1540話 白刃血風
抜き放った太刀と刀を携えたまま、リョースとコハクはその歩みを緩める事無くサージルへと歩み寄っていく。
そこは既に、サージルの能力の影響下に置かれており、二人には通常であれば立つ事すらままならない程の状態異常が襲い掛かっていた。
だが、二人はサージルの能力に蝕まれても、己が気合を以て無理矢理に肉体を繰りながら、鋭くサージルを睨み付ける。
「……。確か、コハク……と言ったな?」
「えぇ。以後、お見知りおきを。リョース魔王軍軍団長殿」
「見事な闘気だ。貴殿ならば――」
「――後を任せられる……と? ご冗談を。貴方ほどの者が捨て駒になるおつもりで?」
「っ……!!」
コツリ、コツリと歩を進めながら、リョースとコハクは短く言葉を重ねるが、まるでその心中を見透かしたかのように語ったコハクに、リョースは小さく息を呑んで視線を向けた。
「……テミスはあの傷だ。例え命を繋いだとて、しばらくの間戦う事はできまい。奴が動かぬ今こそ好機。戦いの主導権を掌握する必要がある」
「ですがそのためには、敵の情報が圧倒的に足りない……。だからこそもう一度……己が身を以てテミスを倒したあの技を出させる……と」
「他に手はあるまい。あのサキュドでさえ近付く事すらままならんのだ。無論、私とてただやられる気など毛頭ない。テミス……如何に強かろうとも奴は人間だ、魔法や呪いの類への抵抗力は私の方が勝る」
「ならばその役。私が担うとしましょう。なぁに、ご安心を。娘の前です。意地でも斃れる訳にはいきませんから」
「しかしっ……!! ッ――!!」
歩調を合わせて歩いていた筈の二人であったが、コハクは次第にその足を速めると、ゆらりと体を揺らして、決死の覚悟を以て挑まんとしていたリョースの前へと躍り出る。
直後。
コハクは肩越しにリョースを振り返ってクスリと笑みを浮かべると、朗らかに言葉を残して、一瞬のうちにサージルとの間合いを詰めた。
「くかかかかかっ…………。あぁ……?」
「ふむ。ここまで間合いを詰めたとて動きは無し。やはり魔法や呪いの類とは思えない」
「チッ……!! まさかあの女以外に、俺の能力の中でここまで動ける奴が居るとはなッ!! 大人しく寝ていれば良いものをッ……!」
「構えすらしない……。となるとやはり……」
「何をブツブツと言ってやがるッ!!! 俺の拝謁の邪魔をした罪は重いぞッ!!! 漸く……漸くお褒め頂けたというのにッ……!!!!」
間近まで肉薄したコハクに応ずるかのように、それまで高笑いを零しながら天を仰ぎ、動く事の無かったサージルが、ギョロリと瞳を動かしてコハクを睨み付ける。
その視線には、凄まじいまでの殺気が籠っていて。
それでも尚、武器を構える事すらしないサージルに、コハクは胸の内で一種の確信めいた推測を立てると、小さく笑みを零した。
「知らぬ話だ。私に罪があると言うのなら、その手で斬り伏せてみるが良い。私は私で、友の為にお前を斬ろう」
「野蛮人めッ……!!」
そして僅かの隙すら無く、コハクはサージルを千々に刻むが如く白刃を振るった。
コハクの放った幾つもの斬撃は、一瞬の間に重ねられたまさに神速の剣。間近でそれを見ていたリョースですら辛うじて目で追う事ができたのは、最後の一太刀だけだった。
だが……。
「馬鹿なッ……! やり過ぎだッ……!!」
「カハハッ……!!」
「っ……!!」
ぶしぃっ……! と。
直後に噴き出すように血を流したのは、白刃を振るったコハクの方で。
全身を刻まれたはずのサージルには傷一つ付いてはおらず、へらへらと馬鹿にしたような笑みを浮かべて高笑いを続けている。
だというのに、依然として魔力の動きを感じる事はできず、リョースはただ強力な手勢が一人減ったという事実に歯噛みをすると、固く食いしばった歯の隙間から悔し気に言葉を零した。
「アハハハハハハハハッ……!!! 馬ァァァァァァァ鹿がよォッッ!!! あの女の末路を見てなかったのか? 俺は女神様の使徒ッ!! 当然!! その加護が!! 寵愛がッ!! 俺の身を守護して下さっているッ!!」
「クッ……!!!」
敵の言葉を鵜呑みにするなど愚の骨頂。
そう理解していながらも、一切の攻撃が通らないサージルを前に、リョースは苦々し気に歯を食いしばった。
このままでは勝ち目がない。長く戦場に身を置き続けていた自身の直感が声高に叫ぶのを感じながら、リョースはそれでも退く事なく太刀を構える。
たとえ敵わずとも、この命を以て時間を稼ぐッ!! せめてテミスが命を繋ぎ、ギルティア様とドロシーが動くことの出来るようになるまでッ……!!
滾りをあげる忠義を寄る辺に、リョースが闘志を漲らせた時だった。
「っと……。なるほどなるほど」
「ッ……!!?」
「……っ! それ程の傷でよくッ……!!」
立ったまま血飛沫をあげ、一度はグラリと体勢を傾がせたコハクだったが、次の瞬間にはその姿は掻き消え、涼し気な表情でリョースの隣へと姿を現す。
その動きにはサージルも、そして味方であるはずのリョースも驚きを隠す事ができずに息を呑んで言葉を零す。
「奴の手の内が読めてきた。まだ……少しだけですがね」
そんなリョースに、コハクはクスリと不敵な笑みを浮かべて視線を向けると、自らの鮮血で濡れた戦装束をバサリと翻したのだった。




