142話 孤軍奮闘
「これは……やられたね……敵は確実に、こちらの手の内を読んでいるよ」
「うるさいわね。そもそも、お前の所の兵は何? 敵を目の前にしておめおめと逃げ帰って来るなんて……人間軍の教育の甘さが際立つわ」
「それは失礼を。けれど、兵達にも意思があるんだ。死ねと言われて素直に死ぬのは狂気でしかないと思うけれどね」
陣の中ほどに設えられた作戦卓を囲んで、一組の男女が口論を繰り広げていた。それは、口論と言うよりも一方的に突っかかる女を、男が適当に流しているだけだったが……。
「ハンッ……人間なんて壁程度にしか使い物にならない癖に……それすらもできないなんて家畜も良い所だわ。違うかしら? ライゼル?」
「……その家畜を頼ってきたのは、どなたなんでしょうかね」
「頼って無いわよ。利用してるってだけ。あなたにも十分旨味は用意しているでしょう?」
「……やれやれ」
ライゼルと呼ばれた男はぎゃんぎゃんと喚く女にため息をつくと、静かに距離を取って微笑を浮かべると言葉を続けた。
「待てと言うのに飛び出して行って、その上前後を押さえられて身動きの取れなくなった方にそう言われると、ありがたすぎて涙が出ますね。ドロシー軍団長?」
「何よっ! そもそも、テプローはアンタたちの領地じゃないの? ファントに付くとか訳が分からないんですけど!」
「確かに……テプローがファントに付いているのは意外ですね。あの難攻不落と謳われたテプローが沙汰も無く落ちるとは考えづらいですし……」
「そうよ! 全てはアンタ等人間軍が使えなさすぎるのと、味方にも裏切られるほど無能なのが問題って事!」
ドロシーはそう叫ぶと、怒りに任せて目の前に置かれた作戦卓を蹴りつけた。あの女が現れてから、こんな事ばっかりだ。
苛立ち紛れに爪を噛みながら、ドロシーは蹴りつけた作戦卓の上に置かれた駒を睨み付ける。攻略しかかっていたテプロー落としを邪魔され、ラズールでは独断専行。多少強いからとギルティア様に目をかけられているからと言って、私の目は騙せない。奴は間違いなく、汚い人間共が送り込んだ作戦要員だ。軍団の要を担う程に重用された瞬間、奴はギルティア様に牙を剥くだろう。
「クソッ……」
奴が行動を始める前に。ギルティア様がこれ以上奴に狂わされる前に。私が何とかしなくては……。
考えれば考えるほど、私の頭は空回っていく。状況は最悪だ。戦線後退の契約を交わしてまで、忌むべき人間共と手を組んだと言うのに、ここで奴を殺せなくては全てが水泡に帰してしまう。
「それで……? 爾後の策はあるので?」
「裏切られるような奴は黙っててくれないかしら? それか、冒険者将校であるアンタがテプローを落としてくれても構わないんだけど?」
ドロシーから少し離れた場所から、ライゼルがしまらない笑みを浮かべて語り掛ける。その煮え切らない態度が、ドロシーを更に苛立たせていた。
少なくとも、テミスの正体をコイツに知られる訳にはいかない。いっその事、本当にテプローに攻め入ってくれた方がありがたいのだが……。
「テプローを落とすのは難しいでしょうね……なによりもその労力に対して利が薄い。そちらに戦力を回すくらいならば、その分をファントに回すべきだと思いますがね」
「チッ……」
周りは敵ばかりだ。
ドロシーは舌打ちをすると、キリキリと痛む胃を抑えながら思考を巡らせる。
コイツもテミスも、人間の癖に妙に強かったり頭が回ったりするから厄介だ。素直に許しを請うなりすれば、生きる事くらいは許してやると言うのに……。
「ならば――」
「うるさい! 家畜は黙ってろっ!」
口を開きかけたライゼルに、ドロシーはヒステリックな叫びを叩き付けた。非常に不本意だが、通常の手段ではこの状況を切り抜けるのは難しい。だが、敵であるこいつの前で切り札を切ってしまう事はできない。
ドロシーの叫びが木霊して消えると、気持ちの悪い沈黙が二人の間に流れる。別段味方と言う訳でもないが、この水面を殴っているかのような反応の薄さはどうにも気分が悪かった。
「ならば、その家畜の戦い方をお見せしましょうか。次は、貴女の部下をお借りしますよ? ドロシー軍団長?」
「お断りよ! っ……。って言いたいところだけどね……」
ライゼルの言葉に反射的に返した後、ドロシーはすんでの所で言葉を付け加えて取り繕う。
悔しいが、今コイツがファントを攻めるのを止める理由が無い。理由も無くここで進軍を止めれば、何かしらの裏があることが知られてしまう。ならばせいぜい、テミスと接触する前に、適度に損害を与えつつ敗走してくれるのを願うしかない……。
「良いわ。せいぜい使える家畜であると証明してみなさい」
「はいはい。わかりましたとも」
歯ぎしりと共にドロシーがそう零すと、ライゼルはいけ好かない笑みを浮かべてその場を去っていったのだった。
2020/11/23 誤字修正しました