1504話 小さな戦場
広いすり鉢状の闘技場に、割れるような歓声が響き渡る。
戦いの場を見下ろすように設えられた観客席は余すことなく人で溢れていて。
その誰もが、これから眼前で繰り広げられるであろう激闘に胸を躍らせ、期待に目を輝かせていた。
「……やれやれ。参ったね。まさか本当にギルファーの連中が到着してすぐに始めるとは」
「テミス様。すぐ……ってギルファーの方々が旅の疲れを抜くのと、準備を整える為に儲けられた三日がありましたよね?」
「たかだか三日で何をしろと? 正直……こう言っては何だが、私はギルファーは眼中に無かった。警戒すべきは魔王軍だけであると。侮っていた」
「っ……!」
「冗談じゃない。馬鹿か私は。奴等を軽んじていた自分を殴りつけてやりたい気分だ」
そんな闘技場の片隅。
実際に剣を交える広場を囲う壁を穿ち抜いて設えられた待機場所では、テミスが苦虫を噛み潰したような表情で歯噛みをしていた。
この待機場所は、魔王軍、ギルファー、ロンヴァルディアにも各々用意されており、彼等も同じように、ちょうどこの闘技場を四等分する形で左右と正面方向に小さく見える待機場所で、開会の時を待っているはずだ。
「ふふ……ではテミス様。是非露払いはこのアタシにお命じ下さいな。ただ、ギルファーを倒せ。……そうお命じ下さい。必ずやお役目を果たして御覧に入れましょう」
苛立つテミスを前に狼狽えるヴァイセをよそに、サキュドは好戦的な薄い笑みを浮かべてテミスの前へと進み出ると、膝を付いて静かに申し出た。
元来より好戦的なサキュドの事だ。少しばかり強くなったとはいえシズクは眼中に無く、目当てはコハクと……そのついでにヤヤなのだろう。
しかし、コハクの実力を知るテミスとしては、サキュドの申し出などただの自殺行為に等しく、到底許可を出すような事はできるはずもない。
けれど、頭ごなしに制したところで血気盛んなサキュドが言う事を聞く訳も無く、加えて無理やり従わせたところで、気勢を削がれたサキュドでは易々と敗れかねない。
「…………。いや、それは止そう」
「何故ですかッ!? よもやテミス様……アタシの実力をお疑いですかッ!? ならば猶更!! お命じ下さい!! この槍を以てアタシの力を示してみせます!!」
故に、苦肉の策としてテミスは今回の戦いの方針を己が内で定めると、自らの前で膝まづくサキュドに視線を送りながら慎重に口を開いた。
当然。サキュドはテミスの判断に異を唱え、声を荒げながら自らの手に紅槍を現出させると、テミスへ差し出すかの如く突き出してみせる。
「落ち着け。そうじゃない。これも戦略だ。お前達もルールの説明は受けただろう? よく思い出して考えてみろ」
「っ……!! ルール……ですか? ですがどちらにしても、戦わなくては――」
「――これはさながら戦場の縮図だ。我々ファントにギルファー、ロンヴァルディアに魔王軍。四勢力三名が同時に戦う集団戦……。各々が如何に動くかで勝敗は大きく動くだろう」
「そうか……!! 真っ先に戦いを仕掛ければ、他の二つの勢力がその隙を逃さない訳が無いッ!!」
「あぁ。その通りだ。どうだ? サキュド。ギルファーの三人を相手にながら、魔王軍とロンヴァルディアの入れる横やりを捌き切れるか?」
「あ……っ……ぐッ……!! この命を賭せば……或いは……」
「ウム。故に却下だ。お前は私の大事な副官……このようなお遊びで失うつもりなど毛頭ない。それに、仮にお遊びであるが故に命を失う事が無かったとしても、お前が欠ければ我々は残り二人……到底勝ち切れまい」
テミスは、まるで複雑に絡まった糸を解いていくかの如く、順を追って注意深く話を進めていくと、自らの出した結論の意図をゆっくりと二人へ語り伝えた。
事実。
一人を犠牲に何処か他の一勢力を叩き潰す事ができれば、戦果としては申し分ないのだろう。
だが、この大会では一つの勢力を叩きのめしたとしても他が居る。
彼等にとっては、自らは労力を使う事無く一個勢力を潰す事ができた上に、一人欠けて疲弊した勢力が出来上がるという垂涎の結果のみが出来上がる事になる。
「いいか。ヴァイセ、サキュド。良く聞け。この戦いにおいて攻める事はさほど重要ではない。防衛戦だと考えろ。最後まで立っていた奴が勝ち……ならば徒に戦いを仕掛けて消耗するは愚の骨頂。まずは守勢に回って、聳え立つ山の如く動かず機を見計らうぞ」
「りょ……了解ですっ……!!」
「……はぁい」
さながら、戦いを前にした軍議の時のように真剣な表情で語るテミスに、ヴァイセはピシリと背を正して静かに頷いた。
しかし、傍らのサキュドは目に見えて気落ちこそしていなかったものの、それでもまだ不満そうに唇を尖らせて返事を返す。
けれど、消極的な戦いである防衛戦を好まないサキュドが、こうして拗ねるのもテミスにとっては計算の内で。
「ククッ……。なぁ、サキュド。そう拗ねるな。守勢に回る我々を見た連中がどう動くと思う?」
「どうって、そりゃ……他と戦いに行くんじゃないですか? それか、まとめて叩きに来るか……。っ……!!」
「フッ……そうだとも。どちらに転んでも戦場は我等の掌の上だ。真正面からぶつかり合う相手にまとめて魔法をぶち込んでやるも良し、血眼になって攻めて来る奴等を悠然と迎え撃つも良し……だ」
テミスは不敵に喉を鳴らしてそう言葉を続けると、問われたサキュドは答えを口に出してからピクリと眉を跳ねさせ、何かに気が付いたかとでも言わんばかりにキラリと目を輝かせる。
そんなサキュドに、テミスは鷹揚に頷いてみせると、胸の内で冷や汗を拭って溜息を吐きながら、更にサキュドの戦意を煽り立ててやるのだった。




