1566話 共通の敵
穏やかな雰囲気が部屋を包む中。
アリーシャは静かに抱きしめていたテミスを解放すると、柔らかくはにかんでからクルリと身を翻した。
その隣では、先程まで冷たい表情を浮かべていたはずのルギウスが、毒気を抜かれたかの如く苦笑いを浮かべながらテミスへ肩を竦めてみせてから口を開く。
「やっぱり……彼女には敵わないね。君に告げられる言葉が無くなってしまった」
「フッ……だろう? 自慢の姉だ」
クスリと微笑んで告げたルギウスに、テミスは誇らし気に言葉を返すと、アリーシャの後を追って離れていくルギウスの背を見送った。
確かに反省点は幾つもある。皆に心配もかけてしまった。
けれど、テミスの胸の内は澄み渡るような喜びと誇らしさに満ち満ちており、つい先程まで心を満たしていた暗い気持ちは消え失せていた。
「皆……ひとまずテミスと顔を合わせて言葉を交わした。これでようやく落ち着いて話ができるな?」
「っ……!!」
そんな思いを噛み締めるテミスの前へ、ギルティアがゆっくりとした足取りで再び進み出ると、部屋に集った一同を見渡して悠然と口を開く。
しかし、厳しい口調とは裏腹にその顔にはニンマリと意地の悪い微笑みが浮かべられており、視線はこの部屋に集まった者達の中でも、ピクリと肩を跳ねさせた一部の者達へ向けられていた。
「フフッ……。結論から言おう。テミスよ。お前が倒してみせたあの男……サージルと言ったか。奴はまだ生きている」
「なにっ……!?」
「いや……生きている……と断言するにはまだ根拠が乏しい。だが、お前が倒れた時の騒ぎに乗じて死体が消えたのだ。私は恐らくは生きているであろうと読んでいる」
「ッ……!!」
ギルティアは低く喉を鳴らして笑みを零した後、口調を一転させて厳かなものへと変えて言葉を続けた。
だが、その口から語られた報告には、テミスを含めた一同が衝撃を受けるには十分過ぎるほどで。
「お……お待ちくださいギルティア様ッ……!! 私はあの時、奴の息の根が確かに止まっている事を確認しておりますッ!!」
「……リョース殿の勘違いでない事は私が保証しよう。彼の者の遺体は私も共に検めた」
驚きを露わにしたリョースが一歩進み出て膝を付き、早口で報告を述べると、ゆらりとその傍らに進み出たコハクが口を揃え、問いかけるような視線をギルティアへと向けた。
――これはまずい。と。
傍らで彼等の話を聞いていたテミスは唇を固く結び、胸の中でそう独りごちる。
以前に一度、実際にサージルと戦っている者達であれば、サージルが再び蘇ったとしても、理解はできずとも事実と受け止める事はできるだろう。
だが、コハクもリョースもサージルと相まみえるのは今回が初めて。
加えて、遺体を検めたのがギルティアの配下であるリョースだけであれば、皆まで語らずとも角は立たないが、ギルファーに属するコハクが口を揃えているとなるとそうもいかないはずだ。
「待――」
「――っ。無論。お前達の言い分も理解できる。私も、テミスが倒したあの場で奴が息を吹き返したとは考えていない。既に、人間との……ロンヴァルディアとの継戦を掲げている者達の一派が、サージルの遺体を持ち出した事までは掴んでいる」
「っ……!! まさか、その連中が奴を生き返らせると……?」
サージルという異質な存在の正体を知る者は必要最低限に留めておくべきだ。
瞬時にそう判断したテミスが、ギルティアの話に割り込むべく口を開きかけるが、ギルティアは鋭く細めた視線だけでテミスを黙らせると、進み出たリョースとコハクに視線を戻して言葉を続けた。
けれど、話の流れはテミスの予想外の方向へと広がりを見せ、一度は訪れかけたテミスの死を知る者の中で、サージルと以前に戦った者達を除く者たちの視線が、目の前に在る前例へと一斉に注がれる。
「奴等には不可能だ。だが……テミス。お前達は以前に一度、あのサージルという男を倒したのだろう?」
「あぁ。確かに。灰すら残らなかったのを確認している」
「っ……!」
「フム……」
直後。テミスへと注目が集まった瞬間に、ギルティアはテミスに意味深な視線を向けながら問いを発した。
すかさずその意を汲んだテミスは、ギルティアの問いかけにコクリと頷くと、必要最低限の事実だけを口にする。
その答えを、リョース達は否定する事無く受け入れると、何かを考え込むように息を漏らして口を噤んだ。
「如何にして死を免れたか……それとも偽装したのかまでは判別が付かん。だが、前例がある以上は生きていると考えるべきだ。尤も、この闘技大会を破壊せしめた男を、人魔の融和を望まぬ者達が利用せんと蠢いているのは間違いない。私は件のサージルを含め、連中は我々にとって共通の敵だと認識している」
「…………。やれやれ、面倒な事になりそうだな……」
リョース達が口を噤んだ隙に、ギルティアは淡々と話を纏めて先へと進めると、再び一同を見渡して言葉く区切った。
その様子を傍らで眺めながら、テミスは独り言と共にため息を漏らして、視界の隅で酷く居心地が悪そうに身じろぎをしているアリーシャへと目を向ける。
この場に集った者達の中で、唯一の一般人であるアリーシャが、突然始まってしまったギルティアの話に付いて行けるはずも無い。
「ギルティア。話を遮るようですまないが、込み入った話になりそうだ。場所を変えないか? 私だったら体調に問題は無い」
それを理解しているからこそ。加えて、これ以上アリーシャがこの場に留まれば、面倒事に巻き込む羽目になると直感したテミスは、アリーシャに視線を向けたままギルティアへとそう告げた。
だが……。
「お前の意図は理解している。だがだからこそ……この話は、この場に居る全員で共有しなければならない」
「っ……!!!」
ギルティアから返された言葉は、その配慮はすでに手遅れだと物語っていて。
そんなギルティアの宣告にテミスは鋭く息を呑むと、悔し気に固く拳を握り締めたのだった。




