1506話 魔王の降臨
僅かな静寂の後、響いたのは爆発音とも聞き違えかねない程の大歓声だった。
けたたましく響く悲鳴や声援はビリビリと空気を揺らし、テミス達ですらたじろぐ程の音圧を以て闘技場に響き渡る。
しかし、戦いの場に足を置く者達の中で唯一。
一身に声援を受けているはずのギルティアだけは、その凄まじい大歓声をものともせず、顔色一つ変える事無く悠然と歩を進めている。
「フフ……ハハハ……。良い余興であろう? お前達が全霊を以て挑むのならば、我等魔王軍とてそれに応えねばならん」
「っ……!! だからといってやり過ぎだ。見ろ、この有様を。収拾が付かんぞ」
「構うものか。喉が枯れるまで叫び、力尽きるまで飛び跳ねれば良い。このような形を取ったとはいえ、要は祭りなのだ。皆で楽しむ事こそが肝要だ」
「フン……かく言う私も驚いているがな……。だが良いのか? 魔王軍の長たるお前が出てきてしまって。少しでも無様を見せればただでは済まんぞ?」
鳴りやまぬ大歓声の中。
他の者達よりも遥かに早く衝撃から覚めたテミスは、闘技場を見渡しながら楽し気に嗤うギルティアへ言葉を返す。
尤も、観客たちの奏でる大音量の只中では、ただ言葉を交わすだけでも全力で叫ばなくては声すら届かないが故に、テミスは声を張り上げざるを得ないのだが。
「随分と言うようになったなテミス。お前とこうして相対するのは、お前がこの城へ打ち行ってきた時以来だったか? いやはや、あれ程面白い事は無かった。よもや、まともな武器すら持たぬ小娘が、私の前まで辿り着こうとは」
「チッ……!! あの時とは違う事を教えてやろう」
「そうだろうな。いや、そうでなくては困る。お前が初めて我が前へと姿を現したあの日……私は面白そうだと直感したのだ。一体あの時から、お前はどれ程強くなった?」
けれど。
ただ悠然と言葉を紡いでいるはずのギルティアの声は、観客たちの絶叫にかき消される事無くテミス達の元へと届き、更にテミス達を驚かせた。
だがこの声の正体が、言葉に魔力を乗せて放つ呪言を応用した会話方法であるとまで看破していたのは、ギルティアの前に立つ猛者たちの中でもテミスだけだった。
「っ――」
「――さぁさ! まさかまさかッ! ギルティア様も参戦される事となりました今大会ですがッ! 各陣営の闘士たちが出そろいましたッ!! 続きまして、あちらの貴賓席ご覧くださいッ!! あちらでは、はるばるギルファーよりお越しくださいました、ヤタロウ陛下もご観戦されておりますッ!!」
「…………」
そんな会話すら困難な大歓声を切り裂いて、解説席の声が一団と大きく響き渡ると、周囲の観客席から切り離され、テラスのような席に座るヤタロウが紹介される。
すると、ヤタロウはにこやかな笑顔と共に立ち上がり、前へと進み出て観客たちに手を振って応えた。
その後ろでは、ヤタロウの隣に席を設えられたアリーシャが、酷く緊張した様子でちょこんと椅子に腰かけていた。
「心配は無用だ。あそこにはギルファー王の護衛と共に、第一軍団からも護衛を派遣している。それに加え、私が手ずから魔導障壁を設えたのだ。この闘技場の中で、あそこ以上に安全な場所は無い」
一瞬。
解説席の声にテミスが視線を貴賓席へと向けると、ギルティアがクスリと小さな笑みを浮かべて言葉を重ねる。
その言葉に疑う余地など無く。
あの場所は間違いなく、ギルティアの言葉通りこの闘技場の中で最も堅牢に守られた安全地帯と言えるだろう。
だからこそ。
否。それ故に。まるで、完璧に旅支度を整えたはずなのに、出発した直後に胸の内を意味の無い不安が過るように。
テミスの胸の内には言いようの無い不安感が揺らいでいた。
「そしてそして!! 今大会の解説をお願いすべく、こちらの解説席には魔王軍第五軍団が軍団長!! ルギウス様にいらっしゃっていただいておりますッ!! ルギウス様、本日はよろしくお願いいたします!」
「うん、よろしく。僕の方からは、皆には分かり辛い駆け引きや狙い、戦いの流れを僕がわかる範囲で伝えていくよ」
テミス達がそうしている間にも、調子を取り戻した解説席の声は淀みなく紹介を続けていき、解説役のルギウスの穏やかな声がそこへ加わった。
事前に聞かされていた手はずでは、これで一通りの紹介が終わり、後は各々がそれぞれの待機場所へ戻って試合が開始されるはずだ。
「…………」
「…………」
「…………」
未だ興奮の覚めやらぬ観客席とは異なり、衝撃と驚愕が過ぎ去ったテミス達の間には、既に張り詰めた糸のような緊張感が漂っていた。
ギルティア率いる魔王軍を除いた誰もが口を噤み、言葉を交わす事無く、互いを窺うように視線を走らせている。
「さあ! ではでは早速!! 闘士の皆様には所定の位置へとついていただきましょう!!」
「では……我らも存分に愉しむとしよう」
「ふん……」
「っ……!!」
「是非も無し」
そこへ、移動を促す解説席の声が響くと、真っ先にギルティアが微笑みを浮かべ、悠然と言葉を残して身を翻す。
その後、一拍遅れてギルティアの背に続いたリョースたちと同時に、テミス達もまた思い思いに言葉を残し、互いに背を向けて歩き出したのだった。




