えたと笑うギルティア。
二つが意味するところはつまり、執務仕事が増えた腹いせに、魔力を開放してせめてもの憂さ晴らしをしているのではないだろうか?
つまり、ルギウスが私をこの場に連れて来た理由は……。
「ククッ……何やら愉快な事を考えていそうだが、外れだぞテミス。まずは順を追って説明しよう。この部屋は魔封じの部屋と言う。魔力を遮断する性質を持つ鉱石を用い、更に壁に刻まれた紋様でこの部屋の中に魔力を閉じ込めているのだ」
加速したテミスの思考が、一つの結論を導き出そうとした時。
愉快そうに喉を鳴らしたギルティアが静かに口を開くと、口角を吊り上げて笑いながら語り始めた。
「先日の一件で大量に魔力を消費したせいで、箍の外れた私の魔力が暴走しているのだ。抑え込もうとしたところで大した意味も無くてな、やむなくこの殺風景な部屋に閉じこもっているという訳だ」
「付け加えると、君が僕たち軍団長に簡単に出会えなかったのもこのためさ。この件は軍団長以下の者には緘口令が敷かれていてね。それに君も今、その肌で感じているだろうけれど、この部屋は生半可な実力の者では立ち入る事さえできない。だから世話役や連絡役も僕らの仕事なのさ」
「ほぉ……。なるほど。大変そうだな。頑張ってくれ。では……」
「おっと。テミス、少し待ってくれるかい? 折り入って君に頼みたい事があるんだ」
つらつらと明かされた真実を前に、テミスは即座に部屋を後にすべくクルリと身を翻した。
こんなの、どう考えても面倒事じゃないか。
冗談じゃない。付き合っていられるか。こんな事を知らされるとわかっていたのなら、わざわざ筋を通すべきだなどと考えずに、さっさと黙って帰っていればよかった。
そんな後悔がテミスの心を満たした時にはすでに手遅れで、背を向けて逃げ出そうとしたテミスの肩を、傍らのルギウスが素早く掴んで引き留めたのだった。




