1535話 足引く妄者
一歩。また一歩と。
テミスとサージルの距離が縮まっていく。
二人の距離は、既に魔法の射程圏を大きく割って入っていて。
だが、テミスは未だ不敵な笑みを浮かべて大剣を肩に担いだまま、動くことなくサージルを待ち受けていた。
「っ……!」
そして。二人の間合いが剣戟での戦いの三倍程度まで近付いた時。
テミスの視界が大きく歪み、突如として酷い倦怠感や吐き気が襲い掛かってくる。
その感覚はかつて、意識すらも朦朧とするほどの高熱に襲われた時。はたまた、浴びるように酒を飲み、自らの許容量を遥かに超えた翌日のようで。
それは、この世界では酒に酔う事すらできないテミスにとって、久しく味わう事の無かった絶望的なまでの不快感だった。
けれど。
「フッ……」
微かに身体が揺れたものの、テミスの表情が変わる事は無く。
肩に担ぎ上げられた大剣が、その刃をサージルへと向ける事も無かった。
筋力低下に視界不良、酷い頭痛を伴う高熱や吐き気など。サージルの力がもたらす状態異常は、なるほど戦闘の時に叩き込まれれば致命的な効果をもたらすだろう。
だが言い換えてしまえば、わざわざ魔法などという世界の理を越えた技を用いずとも再現できてしまう程度の現象なのだ。
音を越えた速度で動き回って斬りかかってくる訳でも無く、空間そのものを抉り取るような理不尽な術理でもない。
「他愛も無い」
「テェェェェミィィスゥゥゥゥゥッッ!!!」
ガギィィンッ!! と。
絶叫と共に振り下ろされたサージルの刃を、テミスは漆黒の大剣を振るって事も無げに受け止めると、二撃、三撃と続く斬撃も容易くいなす。
確かに、普段は重さなどまるで感じないブラックアダマンタイトの大剣は、竹刀を振り回しているかの如き重さを感じるし、剣筋も傍目から見れば大雑把で酷い物なのだろう。
また、サージル自身の身体能力もその力によって底上げされているらしく、そんじょそこいらの連中よりは遥かに重い斬撃を放ってくる。
しかし、それだけの話。
怒りに任せた斬撃に積み重ねた技は無く、少し剣技を齧った者であれば、振りかぶった直後から防ぎ方など解るほど単純だ。
それは、圧倒的に自分が有利な状況を作り出す力を持ってしまったが故の弊害であり、他者を引き摺り落とし、自らを磨く事を怠った者が辿り着く一つの末路とも言える。
「……まだわからんか? あの時とは違うのだ。もはやお前の刃が、お前の狂った怒りが私に届く事は無い」
「黙れェッ……!! お前は見下げ果てたクズだ!! 大恩を受けながら仇で返し、点に唾を吐く愚か者だッ!! 許せるはずが無いッ!! 世界の正しき意志たる女神様の敵ッ!! 世を乱す悪人はここで死ねェッ!!」
「無駄だと言った。さきほどの一撃……お前は技術者を攫わせて魔道具を作ったと言ったな?」
「それがどうしたっ! 悔しいのか? 悔しいんだろうッ!! あれはもうお前だけの技じゃあないッ!! 僕の技だッ!!」
「いや……。何かを得るにも人任せ。お前自身はただその力を誇示するだけで、何一つ生み出してなどいない。所詮はその程度の人間……恐れるまでもない」
ひたすらに剣を振りながら喚き散らすサージルに対して、テミスは放たれる斬撃を悉く受け止めながらも、一歩たりとも退く事なく淡々と言葉を紡ぎ続けた。
たとえ歪んでいようと、己が信ずる女神の敵を誅する……その信念の強さだけは見上げたものだろう。
けれど、高らかに唱えた信念も、中身が張りぼてでは何の意味もない。
仮にサージルが、神敵である私を斃すために一心不乱に剣の腕を磨き、魔法を学び、己が技を鍛えて立ちはだかったのならば、途方もなく強大な脅威となり得ただろう。
だが。奴が重ねてきたのはただ、他人の磨き上げた技を奪い、下らないプライドを盾に手段を選び、借り物の力を自らの力であると勘違いした。
そのようなものの何処に、恐れるべきものがあるのだろうか?
「ハハッ……!! 辛いか? 苦しいかッ!? 膝まづいて許しを請えよッ!! まぁ……許さねぇけどなァッ!!」
「……見るに堪えんな」
「っ……!!」
お粗末な斬撃と共に、延々と薄っぺらい挑発の言葉を並べ続けるサージルに、テミスは静かな溜息に混じってそう零すと、力任せに大剣を薙いでその威力を以て弾き飛ばし、斬撃ごとサージルを数歩退かせる。
そして。
己が力を大剣に込めると、サージルとの戦いに決着を付けるべく、白く輝き始めた大剣を高々と振り上げたのだった。




