1519話 忠義の男
並々ならぬ気迫を背負ったカルヴァスに告げられた言葉に、一瞬の間フリーディアの思考がフリーズする。
今、彼は何と言ったのだろう?
己の耳が聴き取った言葉を信じ切る事ができず、頭の中で二度、三度と反芻し、漸く聞き違えたのではないと理解する。
「っ……! 無茶よカルヴァス! 何を言っているのッ!? 許可できないわ。貴方一人では到底……」
そして理解した瞬間、フリーディアの口から飛び出たのは叱責の叫びだった。
それは白翼騎士団の団長としての言葉であり、指揮官として正しい戦力分析に基づいていた。
ここで、到底相手にならない……と、全ての言葉を紡がなかった事こそが、フリーディアのせめてもの優しさなのだろう。
だが。
「フリーディア様こそ、何を仰っているのですか? 今の貴女は、テミス殿の事を気にかけてばかりで、目の前の戦いに集中できていない」
「それは……っ!」
「……このままでは共倒れです。あちらも、そう長くは持たなさそうだ。ですから! お早くッ!!」
「ぁっ……!!」
厳しい言葉を叩き付けると共に、カルヴァスがチラリと視線でテミスの方を示す。
するとその先では丁度、ギルティアが放った魔法の余波を受けたテミスが、吹き飛ばされて地面の上を転がった所だった。
「……! っ~~!!! 無茶と無謀は違うわよ……? 勝算はあるの?」
「当然。そうでなくてはこのような事、申し上げていませんッ!」
「……わかった。任せるわ」
フリーディアは、剣を構えたままリョースと睨み合うカルヴァスと言葉を交わすと、僅かな逡巡を見せながらも小さく頷き、突進するかの如く低く構えを取る。
だが、フリーディアがギルティアと戦うテミスの元まで辿り着くには、眼前で太刀を構えるリョースの傍らを駆け抜けなくてはならず、当然それを易々と許すような相手ではない。
それでも、フリーディアは大きく息を吐き出すと、僅かに目を瞑ってから再びその双眸を見開いた。
「いくわよ。カルヴァス」
「いつでも」
そして、フリーディアが決意の籠った声でそう告げると、カルヴァスは背後を振り返ることなく短く答える。
次の瞬間。
「ッ……!!」
「この私がそのような事……許すと思うか?」
脚に力を込めたフリーディアは脱兎の如く前へと飛び出すと、リョースの傍らを走り抜けるべく地面を蹴り続ける。
無論。リョースが駆け出したフリーディアを黙殺する事は無く、剣すら交える事無く駆け抜けんとするフリーディアの、無防備な身体を狙って太刀を振り下ろした。
「ゥォォォォォォオオオオオオオオオッッッッ!!!」
直後。響いた咆哮と共に、カルヴァスがリョースへ向けて猛進すると、両の手で握り締めた剣に渾身の力を込めて振り下ろす。
その刃が狙うは肩口。
如何にリョースといえど、応じねば一撃で致命傷を負いかねない急所であり、無視することの出来ない一撃だった。
だが、たとえ全霊を込めていようとその剣速は悲しい程に遅く、瞬時のうちにリョースは、カルヴァスの攻撃をいなして反撃を加えてからでも、十分にフリーディアの後を追う事が可能だと判断する。
故に。リョースはフリーディアへと定めていた狙いを切り替え、まずは迫り来るカルヴァスの渾身の一撃を弾く事に専念した。
そして返す太刀で一閃。戦うまでもなく決着は付く。
振り下ろされるカルヴァスの渾身の一撃を受けるその瞬間まで、リョースは己が予測を微塵たりとも疑う事は無かった。
だが……。
「オオオオォォォォ!!!!」
「ムゥッ……!?」
軽い。
ガキィンッ!! と。
振り抜かれたカルヴァスの斬撃を受け止めたリョースが、はじめに感じたのは違和感だった。
気迫は十分。繰り出された斬撃も、主を先へと向かわせるために放った全霊の一撃なのだろう。
だというのに。
受け止めた斬撃はリョースが想定していたよりも遥かに軽く、胸の内を失望が支配する。
やはり所詮は人間か……。と。
技を磨き上げ、輝かしき誇りを掲げたとて、人間という種族の振るう刃が、身体能力で圧倒的に勝る魔族に届く事はごく稀なのだ。
そう。当然の如く軍団長と渡り合うテミスや、そんな彼女と相対するフリーディアが異常であり、普通は人間などこんなもの。
「下らん」
その残酷な事実に、リョースが憐れみすら覚えながらも呟き、反撃の一太刀を振るわんとした時だった。
「カァァァァッッッッ!!!」
「ッ……!!!」
確かに弾き返したはずのカルヴァスの剣が閃き、裂帛の気合と共に二撃目がリョースの首を狙う。
その望外の一撃は、攻撃に転ずるべく太刀を構えていたリョースにとって致命的な隙を突かれた一撃であり、防御する事の叶わない一太刀だった。
だが、リョースは即座にカルヴァスへの反撃を中断すると、大きく身を翻してカルヴァスの攻撃を躱す。
続けて第三撃、四撃……と。攻撃を躱されたカルヴァスは止める事無く剣を振るうが、その白刃は一度たりともリョースを捕らえる事は無く、最後には瞬く間に体勢を立て直したリョースの太刀によって受け止められ、身体ごと大きく弾き飛ばされた。
「……貴様。何をした?」
「答える義務は……無いッ!!」
ガシャガシャと甲冑が地面を転がる派手な音と共に、もうもうと立ち昇った土煙がカルヴァスの姿を覆い隠す。
しかし、フリーディアはカルヴァスが作った隙を掻い潜り、リョースの傍らを遥か前に駆け抜けており、翻る長い金の髪は既に手のひらほどの大きさとなっていた。
ギルティアの元へと駆けていくフリーディアをチラリと一瞥した後、リョースはもうもうと立ち込める土煙の中へ静かな声で問いかける。
そんなリョースに、カルヴァスはゆらりと立ち込めた土煙の中から歩み出ながら、力強くそう答えを返したのだった。




