1496話 夕闇の語らい
相変わらず、胡散臭い奴だ。
闇の中から姿を現したルギウスを前に、テミスはのんびりと進めていた足を止めると、胸の内で浅くため息を零した。
今更、ルギウスが私を罠に嵌めるなどとは考えてはいない。
けれど、あれ程までに整った顔立ちに甘い微笑みを浮かべ、こうも都合よくフラリと姿を現す様は、腹の中で何某かを企んでいるのではないかと思ってしまわざるを得ない。
「文句なら受け付けんぞ? 喧嘩を売られたのはこちらだ。お前達魔王軍の手前、十分に手加減もしてやった」
「勿論。文句なんて無いさ。僕も報告は聞いている。寧ろ感謝しているくらいだよ」
「だったら何だ? 悪いが酒席の誘いなら後日にしてくれ。今日は気分じゃない」
「まさか……。けれど、それも魅力的だね。そちらもまた日を改めて、席を設けさせて貰おうかな」
「っ……!!」
皮肉交じりに返したテミスの言葉に、ルギウスは浮かべた微笑を崩さないままに、肩を竦めて言葉を返す。
尤も、酒に酔うことの出来ないテミスとしては、予測半分嫌味半分で告げた言葉を、ルギウスに逆手に取られた形となった訳だが。
「……報告ついでに様子を見に来たんだ。君の事だ、きっと怒っているんじゃないかと思ってね」
「フン……別にこの程度。確かに癪に障るが、怒る程の事ではあるまい。ただ、興が削がれただけだ」
「クス……ほらね。やっぱり」
「なぁ~にが、やっぱり。だ。勝手に人の心を推し量るな。不愉快だ」
「でも、的外れではないでだろう? 僕は君のそういう所、嫌いではないけれどね」
「ッ……!! ハッ……抜かせ。それで? 用が無いのなら私は行くぞ? 腹ごなしの散歩中でね。夕食までに腹を減らしておかないと非常にまずい」
クスクスと喉を鳴らして笑うルギウスにテミスは僅かに鼻白むと、吐き捨てるように舌打ちをしてから、話を元に戻すべく皮肉を叩き付けた。
だが、テミスの言葉もあながち皮肉のみと云う訳では無く。アリーシャと繰り出したヴァルミンツヘイムの町で色々な品をたらふく食べ歩いてきた身としては、少しでも胃袋の中身を消化しておきたいのも事実だった。
「なら、ご一緒しよう。こんな場所で立ち話というのも味気が無いからね。城壁の上あたりなんか目指すのはどうだろう? ちょうど良いと思うけれど」
「……好きにしろ。元より目的があって出歩いている訳では無いからな。だが、帰りはきちんと送り届けてくれよ? なにせ私は魔王城の内部にさして詳しくない。うっかり禁踏区域に立ち入ってしまうやもしれん」
「勿論さ。レディを独りで帰すほど、無作法な男になったつもりは無いからね」
「ククッ……!! 相も変わらず歯の浮いたような台詞を吐く。私にそんな事を言うのはお前位のものだぞ? ルギウス」
それから数度言葉を交わした後に、テミスは不機嫌を表すかのように真一文字に結んでいた唇を不敵に歪めると、ルギウスと肩を並べて歩き始めた。
ルギウスもまた、テミスが機嫌を直した雰囲気を鋭敏に感じ取り、朗らかな口調で言葉を続ける。
「本当かい? でも確かに、君の噂は戦いのいさおしこそ聞こえて来るけれど、浮いた話は一つも聞いたことが無いね」
「放っておけ。そんな事よりも、そろそろお前の用件を聞かせろ」
「……そうだね。僕もこの事は、つい先ほど聞かされたばかりだから驚いているのだけれど、どうやらヴァルミンツヘイム……ひいては魔王領内の状況が芳しくないらしい」
「フム……?」
薄暗い廊下にコツコツと足音を響かせながら、ルギウスは明るく朗らかだった口調を真面目なソレへと変えると、静かな瞳でテミスを見据えて話題を切り替えた。
状況が芳しくない、とは随分と持って回った言い回しではあるが、状況から鑑みるに魔族たちの人間に対する過剰にも思える差別意識の事だろう。
ついこの間まで、戦争と称して殺し合っていたのだから、禍根や憎しみが残っているのは当たり前の事だ。
しかし、相手の力量や立場すらも弁えず、人間であるというだけでああもつっかかって来るのは、事情を鑑みても苛烈だと言えるだろう。
「一部の者達の間では、再び人間領に攻め入るべきだと主張する声も上がっているみたいでね」
「なにっ……!?」
「彼等の殆どは、家族や友人なんかを戦いで失った人たちなんだけれど……。中には義憤に駆られて立ち上がった人たちも居るんだ」
「あぁ……その手の馬鹿な連中か。憎いのならば、己が手で剣を取り、己が足で攻め入れば良いものを」
「そう言った人たちは戦いの怖さを……辛さを直接は知らないからね。過激な事を言う者達の中には、魔王軍を裏切った君達の町……ファントを叩くべきだなんて論ずる連中もいるのさ」
ルギウスは呆れたように肩を竦めながらテミスへそう告げると、何処か見覚えのある扉を開けて、ゆっくりとした足取りで階段を上った。
その先には、煌々とした月明かりが降り注いでいて。
「やれやれ……だな。やるのならば相手になるが……。そうだな、最低でも一個軍団……いや、三個軍団は失うつもりで来て欲しいものだ」
階段を上がり切ったテミスは、夜風に長い髪を躍らせながらニヤリと微笑むと、苦笑を浮かべるルギウスに向けて不敵にそう言い放ったのだった。




