1528話 二人の勇者
パタリ……ピチャリ……と。
未だにテミスの斬撃とギルティアの楯が競り合い軋みを奏でる中。湿った音と共に鮮血が滴った。
「……っ!!」
「…………。見事だ。傷を負わされるなど、何百年ぶりの事だろうか」
フリーディアの放った渾身の一撃は、確かにギルティアの身を貫いていた。
しかし、穿ったのは狙いを定めた肩口ではなく掌。
黄金色の盾を引き受けたテミスに応じながら、ギルティアは空いた片手でフリーディアの刺突を受け払ってみせたのだ。
「フム……少なくとも、私が魔王を名乗り、ヴァルミンツヘイムに根を下ろしてからは初めての事だ」
掌を貫かれているというのに、ギルティアはまるでその痛烈な痛みすら愉しむかのように腕を動かすと、ゆっくりとフリーディアの剣から自らの手を抜き取った。
当然。剣によって塞がれていた穴が開いた故に、傷口からは夥しい量の血が溢れて闘技場の土を濡らす。
だがその間も、テミスに対して展開した黄金色の盾による守りが揺らぐ事は無く、守りを破る事はできないと察したテミスは、小さな舌打ちと共に剣を引くと、クルリと身を翻してフリーディアの隣に並び立った。
「テミス。フリーディア。誇るが良い。お前達はこの私に一太刀を入れてみせたのだ。我が数々の魔法を潜り抜け、絶対の守りすら破ってな。お前達の連携を以てして放たれたこの一撃は、ヴァルミンツヘイムの歴史に刻むべく偉業と言う他あるまい」
刃を押し付けていたテミスが退くと、それに伴ってギルティアの展開していた黄金色の盾も消え、両の手が自由となったギルティアは真正面からテミス達へと向き合って朗々と賞賛の言葉を述べ始める。
しかし、実際にその身を穿ったフリーディアにとって、その賛辞は全てこれから屠らんとしている者へ対する手向けの言葉に聞こえて。
事実。
吹き荒れる嵐が如く、その身から無秩序に放たれていたギルティアの魔力は、今やその勢いこそ和らいだものの、代わりに周囲の大気から濃密な粘りのようなものを感じるほどに重さを帯びていた。
「……どうした? まさか、一撃を喰らったから降参する……などと言うまいな?」
「無論だ。だが、少しばかり口惜しくてな」
「っ……!!」
不敵な微笑みを浮かべて挑発するテミスに、ギルティアは相も変わらず涼し気な表情のまま淡々と言葉を返すと、自らの傷を受けた手を掲げて舐めるように眺めまわし始める。
掌を貫かれた程度で死に至る魔族は居ない。人間ですら簡単な手当てを施せば生き永らえる程度の傷なのだ。戦場に出る者からしてみれば掠り傷程度のもの。
だというのに、ギルティアは酷く物珍し気に、そして血の滴る自らの掌をその目に焼き付けるかのように、じっくりと視線を注ぎ続けている。
同時に。まるで何事もないかのように言葉を交わす二人の傍らでは、目を大きく見開いたフリーディアが一人、浅い呼吸を繰り返していた。
「口惜しい……だと?」
「あぁ。いくら戦場を模しているとはいえ、この場はあくまでも大会だ。我が前に立ちはだかったお前達もまた、真に勇者たちという訳では無い」
「……っ。……!!」
止めて。もう止めてッ!!
ギルティアとテミスが言葉を重ねる度に、フリーディアは胸の中で叫びをあげる。
叫びたい。けれど、声なんて出せない。
今、彼の機嫌を損ねてしまえば、何が起こるかなんてわかりきっているから。
許されるのなら、逃げ出したい。今すぐにでもこの手に握った剣を投げ出し、この胸に溜まった恐怖を叫びながら。
でも、そんな事をすればたちまち『私』に価値は無くなってしまう。
できる事はただ一つ。せめて命ばかりは残して貰えることを祈りながら、石像のように息を殺して立ち竦んでいる事だけ。
「せめて……ここが戦場であったならばな……。この沸き立つ血の滾りを、狂おしい程に疼く我が胸の渇きを、僅かばかりではあるが癒す事ができたのかもしれん」
「ッ……!!!!」
「ひっ……ィ……ッ……!!!」
傷付いた手を握り、開きながら。ギルティアがゆったりとした口調で言葉を紡いだ瞬間。
その身から溢れ出している濃い魔力が一気に膨れ上がった。
魔力の解放……。否。
これは決してギルティアが意図して行ったものではないだろう。
ただ、その感情の高ぶりによって僅かに漏れ出しただけ。
その証拠に、魔力の膨張は一瞬で収まり、今は元の濃密な魔力が漂うばかりになっている。
しかし、それは既に心の折れかけていたフリーディアの戦意を折り砕き、その強さを肌で感じながらも次なる策を練っていたテミスを警戒させるには十分過ぎるほどで。
「お前達はその戦いを以て、この大会を催した意義は十分に果たした」
「そうかい。その意義とやらが、せいぜい私達にも利のある事だと願っているさ」
「当然だろう。故に……ここからはせめてもの慰みだ。テミス、フリーディア。この俺をその気にさせたのだ、お前達には存分に付き合って貰うぞ?」
ゆらり……と。
ギルティアは言葉と共に傷付いた手を自らの身体の横へと動かすと、闘技場の地面へと向けて掌を翳す。
その僅かな時間の間に、フリーディアによって貫かれ、止めどなく血を流していた筈の掌から傷は消え失せていた。
そして次の瞬間。
ギルティアの翳した手には、まるで虚空を裂いて何処からともなく現れたかのように、闇色の長剣が握られていたのだった。




