1537話 血みどろの絶望
それは、突然の出来事だった。
サージルを一刀の元に斬り伏せたテミスが、悠然と踵を返した時。
彼女がその身に纏う漆黒の甲冑の隙間から、ドロリと夥しい量の血が零れ出てきたのだ。
直後。
テミスはまるで糸の切れた操り人形が如くその場に倒れ伏し、しかし自らの出血を知覚していないかの如く、すぐに起き上がるべく藻掻いている。
だが、僅かにその身が持ち上がる度に、甲冑の隙間からは夥しい量の鮮血が滝のように流れ出し、倒れ伏したテミスの周りに血の池を作り出した。
「動くな馬鹿者ッ……!!」
「テミスッ!!」
それを見咎めたギルティアが叫びをあげるのと、地面に座り込んでいたフリーディアがテミスの名を叫びながら駆け出したのは全くの同時で。
ギルティアが鋭い視線をサージルへと向けた傍らで、フリーディアは脱兎の如くテミスの側へと駆け付けると、溢れ出た血が自らの純白の甲冑を汚す事も厭わず傍らに膝を付いた。
「テミスッ!! 返事をしてッ!! テミ――ッ!!?」
「…………」
うつ伏せに地面へと倒れ伏したテミスに縋り、フリーディアはテミスが身に纏う甲冑へと手を添えながら叫びをあげる。
しかしその叫びた直後に絶句へと変わり、眼前に広がる光景の衝撃に耐えかねたフリーディアはビクリと身を震わせると、遠退きそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。
「っ……。フリ……ディア……か……? な……にが……」
「テミスッ!! 喋らないでッ!! すぐに治療を……ッ!! 駄目!! 何でも良いから喋り続けてッ!! 眠っては駄目よッ!!!」
「ハ……何を言っている……。無茶苦茶じゃぁ……ないか……」
「身体を動かそうとしなくていい!! お願いだから動かさないでッ!! 喋り続けなさいッ!!」
だが、フリーディアが衝撃に打ちひしがれていられたのも束の間。
呻き声と共にテミスが弱々しい声を発すると、フリーディアは焦りと絶望でぐちゃぐちゃにかき乱された思考を辛うじて律しながら、脳裏に浮かんだ言葉を発し続けた。
「フリーディア。容態は?」
「ギルッ……! 治療師を呼んでッ!! 速くッ!! 知っているわッ! 魔王城には居るんでしょう!! 傷を治す魔法使いッ!! 全員集めてッ!! テミスッ!! 私が解るッ!? テミスッ!!」
「っ……!!!」
即座にテミスの元へと駆け出したフリーディアに遅れて、ギルティアが警戒の視線をサージルへと向けながら駆け付ける。
けれどフリーディアはその声に一瞥すら向ける事無く緊迫した叫びをあげると、テミスの名を呼び続けた。
その間も、テミスが纏った漆黒の甲冑のすき間から流れ出る血が止まる事は無く、まるで穴の開いた水袋が如き勢いで、鮮血が地面を汚し続けていた。
「……無理だ。それでは到底間に合わん」
「そんなッ……!! 良いから早くッ!! テミスならきっと大丈夫ッ!! お願いだからッ!!」
「たわけ。落ち着かんか。ドロシーッ!!! リョースッ!!」
「ハッ……!」
「こちらに」
その光景を一瞥したギルティアは、声を枯らして叫び続けるフリーディアを力の籠った言葉で諫めると、膨大な魔力を込めた声で自らの配下の名を呼んだ。
すると次の瞬間。
ギルティアの背後に名を呼ばれた二人が傅いた状態で姿を現し、畏まった様子で返事を返す。
「リョース。ファント・ギルファー・ロンヴァルディアの者達と協力して乱入者の相手をしろ。ただし倒そうとするな。足止めだけで良い」
「畏まりました。ですが……」
「テミスの一撃は確実に奴を両断していた。だが……この様を見ろ」
「ッ……!!! 承知。徹底致します」
「任せる」
そんな二人の軍団長を一瞥した後、ギルティアが淡々とした口調でリョースへと指示を下すと、リョースは再び頭を下げた後、チラリと血だまりに沈むテミスへ視線を向けてから、目にも留まらぬ速さでその場を後にした。
残されたドロシーは、未だ頭を下げたままギルティアの言葉を待ち続けていて。
「ドロシー。テミスに蘇生魔法を使う。術式の準備が整うまで命を繋げ。見たところ傷が深すぎる。胴が離れているやもしれん」
「ッ……!! 蘇生魔法……!? ギルティア様、どうかご再考を! 御身が禁忌に触れられては――」
「――問答は許さん。元より世界の禁忌など飽きるほど破り抜いた身だ。今更一つ重ねた所で何も変わらん」
「ッ……!! 御心のままに。……退きなさい! 邪魔よ!! くっ……!!」
「あっ……!?」
「って……何よこの傷……。鎧は切れていないのにこんな……!! とりあえず血を止めないとッ……!!!」
続けてギルティアはドロシーへそう告げた後、虫の息で地面に伏せるテミスへと向き直った。
その命を受けたドロシーは、跳ねるように顔を上げるとその背に向かって口を開く。
だが、ギルティアが自らの周囲に幾つもの複雑な紋様の魔法陣を展開しながら、ドロシーの進言を叩き切ると、フリーディアを押し退けるようにテミスの傍らに膝を付いた。
そして、ドロシーはテミスの受けた傷の深さに驚愕の呟きを漏らしながらも、即座に両手に魔法陣を展開して治療を始めたのだった。




