138話 奇手忌策
広々とした街道を、対照的な2匹の馬が疾駆していた。
夜の闇を思わせるような漆黒の馬には、馬に同じく黒々と光る大剣を背負ったテミスが跨り、その傍らを駆ける純白の馬には、赤みがかった外套を身に着けた女が一人、人目をはばかるように深々とフードを被って騎乗していた。
「…………」
「フッ……気になるか?」
テミスは随伴するフリーディアに馬を寄せると、時折チラチラと後ろを気にする彼女に声をかける。
「気にかけない方がおかしいわよ……まさか、テプローへ兵を向かわせるなんて……」
「ミュルク卿や白翼も同行しているんだ。問題はあるまい」
フリーディアが抗議の視線を向けると、テミスは軽くそれを受け流して答えを返す。どうやら私が出した作戦は、この世界では常軌を逸しているものらしい。
「戦力を誤認させるなど基本だろうに……」
テミスは再び前を見据えると、退屈そうにぼそりと呟いた。
私の立てた作戦は、何の事は無い。兵力誤認をきっかけとする膠着状態の誘発だ。白翼を含む混成部隊をプルガルド経由でテプローへ駐留させれば、連中は前後を押さえられた事になる。
つまり、前線に盾を置き、後方の魔術師が敵を叩く奴等の戦法では、ファントに攻め入っている所を挟撃されかねない。そんな立場に置かれた連中が取るべき手段は各部隊の即時撃破だが、本拠地であるファントから主戦力を動かすとは考えないだろう。故に、連中の頭が回ればテプローを一気に攻め落とした後、即時反転してファントへ侵攻する手を取るはずだ。
「オール・データーズ・ライブ……聞いておいて正解だったな」
テミスは随伴するフリーディアにも聞こえない声で小さく呟くと、その頬を大きく歪めた。
仮に、連中がテプローへ攻め入ったとしても、ケンシンには絶対の守りとも言えるあの能力がある。だからこそ、テプローを落とす事のできない奴等は、新たな戦力を呼び込むか、新たな作戦を立案するまで立ち往生せざるを得ないのだ。
「それにしても……ククッ……クククッ……」
「……何よ」
思考を切り替えたテミスは、傍らのフリーディアを見つめると、込み上げる思いを隠さずに笑いを零した。それに気づいたフリーディアから再び抗議の視線が飛んでくるが、零れる笑いを押さえる事はできなかった。
「フフフ……いや、皮肉なものだと思ってな。私が初めて王都へ向かった時も、お前のように外套で正体を隠していたのでな……」
「……外套を着けろと言ったのは貴女なんですけれど?」
フリーディアが不機嫌そうにフードの縁を抑えるのを眺めながら、笑いの収まったテミスは皮肉気に唇を吊り上げた。
考えてみれば、こうして敵の懐深くに潜り込み合う間柄など、なかなかどうして奇特な巡り合わせではないか。
「当り前だ。私が居るとはいえ、無駄な諍いに関わっている暇は我等には無いからな」
感傷に浸っていたテミスは意識を現実へと戻すと、むっつりとした表情に戻ってフリーディアへと向き直る。実際、このような火急の事態でなければ、フリーディアを魔王城へと連れていくことなどあり得ない。
「解ってるわよ……無事に帰れる保証がない事もね」
「……」
目を逸らしてそう返したフリーディアに、テミスは沈黙を貫いた。今回、テミスはフリーディアを同行させるにあたって、彼女にだけ魔王との戦闘の可能性を伝えてあった。
「もしも……もしも魔王を打ち倒せたとしたら……どうするつもり?」
「そうだな……」
テミスはフリーディアの問いに顔を上げると、駆け抜ける景色を眺めて息を吐いた。
もしも、ギルティアがファントを……我々を切ったのだとしたら……。そして、その利己的な暴虐を打ち破ることができたとしたら。まず間違いなく、魔王の崩御を知った人間軍はこぞって魔王領に攻め込むだろう。無論、各軍団長による防衛も予想されるが、旗印を失った魔王軍が劣勢に立たされるのは想像に難くない。
そして、全ての火種となったファントと我々十三軍団は、人間軍からは最前線の格好の獲物として、魔王軍からは自分達を裏切った反逆者として付け狙われることになるだろう。
「ならば……まずはお前を通して人間達と交渉に当たるかな。それが破談となれば、いよいよ全てを破滅へ導く災いの種となるしかあるまいな……」
テミスはそう答えを返すと、苦笑いを浮かべて肩をすくめた。我ながら酷い答えだ。悪を憎み、悪を討つために手を染めた先が、全ての者に憎しみと災いをもたらすなど、本末転倒にも程がある。
「……そうならない事を祈っているわ……本当に。心から」
「ああ。私もさ……」
生真面目な顔で呟いたフリーディアに、テミスは涼しげな顔で返すと、二人はまるで示し合わせたかのように前を向き、同時に馬を急かしたのだった。