1530話 命焦がれて
ギルティアの振るう闇色の長剣を弾き飛ばすべく大剣を振るった刹那、テミスは自らの時間間隔が伸びるかのような奇妙な感覚に襲われた。
事実。テミスの目に映る禍々しい気配を纏った闇色の長剣の動きは緩慢で、世界の全てがまるでスローモーションにでもなってしまったかのような感覚だった。
そんな感覚に襲われると同時に、テミスの脳裏に天啓のように一つの違和感が過る。
――何かがおかしい。と。
あの剣は、仮にもあれほど強大な力を持つギルティアが、まるで自らの切り札であるかの如く引きずり出してきた代物だ。
こうして間近で眺めてみても、その悍ましい程に禍々しい気配が変わる事は無く、ギルティアの語った神殺したる曰くがついているのも納得できる一振りと言えるだろう。
けれど、いかに優れた剣であろうと、遣い手の腕が陳腐であれば宝の持ち腐れ。
如何に強力無比な矢を打ち出す弓を持っていようと、弦を引けなければただの反った棒に過ぎないし、鉄をも切り裂く名刀を佩いていたとしても、相手と斬り合うことの出来る腕がなくては棍棒にすら劣る。
故に。テミスはギルティアの懐へ飛び込んで一気に決着をつける道を選んだのだが……。
――っ……!!!
瞬間。全てが緩慢に動く世界の中で、唯一高速で動き続けるテミスの思考が一つの可能性へと思い至る。
ギルティアの剣技の腕は拙い。
長剣の握りは甘く、完全に開いた身体は隙だらけで、この程度の斬撃であれば、少し訓練を積んだだけのアリーシャであっても捌く事ができるだろう。
だがもしも……。
この剣が、剣技すら必要としない程の代物だったら……?
その可能性を閃いた瞬間、テミスは全身の肌が粟立つのを感じながら、ぎしりと固く歯を食いしばった。
何が警戒して損をしただ。直前まで甘い思考に身を浸していた自分を殴り飛ばしてやりたい。
これならば、怯えて震え蹲っていたフリーディアの方がはるかにマシだ。
あの悍ましい剣への恐れを覆い隠すあまり、より甘い……楽観的な読みを盲信していたッ!!!
――この斬撃は絶対に受けてはいけない。
思考を後悔と焦燥に突き落とされながらも、テミスは瞬時に思考を行動へと反映させると、迫り来る闇色の長剣を躱すべく、振るった大剣の軌跡を追うように身体を傾がせ始める。
このような単純極まる斬撃、本来ならば軌跡を読むまでもなく弾き飛ばせる。
だがもしも、最高硬度を誇るブラックアダマンタイトの大剣を以てしても、その斬撃を阻む事ができなかったら……?
大剣に阻まれるはずのその軌跡は、綺麗にテミスの胸元辺りを両断する高さで振るわれていて。
全霊を込めて回避に徹しはじめた今でも、その刃が描くはずの軌跡からは逃れきれておらず、このままでは首元か顎か……その辺りから入った刃はテミスの頭を逆袈裟の形で真っ二つに両断するだろう。
「クッ……ッ……!!!!!」
それでも尚。
テミスは固く食いしばった歯を更に噛み締めると、首を千切れんばかりに傾がせて頬を自らの肩へと押し付けた。
同時に、無理に体勢を崩した所為でテミスの足は宙へ浮き、支えを失った身体は自らが振るった大剣の勢いに引き寄せられるかのように回転を始める。
そして……。
「ッ~~~~~!!!!!」
「…………」
ぶおん。と。
ギルティアの振るった闇色の長剣が、酷く緩慢な音を立てながら、地面へ向けて飛び込むように回避したテミスの頭上を通過していった。
直後。
完全に体勢を崩したテミスは、自ら地面へ上体を叩き付けるかのような勢いで倒れ込み、振り上げた大剣が手から離れて宙を舞う。
時間にして一秒にも満たない刹那の時間ではあったが、テミスにとっては永遠に等しく感じられるほど緊張に満ちた一瞬で。
数秒の空白の後。
宙を舞った漆黒の大剣がザクリと音を立ててテミスの頭の傍らへと突き刺さるまで、テミスは自らがギルティアの斬撃を回避した事に、思わず涙が零れてしまいそうになるほど安堵していた。
「ハッ……! ハッ……!! ハッ……!!!」
短く浅い呼吸を繰り返しながらも我に返ったテミスは、ギルティアの足元に転がっている現状から脱するべく、自らの頭の傍らに突き立った大剣を盾にするように身を翻して身体を跳ね起こした。
しかし、その間もギルティアは闇色の長剣を振り切った格好のまま動く事は無く。
ギルティアは体勢を立て直したテミスが、地面から剣を抜き放つまで残心を解く事は無かった。
「ッ……!!」
「……。クク……あの土壇場でよくぞ躱してみせたものだ……」
次は何が狙いだ……? と。
不自然に動かないギルティアを警戒したテミスは、大剣を構え直しながら、様子を窺うように一歩、また一歩と退いていく。
だがそんなテミスに、ギルティアは喉を鳴らして笑い声を漏らすと、振り切った闇色の長剣で再び空を薙いで、その鋭い眼光をテミスへと向けたのだった。




