1549話 騒々しき生還者
ピクリ。と。
ギルティアは己が意識が自身の身体へと戻ったのを感じると、瞑っていた目を静かに開いた。
今の衝撃は、精神感応魔法に対する防衛反応だ。
つまるところ、テミス自身が彼女の意志を以て己が心の内を覗かれる事を拒絶し、ギルティアの意識をあの精神世界から弾き出したのだ。
だが、他でもないギルティアの施した精神感応魔法だ。抵抗するにはそれなりの意志力が必要となるのは言うまでもない。
そのような真似が、廃人同然の死した心の出来得るはずも無く。
即ちこの反応は、テミスの復活を意味するはず。
それでも尚、胸の内にこびり付く一抹の不安に、ギルティアはやれることはやった。と。己を鼓舞すると、魔法を施す前と変わらない姿で横たわるテミスを見下ろした。
「ぁ……ギル……っ……。……」
己が主が無事の帰還を果たした事を、傍らで魔法の維持に尽力していたドロシーは即座に気が付いたのだろう。
展開されていた蘇生魔法と精神感応魔法の魔法陣が消え失せていく中。ドロシーは色濃い疲労を滲ませた顔に悲痛な表情を浮かべ、主の名を呼びかけて言葉を止める。
ギルティアの意識が戻ったというのに、テミスは一向に目を覚まさない。
その事実が意味する現実を察する事ができないほど、ドロシーは無知では無かった。
だが。
「おい。いつまで寝たふりをしているつもりだ?」
「…………」
「起きろ。お前の仲間達が、我が配下たちが今も戦い、身体を張って時間を稼いでいる」
「…………」
「っ……!!!」
ギルティアは揺るがぬ瞳でテミスを見下ろしたまま口を開くと、返事が返ってこない事を無視して言葉を重ねた。
そんなギルティアの姿はを見上げるドロシーの瞳には、まるで蘇生魔法が失敗した今もまだ諦めず、一縷の望みにかけているかのように映って。
そのあまりにも残酷で痛々しい光景に、ドロシーは胸が張り裂けるような痛みを覚えながら思わず目を背けた。
「テミス……」
そして、テミスとギルティアから目を背けたドロシーの耳に、テミスの名を呼ぶギルティアの静かな声が聞こえた直後だった。
「…………。ごゥ……っ!!」
「……ッ!!?」
張り詰めていた気が一気に緩んでしまうほど間の抜けた、しかし決して聞こえる筈の無い吐息が鼓膜を揺らし、ドロシーは反射的に背けた視線をギルティアたちの元へと戻す。
そこでは、横たわったテミスの腹を踏み付けているギルティアの姿があった。
「ギ……ギルティア様ッ……!? 何をッ……!!」
だが、死者の尊厳を冒涜するギルティアの行いは、ドロシーの頭の中から己の耳に届いたはずの吐息の存在を忘れさせるには十分過ぎるほどで。
己が主の取った突飛な行動に、ドロシーは混乱の底へと突き落とされながらも、その乱心を止めるべくギルティアの傍らに膝を付いて言葉を続ける。
「お気持ちは重々お察しいたしますッ!! お怒りは……ご無念はご尤もッ……!! ですが、亡骸を足蹴にするのはあまりにもッ……!!」
「フム……。ドロシー、つまりお前は堪えろと言うのか?」
「がッ……ッ……!! っ……!!!」
「ッ……!!! 恐れながらッ……!!! ここには人々も目もございます。そのような行いはあらぬ噂に繋がりかねません」
「確かにお前の言う通りではある。だがなドロシー。コレは亡骸と言うには、些か活きが良すぎると思うが?」
「は……? はぁっ……!!?」
「ッ~~~~!!!! ッ……!!! ッ……!!!」
ともすれば魔王の悋気に触れかねない。
ドロシーはそんな緊張感に晒されながらも、深々と首を垂れ、慎重に言葉を選んでギルティアへと進言した。
その忠義は確かに伝わったらしく、ギルティアから返されたのはとても落ち着いた理性的な返答で。
しかし、同時に投げかけられた問いにドロシーはおもむろに視線を上げると、驚愕の声を漏らしてその場に尻もちをついた。
何故ならそこでは、命を落としもう二度と動かない筈のテミスが、ギルティアの脚によってギシギシと腹を踏みしだかれ、声なき悲鳴をあげながら手足をばたつかせていたのだから。
「ヒッ……きゃッ……っ~~~~!!!!!」
「フン……」
「ッ……!!! ゴホッ……!! ゲホッ……! ガハッ……!! ギルティアッ……!! お前ッ……!!」
「下らん真似をするからだ。たわけめ」
「人の……! 心を勝手に覗いてくれた礼のようなものだろうッ!! 本当に死ぬかと思ったぞッ!!」
死者が蘇った。
つい先ほどまで自らが挑みながらも到底信じがたい事実に、ドロシーが零れかけた悲鳴を必死で呑み込んでいる傍らで。
目を覚ましたテミスは抗議の声を上げながら体を起こし、ギルティアはその言葉に淡々と言葉を返していた。
「なんなのよ……もう……」
緊張が一気に緩んだ反動の徒労感と、安堵。そして限界まで魔力を消費した疲労に襲われたドロシーは、眼前で当然であるかのように言葉を交わし始めたテミスとギルティアの傍らで、尻もちをついた格好のまま力無くそう呟きを漏らしたのだった。




