1501話 知る者の恐れ
アリーシャが『敵』に目を付けられるのは、考えてみれば至極単純な摂理だった。
自分達の計画を阻害する邪魔な連中が居て、けれどその連中は自分達では到底勝ち目がない程に強く、かといって放置すれば計画が破綻する。
そんな、半ば詰みのような状況の中で。精強な魔族たちを相手取って尚、無双を誇る敵の中にただ一人、一度も戦っていない者が居たならば、その一人こそが狙うべき急所であると考え付くのは無理のない話だ。
だがそれが、彼等の望み通り再び人間領へと攻め込むような戦の幕開けではなく、決して踏んではならない虎の尾、若しくは竜の逆鱗である事など、夢にも思っていないのだろう。
「ここはヴァルミンツヘイム。魔王であるギルティアの治める地だ。然らば情報を探り、備える事はしても、奴の顔を立てて限界まで手出しをする気は無い」
一同が強烈な危機感に身を凍らせる中。
テミスは淡々とした口調でそう述べると、フリーディアから奪った果物を口の中へと放り込んだ。
その甘酸っぱい果汁と、フリーディアの握り潰したパンから零れたクリームの甘さは喋り疲れた喉に心地よく、テミスは深く味わうようにゆっくりと咀嚼した後、ゴクリと至福の時間を飲み下す。
「……やるのならば、手を貸してやる。どうせ敵の位置は押さえているんだろう?」
緊張感を帯びた沈黙を真っ先に切り裂いたのは、静かな視線をテミスへと向けたレオンだった。
唇を真一文字に結んだ冷静なレオンの表情からは、彼の内心を伺う事はできなかったが、強い光を宿した瞳と食卓の上で固く握り締められた手からは、並々ならぬ怒りが零れ出していた。
「待ちなさい! あなた達の気持ちは理解できるけれど、テミスの言う通りここはヴァルミンツヘイムなのよ? 不用意な武力行使は避けるべきだわ!」
「関係無い。ここで、そこのアリーシャがやられれば全てが終わりだ。どうなるかくらいは想像に難くないだろう。大会の前に余計な愁いは払っておくべきだ」
「うへぇ……考えたくもない。俺もレオン君に賛成ですよ。俺は魔王軍との全面戦争なんて御免です。そんな事になるくらいなら、先に叩いちまった方が良い」
「……なにこっち見てんのよ? アタシはテミス様に従うわ。決まっているじゃない」
「う……うぅっ……腹がキリキリとッ……!!」
この場に居合わせた者は皆、それがテミスの逆鱗であると理解しているからだろう。
ただならぬ雰囲気の中で始められた議論は、反対する者はフリーディアただ一人だけで、明言を避けたカルヴァスとサキュド以外の者達の意見は、後顧の憂いを断つ方向で合致していた。
「絶対に駄目よ!! こちらから仕掛けては奴等の思惑通りだわ!!」
「だったらッ!! 万が一彼女に何かがあった時……。殺されるだけじゃない、守り切れずに怪我を負ったらどうするんですかい!? アンタは責任とれんのかよッ!」
「……そういう事だ。俺達もファントは安住の地であって貰わなければ困る」
「だからといって!! あなたたちはまだ何もしていない……しかも他国の民を手にかけると言うのッ!?」
「取り返しの付かない事態に陥る前に手を打つ。当然の選択だ」
フリーディアとヴァイセ・レオンの間で躱される議論は瞬く間に熱を帯び、互いの意見は真正面から激しくぶつかり合った。
しかし、フリーディアの胸中にも、レオン達の言う万に一つが起こってしまった時の危惧が在る為か、その言葉にはいつもの勢いはなかった。
だが……。
「おいおい。何を勝手に攻め入るだのなんだのと話を進めているんだ? 全く……物騒な奴等め……」
「なっ……!? 待って下さいよテミス様!! アリーシャちゃ……さんを狙うとんでもねぇ輩が居る! だから俺達で倒すって話でしょう……?」
「私がいつそんな事を言った。企むだけならば勝手にさせておけ。フリーディアの言う通り、実行に移さなければ罪は無い」
「っ……!! だが……!!」
「お前もだレオン。何をそんなに尻込みしているんだ? お前らしくもない。襲い掛かってくるのならば、守り抜けば良いだけだろう?」
テミスは悠然とした態度で議論を白熱させる三人へ目を向けると、再びフリーディアの皿の上に盛られた果物へと手を伸ばしながら言い放つ。
事実。如何に策略を巡らそうとも、常にテミスたちがアリーシャの傍にいる現状では手出しをして来なかった訳で。
ならば、より一層警備の厳しくなる大会中ならば、尚の事仕掛けて来ることは困難になる筈だ。
「ッ……!!! お前がそう言うのならば……俺に異論は無い」
「ハハ……俺もっす。確かに、少し弱気になっていたかもしれません」
「テミス……」
それはまさに鶴の一声といった様相で。
挑発するかのように微笑みを浮かべたテミスの言葉に、レオンは憮然とした顔で、ヴァイセは苦笑いを浮かべて言葉を返す。
一方で、フリーディアだけは驚きの表情を浮かべてテミスを見つめていて。
「フン……。勘違いするなよフリーディア。私はただ、疑わしきは罰せずの理念の元に動いているだけだ。お前の抱く誰も彼をも救いたいという理想とは根本が違う」
そんなフリーディアに、テミスは大きく鼻を鳴らした後で一言。苦虫を噛み潰したような顔で告げたのだった。




