1490話 喧嘩と決闘
「っ~~~!!!! 関ッ係あるかァッ!! 」
ざわざわと波及する人々のどよめきを断ち切ったのは、猛々しくあげられた牛男の怒号だった。
「ハッ……! 元・軍団長? だったら何だってんだ!! そもそも! 人間風情が軍団長だなんておかしな話なんだよォ! 魔王様も何かしらのお考えがあったみてぇだが、結局は軍団長の器じゃなかったからこうして野に下ってんだろォが!! なァッ……!?」
続けて、牛男は一気呵成にまくし立てると、テミスに突き付けていた拳を引いて嘲笑うかの如く笑みを浮かべた。
どうやらこの牛男、自身の言動の所為で引っ込みが付かなくなったのもあるだろうが、自らの実力に相当自信があるらしい。
だからこそ、こうして人々が見つめる仲でも猛々しく振舞い、挑発を続けているのだろう。
こういった手合いは、さっさと斬り伏せてしまうのが話が早いのだが、生憎ここはヴァルミンツヘイムの町の中。軍団長の職にあった頃ならばいざ知らず、ただの喧嘩ごときで人を斬り伏せたとあれば面倒なことになるのは間違いないだろう。
最悪の場合、外出を禁じられる可能性だってある。
そうなってしまえば、この滞在中にあの美味いコーヒーを飲む事は二度とできなくなってしまうし、何よりまた出かけようというアリーシャとの約束を守れない。
「……それだけは看過できんな」
テミスはこれから訪れ得るであろう幾つもの未来を予測すると、誰にも聞こえない程に小さな声で呟きながら、刀の鞘に添えていた手を外した。
この牛男は、アリーシャと楽しく散策していた所へ無粋にも水を差してきたのだ。加えて、あろう事かアリーシャを恫喝して怯えさせた罪がある。
本来ならば、問答を交わすまでも無く襲い掛かり、ボコボコに叩き伏せてやる所なのだが……。
「ハッ……!! よくぞ宣った。ならば、相手をしてやるからさっさとかかってこい」
胸の中で湧き上がった腹案を切り捨てると、テミスは胸を張って高らかにそう宣言した。
この牛男が私に喧嘩を売ってきたのは、周囲で見物を決め込んでいる連中とて当然知っている。
ならば、こうしてそれを真っ向から受けて立ってやる事で、喧嘩は決闘へと昇華されるのだ。
尤も、この場合は決闘とは名ばかりのもので。何処までいっても喧嘩の延長線上に過ぎない。
故に、テミスは牛男が先程と同じように拳で殴りかかってくるのならば素手で、得物を抜くのであれば刀で応ずると決めていた。
そうすれば、騒ぎを起こしたとはいえこちらは被害者だ。同じレベルでの争い程度ならば、仕事を増やしたことに文句こそ言われたとしても、外出を禁じられる事は無いだろう。
「ッ……!!! コイツッ……!! 人間が調子に乗りやがってェッ!!」
「ちょっ……!! テミスッ!!」
そんな風に、テミスが後始末へと考えを巡らせていた隙に、牛男は怒りの雄叫びを上げると、振りかぶった拳を構えて一直線にテミスへと突進した。
瞬間。アリーシャがビクリと身を縮めてテミスの名を叫ぶ。
だが。
「おいおい、冗談は止せ。あれだけ豪語しておいて、まさかこの程度だなどと言わんだろうな……」
「なぁッ……にィッ……!?」
「驚く事でもないだろう。つい先ほど、お前の拳を受け止めてやったのを忘れたか?」
「嘘だろ……!? なんで人間なんかが俺の一撃を受け止められるんだよ……ッ!!」
「ふぅむ……ちと辛いが悪くは無い突きだ。威力は及第点。だが、いかんせんスピードが遅すぎる」
「クゥッ……!!!」
テミスは轟然と振るわれる牛男の拳を易々と躱してみせると、伸び切ったその腕に、拳にペタペタと触れながら批評を零した。
考えてみれば、恐らく彼が生業としているのは冒険者。
こと対人戦闘においては最も経験を積みやすい役を担っているテミスたちとは異なり、対人戦闘技術は必須でこそあれど極める必要はない。
牛男の持つ武器や、鋭さよりも威力に重きを置いた鍛え方の肉体は、どちらかといえば魔獣の討伐に向いているスタイルだ。
「なるほど……少し残念だ。実は私も最近、少々鈍っていると自覚していてな。今回の大会を前に良い肩慣らしができるかと思ったのだが、どうやらそうもいかないらしい」
ならば、これ以上戦った所で意味は無く、ただいたずらに男の誇りと尊厳を辱めるだけになるだろう。
そう考えたテミスは、この無為な諍いに決着をつけるべく、脚に力を込めて身体を沈み込ませた。
サマーソルトキックで今も無防備を晒している顎に一撃。それで決着だ。
しかしその瞬間……。
「ッ……!!! そうかよ……だったら本当に肩慣らしにすらならねぇのか……喰らってほざいてみろォ!!」
「…………」
牛男は絶叫と共に背中に背負った大きな剣の柄へと手を伸ばし、怒りに血走った眼でギラリと禍々しくテミスを睨み付けたのだった。




