139話 静かなる侵攻
「思ったよりも……普通なのね。もっとおどろおどろしい感じを想像していたわ」
王都ヴァルミンツヘイムの外壁を潜り抜け城下町へ入ると、フリーディアは外套の下でポツリと呟いた。勿論、周囲を歩いているのは魔族と呼ばれる人間以外の者ばかりなのだが、これを普通と表現できるだけ彼女はまだマシなのだろう。
ちなみに、乗ってきた馬は王城に持ち込むと例外なく厩舎へ送られてしまう為、理由を付けて外門で待機させている。
「他の連中から見れば、さながら地獄の一丁目だろうがな……」
「……で、しょうね」
フリーディアは目深に被ったフードを引き下げると、テミスの皮肉に顔を逸らして応える。他の人間達からしてみれば、ヒトではない異形が住むこの町など、おぞましいだけの存在なのだろう。
「悪いが、今回は観光案内をしている暇は無いぞ」
「わかっているわ」
テミスが小さく告げると、フリーディアは鋭い眼光で見返した。同時に、彼女の外套の下から、キンッ……という軽い金属音がテミスの耳に届く。
「フッ……準備は万端……と言う訳か」
テミスは頬を歪めて頷くと、フリーディアから視線を外して眼前のそびえる魔王城へと目を向ける。町行く人々はその音に気付く様子は無いが、その軽い金属音は確実に剣の鯉口を切った音だった。
「ならば、行こうか。我らが戦場へ」
「えぇ……穏便に済む事を祈るわ……」
「……どうかな」
二人は内門へ向って歩を進めながら、軽い調子で言葉を交わす。願うように告げたフリーディアの言葉にテミスは、十中八九そんな未来は来ないだろうと考えていた。
そもそも、フリーディアを魔王城へと連れて来ている時点で重大な背信行為なのだ。ギルティアと上下関係がないとは言え、敵方の人間を中枢まで連れ込んで咎められないはずはない。
「――っ! 止まれィ!!」
「っ!!」
「…………」
そんな事を考えながら、二人が内門を潜ろうとした瞬間だった。一歩前を行くテミスの前に二本の槍が突き出され、いつかの日のように行く手を阻んだ。
「ここから先は魔王城。怪しい者の同伴は遠慮願いたいですがねェ」
「フン……」
門の傍らからぞろぞろと出てきた衛兵の一人は、そう告げながら意地の悪い笑みを浮かべてテミスの顔を睨み付ける。しかし、当のテミスは鼻を鳴らしただけで取り合わず、目の前で交差された槍にゆっくりと手を伸ばしただけだった。
「おぉっと! それはご勘弁いただきたいですなァ。ともかく、お連れの方の外套を外していただかない事には、通す事はできないのですよ」
ニヤニヤと笑みを浮かべた衛兵がはそう言いながらテミスの横をすり抜け、フリーディアの外套へと手を伸ばす。それに反応したフリーディアが僅かに身構えるが、彼女が行動に移る前に、閃いたテミスの手が衛兵の腕を掴んで止めた。
「……この手は、何ですかィ? まさか、正体を明かせない者を王城内へと連れ込むおつもりで?」
瞬間。周囲を囲む衛兵に緊張が走り、テミスに腕を掴まれた衛兵が殺気立つ。
その姿を半目で眺めながら、下らん連中だ。とテミスは内心でため息をついた。
連中は仕事に忠実な訳では無い。ただひたすらに、人間である私が憎く、疎ましいのだ。故に事あるごとに難癖をつけ、私の邪魔をしようと躍起になっているのだろう。
尤も、今回に限ってはその行動は正しいのだが。
「フッ……衛兵様とはずいぶん地位が高いらしいな? なにせ、軍団長が通すべきだと判断した者を検分できるほど偉いのだからなァ?」
「っ……」
ミシリ……。と。目を見開いて凶悪な笑みを浮かべたテミスが衛兵を睨み付け、その腕を掴んだ手に力を籠める。同時に、フリーディアの外套から引き離すべく、力づくでその腕を後方へと移動させた。
「それに……」
腕を捻って衛兵を無理矢理移動させながらテミスは小さく前置きをすると、それまで意図的に秘めていた殺気を一気に開放して言葉を続ける。
「あの時とは違うのだ。今自分が何をしているのか、解らせてやろうか」
「ぐぼっ……!! ぐげあぁぁぁっ!!」
ゴキリ。と。テミスがそう告げた途端に、衛兵の方から嫌な音が響き、その腹にテミスの膝が強烈に叩き込まれた。衛兵の肉体を貫くように振り抜かれた蹴りに、ぶらりと腕を垂らした衛兵が吹き飛んで地面をのたうち回る。
「っ――!!」
瞬間。その光景を見守っていた衛兵たちが一斉にテミスへと槍を向け、緊張しきった面持ちでその凶悪な顔を睨み付けた。
「ククッ……クククッ……」
その、怯えと焦燥の入り混じった視線の中で、テミスは細かく肩を震わせて嗤い声をあげた。そして空になった手をゆっくりと背中の大剣へと伸ばし、周囲を囲む衛兵たちの目を鋭く睨み付けて口を開く。
「一応……忠告しておいてやる。今、貴様等が槍を向けているのが誰か……理解しているのだろうな?」
刹那。それまで一人の衛兵に向けられていた濃密な殺気が、景色が歪むほどの気迫となって周囲へと叩き付けられる。その凄まじさは、随伴しているフリーディアが咄嗟に剣の柄へと手をかける程だった。
「……っ……しっ……」
数秒の沈黙の後。取り囲む衛兵の中から嗚咽にも似た小さな声が上がり、場を包む緊張感を打ち破った。
「失礼しましたッッ!!!」
弱気に流れた意識は一斉に伝播し、悲鳴に近い謝罪の合唱と共に、テミスへと向けられていた矛先が天へと向けられる。同時に、衛兵たちはバタバタと足音を立てて道を開け、左右に敬礼して直立不動の姿勢を取った。
「フン……これに懲りたのなら、剣を交える覚悟も無しに下らん真似は止す事だな」
テミスは仲間に引きずられて道の端へと寄せられた衛兵を一瞥すると、そう言い残して開けた道を歩み始める。
その後ろを、数歩遅れたフリーディアが急ぎ足で追いかけたのだった。