1500話 怨嗟の悪知恵
ギルファー一行が到着する。
その一報がテミスたちの元へと届いたのは、それから更に数日後の朝の事だった。
伝令の兵を通してギルティアからの報せが告げられる頃には、ヴァルミンツヘイムの町でテミスたちに悪意を持って喧嘩を売る者は既に居らず、町を歩けば日に数人ばかりが、腕試しに真っ向から勝負を挑む程度となっていた。
「やっと来たか。……間に合ってよかった」
「……? 間に合う? 馬鹿ね。彼等も魔王が直々に招待したのだから、ギルファーの人たち抜きで闘技大会を始める訳が無いでしょう」
報告と共に運び込まれた豪勢な朝食を口にしながらテミスが呟きを漏らすと、その正面を陣取っていたフリーディアが、手にしたパンにクリームを塗りながら笑いを零す。
「馬鹿はお前だ。そっちの話じゃあない。それとも、気付いていないのか? あと数日遅くなっていたら、私が叩き潰しに出て行っていたぞ」
「っ……。何の話よ」
「はぁ~……やれやれ……。これだから頭が平和な奴は……。おおかた、近頃は無駄に喧嘩を売られなくなったのを良い事に、純粋にヴァルミンツヘイムの観光にでもうつつを抜かしていたのだろうな。羨ましい事だ」
「貴女は違うっていうの? そういえば、私がいくら大丈夫だと言っても、貴女は頑なにアリーシャちゃんを一人で外出させなかったけれど……」
「――っ! そうなんですよ!! 酷いと思いませんか? 確かに皆さんみたいに戦いを挑まれても困るけど……私そんなに子供じゃないですよ!」
盛大な皮肉と共に言葉を返したテミスに、フリーディアはピクリと眉を跳ねさせながらも静かに応じた。
だがその手元では、後程クリームを塗ったパンの上に乗せる筈であったであろう新鮮な果物が、フリーディアの手にしたフォークによって無残にもザクリと音を立てて穿たれていた。
そんな二人の傍らで、上機嫌に自らの分の朝食を頬張っていたアリーシャは、自らの名が出されたことを鋭敏に察知すると、好機とばかりに二人の話へと割って入った。
しかし……。
「アリーシャ。恨みや憎しみというものは厄介でな。まるで何度も肉を焼いた鉄鍋の底にこびり付いた焦げのように残り続けるんだ。……お前ならば、皆まで言わずともわかるだろう? フリーディア」
「……!!」
テミスは僅かに影を覗かせた笑顔を浮かべて、隣に座るアリーシャへと視線を向けたあと、たとえ話を交えて淡々と諭すような口調で告げる。
そして僅かな沈黙を挟み、テミスは視線だけをフリーディアへと戻すと、意味深な笑みを浮かべて言葉を付け加えた。
「それは……えぇ……知っているけれど……」
「ハァ……そこまで知っていて尚、何故思い至らんのかが私には不思議でたまらんよ。数日前に説明してやったばかりだろう? 今このヴァルミンツヘイムには様々な思惑が蠢いている。そんな中で、世論を支配していた人間を倒すべしという気運を我々が捻じ曲げたのだ。奴等がこの状況を黙って座視する訳があるまい」
「っ……!!! まさか……!! 嘘よ!!! そうまでして戦乱を招きたいだなんておかしいわ!!」
口を濁したフリーディアに、テミスは深い溜息と共に皮肉気な笑みを浮かべてみせると、手元の皿の上に置かれていたパンを毟りながらそう続けた。
そこまで聞いて初めて、フリーディアもテミスが危惧している事に気が付いたらしく、目を大きく見開いて鋭く息を呑むと、言葉を荒げて反論した。
その勢いは、掌の中にあったパンを握りつぶしてしまうほどで。
拉げたパンから零れ落ちた白いクリームが、ポタポタと音を立ててフリーディアの皿の上に盛られたフルーツへと降りかかる。
「あぁ……おかしな話だ。自分達も戦乱に大切なものを奪われたクチだろうにな。けれど居るんだよ。憎しみに心を侵された頭のおかしい連中はな」
「待ってテミス。その話が確かなら彼等もまた戦争の被害者よ。だからこの件は私が――」
「――馬鹿を言うな。ここはヴァルミンツヘイムだぞ。客であり、人間のお前が、しゃしゃり出て平和的に解決をする事のできる幕ではない。お前には解らんだろう? この平和が憎いと垂れ流す狂人の戯れ言が。自分達ばかり悲しみを背負い、世界で最も不幸であると嘆きながら憎しみをばら撒く人の形をした化け物共の想いを」
「それ……は……」
不意に身体を伸ばしたテミスは、フリーディアの皿の上に置かれたフルーツを一つ奪い取ると、使命に燃える瞳と共に紡がれかけた言葉を制する。
そこで、呪詛が如く語られた暗い感情に、フリーディアは何も言い返す事ができずに僅かにテミスから視線を逸らした。
不気味な迫力を纏ったテミスの言葉に気圧されて訪れた沈黙の中。フリーディアを一瞥したテミスは、皮肉気に歪めていた唇を戻して、僅かに口角を吊り上げる程度に留めると静かに口を開く。
「あぁ……良かった。もしも理解できるなどと嘯こうものならば、お前を斬らなければならない所だった。そう、理解できるはずも無い。自らの悲願を……膿み腐れた怨恨を晴らすためだけに、アリーシャの命に狙いを定めたクズ共の考えなどな」
そして続けられたテミスの言葉に、共に食卓を囲んでいた者達は、驚きと危機感に目を見開きながら、鋭く息を呑んだのだった。




