1529話 罪禍の剣
ギルティアの抜き放った闇色の長剣を前にしたテミスの頬を、冷たい汗が音も無く伝う。
アレは何だ……?
ギルティアの握っている得物が『剣』であることは認識できる。だが、視界に収めただけであるにも関わらず、悪寒が背筋を駆け巡り、吐いてしまいそうな程に強烈な嫌悪感と拒絶感が襲い来る。
「罪禍の剣。こいつを抜くのも実に久方振りだ。尤も……本来この剣に名など無く、俺が勝手にそう呼んでいるだけだがな」
「ッ……!!」
「ぁ……ぁ……ぁぁッ……!!」
禍々しい気配を放つ長剣を手にそう語るギルティアを前に、テミスは全身の肌が粟立つ感覚に襲われながらも、固く歯を食いしばって大剣を構え続けた。
だが、そんなテミスと肩を並べていたフリーディアは、ガシャリと鎧を鳴らしてその場に尻もちをつくと、恐怖に染まり切った顔でガタガタと全身を震わせた。
「チッ……!! おい、ギルティア。一体そいつは何だ? どこからどう見てもマトモな代物で無いのは確かだ」
「語る気は無い。そもそも語り聞かせた所で、今のお前に理解できることではない」
「いつになく傲慢だな。それとも、今のお前が本来の姿なのか?」
「安い挑発だ。だが……そうだな。この剣は神殺しの剣。こいつが纏っているのは、かつて神に成り代わらんと欲したヒトの犯した原初の罪業だ。……俺に傷を負わせた褒美としてはこの程度か」
「神……」
ギルティアがそう語ると、テミスの脳裏にあの女神を名乗る女の顔が過る。
私がこの世界へと生を受けるきっかけとなった存在で、私は奴を下らない偽りを吹き込んできた偽物だと踏んでいる。
事実。あの女神の語ったように、眼前の魔王は悪辣ではなく、対する人間達の方が嫌気がさす程に腐りきっているという体たらくだ。
ならば、あの剣は……。
告げられた言葉の意味を、テミスが深く思案し始めた時だった。
「お喋りはこの辺りで良かろう。さぁ、構えろ。僅かたりとも気を抜くなよ? なにせこいつを振るうのは俺であってもいつぶりであったか思い出せぬほどだ。ともすれば、加減を誤ってしまうやもしれん」
「っ……!!」
「ぅぁ……ぁぁ……ぁ……」
「チィッ……!!!」
闇色の長剣で音も無く空を薙いだギルティアがそう告げると、テミスは傍らのフリーディアへチラリと視線を向ける。
しかし、そこにいるのは完全に恐怖に呑まれて腰を抜かし、うわ言のように意味の無い音を唇から零している少女だけで。
相手がどんな曰く付きの得物であれ、アレが剣であることに変わりはない。先程までの魔法での絨毯爆撃のような物量での飽和攻撃でなければ、フリーディアの手を借りずとも渡り合う事はできる筈だ。
そう判断したテミスは鋭く舌打ちを零すと共に、まるでフリーディアを庇うかのように前へと進み出た。
「おいフリーディア!! 私の後ろから絶対に動くなよッ!! 怖いのなら、せめて邪魔にならんように身を低く屈めてうずくまっていろッ!」
テミスはそのまま大剣を肩の高さで構えると、振り向く事すらせずに背後のフリーディアに吐き捨てるように告げる。
しかし刺々しい口調とは裏腹に、テミスがフリーディアを粗雑に扱う事は無く、その思考の内ではフリーディアを守る事を前提とした戦略を組み上げていく。
これほど濃密な魔力にあの訳の分からない剣。誰かを護る為の大義ある戦いならばいざ知らず、このような場では戦う理由の無いフリーディアが怖気づくのも無理は無い。
だが、フリーディアがこのザマでは魔法を撃たれればこちらが圧倒的に不利。
頭数を生かした撹乱戦法は使えない。ならばできる事は、ギルティアが動く前にこちらから近接戦闘を仕掛ける事ではあるが……。
「……興覚めさせてくれるなよ?」
「ッ……!?」
自らの不利を理解していながらも、不快な威圧感を放つギルティアの長剣を前に、テミスは接近戦を挑む事を躊躇した。
しかしその直後。
まるでそんなテミスの思考を読み取ったかのように、長剣を持たないギルティアの手が言葉と共にテミス達へ向けてゆっくりと持ち上げられる。
他に手は無い。
確かな直感と共に、テミスはその場にフリーディアを残し、ギルティアへ向けて疾駆した。
対するギルティアは、真正面から斬り込んでくるテミスに、構えすらしていなかった闇色の長剣を横薙ぎに振るって応ずる。
その身体捌きは、実戦的な剣術に身を置いてから日が浅いテミスの目を以てしても理解できる程に甘く、避けるも捌くも容易な温い一閃だった。
「ハッ……!!」
警戒して損をした。
あれ程自信満々に出してくるものだから、ギルティア自身も卓越した剣の腕を持っているのだと思ったが、やはり奴の本業は魔法らしい。
ならばこのまま、ご自慢の剣を弾き飛ばして斬り伏せるのみッ!!
ギルティアの斬撃を見たテミスはクスリと笑みを浮かべると、そのまま更に一歩を踏み込み、長剣の間合いへと身を躍らせる。
そして、第一撃目で振るわれた長剣を弾き上げるため、巻き上げるように大剣を振り上げたのだった。




