1525話 心、解き放って
逸らされた。
大剣の切っ先をギルティアの姿を覆い隠した土煙の方へと向けながら、テミスは胸の中でひとりごちる。
無論。魔王を名乗る程の男なのだ。たかだか月光斬の一発や二発で倒せるような存在で杯事は承知している。
だが少なくとも、今の一撃であれば手傷を負わせる事は確実にできる。
「……そう思っていたのだがな」
斬撃を放った瞬間。ギルティアの前には確かに、黄金色に輝く盾のようなものが現れていた。
ギルティアの障壁を破った月光斬はそのまま盾に当たり、今に至る訳だが……。
「フリーディア。このまま攻勢に回りたい所だが、生憎この土煙だ。視界の利かない中へ無理に突っ込む訳にもいかん」
「貴女……本気で彼が無事だと思っているの? ここはヴァルミンツヘイムなのよ? それもこんな衆人観視の中で魔王である彼を殺めてしまったら……」
「……敵に心を砕くのは勝手だが、その想いに足を掬われるなよ? 私の予測が正しければ、恐らく次はあちらから仕掛けてくるはずだ」
「本気……みたいね……。わかったわ。それで、私はどうすれば良いの?」
「奴の魔法……死にたくなければお前は絶対に受けようとはするな。一見容易く見えたとしても、空間ごと削り取ったり、触れた瞬間に爆縮するような、ふざけた魔法が混じっている」
「っ……! 弾いたり、受けたりできないという事ね……。了解よ。というかテミス貴女……そんなものを相手に逃げ回っていたの……? 正気じゃないわ」
「ハン……魔王に挑むなど正気でやっていられるか。兎も角……死ぬなよっ……!!」
斬撃が逸らされた瞬間を直接この目で見た訳では無い。
しかし、テミスは確信を胸にフリーディアに忠告をすると、自らも胸の内でドクドクと高鳴る鼓動を沈めるべく深呼吸をした。
その時。
土煙を押し流すかのように一陣の風が吹き渡り、テミスたちとギルティアの間を遮っていた土煙が一気に晴れる。
そこには。
テミスの予測通り、無傷で佇むギルティアと、その前には黄金色の盾のような形をした紋様が、魔法陣が如く中に浮かんでいた。
「まさか……浄罪の楯を使わされるとはな。流石に驚いたぞ、テミス」
「フン。涼しい顔でやり過ごしておいて良く言う……。腕の一本や二本獲れているならば兎も角、全くの無傷とはな」
「っ……!!!」
「そう悲観する事は無い。浄罪の楯は私の持ち得る中でも最強の守り。よもやこの戦いで使う事があるとは露ほども思ってはいなかった。誇るが良い。お前達は私の予測を遥かに超えてみせたのだ」
驚愕に言葉を失ったフリーディアの傍らで、テミスとギルティアは互いに不敵の微笑みを浮かべながら朗々と言葉を交わす。
だが、いくら取り繕おうともテミスの消耗が激しいという事実に変わりはなく、一方でギルティアから放たれる圧倒的な魔力は、衰える気配すら見えていない。
もはや消耗戦は無意味。
ならばまずは、あの障壁と黄金色の盾を用いたギルティアの防御を破る必要がある。
言葉もなく僅かに視線を合わせたテミスとフリーディアは、それだけで互いの胸の内を察すると、小さく頷き合った。
だが……。
「フッ……浮かない顔だな? お前達が今考えそうな事といえば、浄罪の楯の破り方……といった所か」
「ッ……!!!」
「…………」
ギルティアは小さく鼻を鳴らすと、即座にテミス達の思惑を看破し、悠然とした口調でそれを言い当ててみせる。
自分達の思考を読まれた。その衝撃はテミス達にとって小さくないものであり、二人は揃って息を呑むと鋭い視線をギルティアへと向けた。
「そう睨むな。簡単な推理だ。テミス。お前が私の魔力切れを狙っていたのは理解している。そしてお前たち二人が揃い攻勢に出た所を見ると、退屈な消耗戦が不毛だと気が付いたのだろう? ならば、勇猛果敢なお前達が考えそうな事は一つしかあるまい」
「……フゥ。いかんな」
「っ……!? テミス!?」
緊迫感あふれるテミス達へ、ギルティアはまるでとても面白いものでも見ているかのようにクスクスと笑うと、肩を竦めて言葉を重ねた。
それを聞いたテミスは僅かに目を見開いた後、構えていた大剣の切っ先を下すと、まるで準備運動でもするかのようにその場でぐるぐると肩を回してから、首を鳴らして息を吐いた。
傍らでフリーディアが驚愕して声を上げるが、テミスがそれに応える事は無く、遂には携えていた大剣すら傍らの地面へと突き立てて大きく体を伸ばす。
そして、一連の運動を終えたテミスは、地面へと突き立てた大剣の柄頭にフワリと掌を乗せると、皮肉気な微笑みを浮かべて口を開く。
「こうして言葉を交わしていると、まるで全てお前の掌の上で踊らされているかのように思えてしまう」
「だからこそ、敢えてそのような無防備な姿を晒したと?」
「そんな所だ。気持ちを切り替えたと言う方が正しいがな。さぁて……なんだか楽しくなってきたぞ。ご自慢の浄罪の楯とやら、どう破ってやろうかね……」
その微笑には、先程までの張り詰めた緊迫感は無く、虚勢ではない本物の余裕が感じられた。
事実。テミスの心の内からは、アリーシャの前だから華々しく勝たねばならないだとか、サキュドとヴァイセの奮戦に応えねばならないという、背負い込んでいた気負いが消え去っており、その耳には会場に響き渡る大歓声や興奮した様子でまくし立てている実況の声が届いていた。
「ククッ……大盛り上がりだな。そうだ……ならば一つ面白いものを見せてやろう」
そんな会場の熱狂を一身に浴びながら、テミスはゆらりと地面に突き立てていた大剣を持ち上げると、その切っ先をギルティアへと突き付けてそう言い放ったのだった。




