1489話 魔都のただ中で
ここは魔族の町であるヴァルミンツヘイム。
人間との戦争が止まったとて、そのはらわたの中に降り積もった恨みまでが消えてなくなる訳も無い。
故に。こういった輩が居るであろうことは承知の上ではあったが……。
「まさか……こうも直接絡んで来るとはな……」
テミスは自分達を威嚇するように喚き散らす牛頭の大男の言葉を聞き流しながら、皮肉気に薄く唇を歪めてせせら笑う。
眼前の、恐らく冒険者であると思われる牛頭の大男は、確かにそれなりの腕前を持っているように見受けられた。
筋肉の発達した腕はテミスの胴回りよりも優に太く、背丈も見上げなくてはならないほど圧倒的な高さを誇っている。
その鍛え上げられた肉体から繰り出される一撃が相応の威力を誇る事は想像に難くなく、彼が自信に満ち溢れているのも無理のない話だろう。
「なぁ……さっきからちゃあんと聞いてンのか? それとも、ビビっちまって返事もできねぇってか? オイ?」
「っ……!」
答えを返さないテミス達に業を煮やしたのだろう。
牛頭の大男はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべると、その大きな手を開いてテミス達へと向けた。
しかし、その手が彼の思惑を達成する事はできず、バシリと弾けるような音と共に、雷光の如く閃いたテミスの手によって即座に弾かれていた。
「痛てェなぁ……。何してくれてんだ? 人間風情が」
瞬間。
牛男の纏う気配が変わり、揶揄うように軽かった口調に怒りの滲んだ気迫が混じる。
だが……。
「クス……。アリーシャ。安心して見ていて良い。大丈夫、私の後ろに居るんだ」
テミスは牛男から発される気迫をものともせずに涼し気に笑みを浮かべると、肩越しに背後のアリーシャを振り返って柔らかに声を掛けた。
それは、目を伏せて怯えるアリーシャを宥めると同時に、自らの力を誇示する牛男への明らかな挑発であり、それを正しく受け取った牛男の額にビキリと血管が浮き上がる。
「ヒトが優しくしてやりゃ調子に乗って付け上がりやがって……!! 身の程ってヤツを教えてやらねぇとなァッ!!」
「ッ……!!」
「…………」
怒声と共に、牛男はテミスに弾かれた大きな手を固く握り締めると、怒りに血走った眼でテミスたちを睨み付けながら大きく振りかぶった。
その拳は、テミスたちの身体よりも大きく、もはや殺意と変わらぬ気迫を向けられたアリーシャがテミスの背後で鋭く息を呑んだ。
だがそれでも、牛男を見上げるテミスの表情が変わる事はなく、ただ呆れ返ったような半眼で、自らへ向けて拳が振り下ろされるのを静かに見上げ続けていた。
しかし。
「なッ……ぁ……ッ……!?」
「やれやれ。どうした? 身の程というものを教えてくれるのではなかったのか?」
振り下ろされた牛男の大きな拳の下から、不敵な声が響き渡る。
その頃には、騒ぎを聞きつけた町の者達が周囲に輪を作って見物をしており、そんな彼等の間からも動揺のざわめきが沸き起こった。
何故なら。
振り下ろされた牛男の拳は、彼のそれとは比べ物にならないほど細いテミスの片腕によって止められており、その物理に反した光景は異様な雰囲気を醸し出していた。
「ハハッ!! なぁにやってんだよ。いくら弱っちい人間が相手だからって加減し過ぎだぜ?」
「ッ……! いや……」
「おい待てッ……!! コイツまさか……元十三軍団長のテミスじゃないか……?」
その様子に、絡んできた時の牛男と同じく、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて眺めていた彼の仲間達が、軽口を叩きながらゆっくりとテミスたちの方へと歩み寄ってくる。
だが当然。この結果は牛男が加減をし過ぎた結果であるはずなど無く、牛男は焦りを帯び始めた声で口を開きかけた。
しかしそれよりも先に、歩み寄ってきた牛男の仲間の一人が鋭く息を呑み、ピタリと足を止めて声を上げる。
瞬間。
テミスたちに絡んで来た牛男たちの間にピシリと音を立てるかのように緊張が走った。
その言葉に、見物を決め込んでいた周囲の者達も言葉を交わしはじめ、驚きと疑念がさざ波のように広がっていき、その声がテミスの耳にも届き始める。
「なぁ……本当だと思うか? アレ、元十三軍団長殿らしいぜ?」
「まさか……。っ……でも確かにあの銀髪……噂通りだけども……」
「いや、あり得ねぇ話じゃねぇぜ。近く魔王様が開かれるっていう闘技大会だ。俺も詳しく見ちゃいねぇが、四都市交流だなんだってあった気がするぜ?」
「って事は本物かい……? にしちゃ随分と可愛らしいね……。それに見たところ、黒い大剣も持っちゃいないし……」
見物人の中を様々な推測が駆け巡り、それは次第に激しさを増してざわざわと喧噪に変わっていく。
彼等の中には、既にテミスの正体を看破している聡い者も居れば、未だに疑惑の目を向け続ける慎重な者も居た。
けれど、彼等の抱く疑問に答えてやる義務など無く、テミスはただ不敵な微笑みを浮かべ、自らに拳を突き付けたままの牛男を見上げ続けていたのだった。




