1491話 刃金の心
牛男が自らの剣に手をかけた刹那。
まるで祭りかのように浮つき、盛り上がっていた雰囲気がピシリと硬化する。
そこに在ったのは、まるで戦場であるかのような緊張感で。
テミスは肌をピリピリと焦がすその感覚を味わいながら、右手をゆらりと腰の刀へと番えた。
「フゥ~ッ! フゥ~ッ!! 許さねぇ……!! 人間如きが俺を舐め腐りやがって……ッ!!」
「おいっ! 馬鹿止せ!! 魔都の中だぞ!! 堪えろッ!!」
「…………」
荒々しく怒りの熱を吐き出しながら牛男がギシリと大剣の柄を固く握り締めるが、彼の連れである仲間達は、顔色を蒼白に変えて叫びを上げている。
そんな男たちの前で、テミスは何も言葉を発する事は無く、ただ氷のように冷たい視線で鋭く牛男を睨み付けていた。
「銀髪の姉さんッ! アンタもだ!! これ以上こいつを刺激するな!! 俺達が止めている間に消えてくれッ!!」
「フン……やれやれ……。勝手に喧嘩を売ってきたのはお前達だろうが。それで? 今度は消えろだと? 随分と身勝手な事を囀るな?」
「ッ……!! 悪かった!! 俺達が悪かったッ!! 謝るからここは退いてくれ!! アンタだって憲兵団が出てくるのはマズいだろうッ? 頼むからッ――」
「――謝ってンじゃねぇッ!!! ふざけるなよッ!! 人間に舐められたままで終われるかッ!!」
しかし、完全に頭に血が上っている牛男と仲間の男たちの間では意見が食い違っているらしく、彼等は当事者であるテミスを捨て置いて喧々囂々と言い争いを始める。
思えばこの論争こそが、牛男の仲間である男たちが時間を稼ぐべく行った苦肉の策だったのだろう。
だがテミスとしては、一方的に喧嘩を売られた挙句、まるでその相手から逃げ出すかのようにこの場を後にする選択肢などあるはずも無く。
牛男の仲間の男たちが額に球の汗を浮かべて叫びをあげる姿を、ただ冷ややかな目で眺めて立っていた。
「ハッ……!! だったらテメェ等も見てみろよあの澄まし切った顔をッ!! それだけじゃねぇ!! 今だって俺達を睨み付けてやがるッ!! わかるだろッ!? ヤる気なんだよ!! アイツもよォッ!!」
「なっ……!? アンタなんだまだッ……!!? クッ……!! 止せッ!! ……ぐあッ!!」
そんなテミスの前でしばらくの間言い争いを続けた後。
牛男は怒号と共に静止する仲間の手を力任せに振り切ると、荒々しく息を吐きながらテミスの前へと歩を進める。
「随分と待たせちまったみてぇだな……? あァ……? そんなに死にてぇってなら叶えてやらねぇとなァ……!!」
ゆらり。と。
牛男は大きく状態を揺らしながら、低い唸り声と共にテミスへそう告げると、遂に軽い音と共に背負った大剣を僅かに抜き放った。
同時に。
キン……と、涼やかな音を奏で、テミスも腰の刀の鯉口を切り、触れれば炸裂してしまうような、一触触発の状況が出来上がる。
「……一つだけ忠告しておいてやろう」
「忠告だァ……? 泣いて命乞いをするってなら、テメェ等揃って身ぐるみ剥いで、ボロカスに叩きのめすくらいで許してやる」
「フ……。抜くのならば相応の覚悟を以て抜くのだな。刃を交える以上……こちらも殺す気で行くぞ」
「ッ……!!!」
テミスはせせら笑う牛男の戯れ言を一笑に伏すと、ギラリと睨み付けて忠告を言い放つ。
ヴァルミンツヘイムの事情も、この牛男がこうまで人間に固執する理由も関係無い。
拳を交えるだけの戯れだけに留まらず、剣を抜くのならばここは戦場だ。
自らの中でそう意識を切り替えると、テミスは自らの背に庇った守るべき者と、相対する排除すべき敵の位置を冷静に捉えていく。
その瞬間。
テミスからは周囲で見物している者ですら、背筋が凍り付くほどの殺気が放たれはじめ、場を支配していた張り詰めた緊張感に畏れが混じる。
当然。テミスの殺気を一身に向けられた牛男の受ける圧力は半端なものではなく、抜き放つべく力を込めた筈の剣が中程で止まった。
「テミス……」
「大丈夫だ。心配しなくていい。アリーシャは私の後ろから絶対に動かないでくれ」
そんなテミスの背に向かって、アリーシャが不安に揺れる微かな声で名を呼ぶと、テミスは僅かに後ろを振り向いて、肩越しに柔らかな声色で応えてみせた。
やるというのならば、一瞬で決着をつける。
恐らくは力任せに振り下ろされるであろう牛男の剛剣を受けて流し、返す太刀で首を落とす。
受け太刀には向かない白銀雪月花だが、これしか策は無いだろう。
そう判断したテミスが、深く腰を落として構えを取った時だった。
「道を開けろッ!! 憲兵団だ!! 道を開けろォッ!!」
甲高く響き渡る笛の音と共に、固唾を飲んで見守る野次馬たちの輪の外から、猛々しい叫びが轟いたのだった。




