1534話 救い無き者
観客席と闘技場とを隔てる障壁が再構築されていく下で、テミスはサージルへとひと際冷めた視線を向ける。
下らない。あの時、確かに焼き殺したはずのこの男が、何故こうして生き返っているのかは知らないが、せっかく拾った命すらまた妄執に囚われているようでは、そう評する他は無いだろう。
尤も、サージルが私へと向ける怨念じみた狂気すらも、ともすればあの女神を自称する女が植え付けた代物なのかもしれないが。
「……哀れだな」
「あァ……?」
テミスは偽らざる本心をぽつりと零すと、ただ真っ直ぐにその瞳でサージルを見据え続ける。
しかし、そこに籠っていた感情は怒りでも、ましてや憎しみでもなかった。
きっとこの男は、魂の髄まで彼の者の傀儡なのだろう。
ただ新たな生を与えられたというだけで妄信し、思考を……唯一与えられたはずの第二の生まで捧げる狂信者なのだ。
だが、たとえ魂全てを捧げたとて、サージルは奴の抱える抱える幾人もの手駒の一つ。
私のような反逆者が生ずればサージルのような尖兵を仕立て上げて送り込み、失敗すればまた新たに同じ役目を背負った何者かが、この世界に降り立つだけだろう。
若しくは……。
けれど、自らを神と偽るあの女を妄信するサージルが、その事実に気付く事は無い。
「本当に……哀れだな……」
「お前が言うな。それ程まで恩寵を賜ったクセに……!! あろう事かあの御方を裏切った見下げ果てたクズがッ!!」
「ハッ……!! 大した執念だ。一念天に通ずとも云う。お前のその妄執が、あの唾棄すべき女神モドキに届く事を願っているよ」
ガシャリ。と。
テミスは地面から抜き放った大剣を肩に担ぎ上げると、怒りに目を血走らせたサージルへ向けて静かに言葉を紡いだ。
この手の人間とは会話が成り立つ事は無い。
いくら言葉を重ねようと、いくら理を解こうとも、あの自称女神に脳味噌を侵されたこの男が聞く耳を持つ事は無いだろう。
それをよく理解しているからこそ、テミスは端から会話による和解や説得といった戦闘の回避を諦め、この場でサージルを殺す事こそが、この狂った勇者を止めることの出来る唯一の手段であると判断したのだ。
「骨一つ残さず殺してもこうして生き返って来たのだ。ここでお前を殺した所で、また復活して襲って来るのやもしれん」
「よぉ~く解ってるじゃないか。そうだ。俺には女神様が付いている、女神様を裏切ったお前と違ってなッ!! お前が女神様の使徒たるこの俺から逃げる事はできない。これは神罰だッ!! お前が死ぬまで終わらないんだよ。何度も……何度もなッ!!」
「あぁ。何度だって向かって来るが良い。それがあの女が寄越す神罰だと言うのなら、私はその事如くを斬り払ってやる。なにせ……罰を受けなければならん謂れなど無いのだからな」
「ッ……!!! ッッ……!!!! ッッ……!!!! ギ……貴ッ……様ァァァァ……ッ!!!」
まるで熱に浮かされたかの如く言葉を紡ぐサージルに、テミスは冷淡に言葉を返し続けた。
最初から対話をする事を放棄しているテミスと、テミスに怨嗟を吐き続けるサージル。
どちらが先に怒りに呑まれるかなど、幼子の目から見ても分かるほどに明らかで。
サージルは熱された溝泥を吐き散らすかの如く叫びをあげると、その腰に佩びていた剣を音高く抜き放つ。
「ハハッ……! そんなザマでよくもまあ女神の使徒だなどと名乗れたものだな。その表情……まるで悪鬼羅刹そのものだぞ? 一度でいいから自らの姿を顧みてみろ」
実に下らない。
テミスはそう胸の内で吐き捨てながら、激高するサージルに挑発を重ねた。
一度戦った相手の事だ。既に力の底は見えている。
この男が有する力は、相手に能力の低下を押し付けるというもの。
確かに、こちらの戦力が低下することに変わりは無いが、別段この男自身が強くなる訳では無い。
ならば。この男の力で下げられた分の能力を他の何かで補うか、低下した状態で尚圧倒してしまえば良いだけの話だ。
サージルに勝ち目など一片たりとも存在しない。
月光斬一撃で終わらせてしまえば話が早いのだろうが、未だに観客席を覆い切ってはいない障壁では、月光斬を受け止め切れない可能性がある。
そう知っているからこそ、テミスはただ悠然とその場で剣を携えたまま、サージルが怒りのままに猛進してくる姿を、不敵な微笑みを浮かべてただ眺めていたのだった。




