1487話 喧噪を浴して
「も、申し訳ありません!! お話が聞こえてしまいましたので……つい……!! テミス様……ですよねっ!? 以前、十三軍団の軍団長をなされていた……」
テミスとアリーシャ、二人の視線を受けた衛兵は目に見えて狼狽えてみせると、バタバタと両手を振りながら上ずった声で言葉を続けた。
「私ッ! 第一軍団所属、コーヌと申します!! 覚えてはおられませんか? あの日、魔王様の元へと向かおうとする貴女の前に……こう……!!」
コーヌと名乗った衛兵は身振り手振りを交え、剣を振りかぶる格好を見せながら力みを籠めて語り始める。
曰く、テミスが初めてこの魔王城を訪ねた折に、強行突破すべく突撃するテミスを止めるべく前に立ちはだかった衛兵の一人らしい。
正直な所。自分と対等以上に戦った訳でも無く、前に立ちはだかったとは言っても、数合すら打ち合う事無くただ薙ぎ倒されていった彼の顔に見覚えは無いのだが……。
「あの時は驚きました。まさか人間がここまで……っと、失礼。我等第一軍団の衛兵隊を相手に、一歩たりとも退かずに戦えるような実力をお持ちには見えなかったものですから」
「……そうか。だが……すまんな、あの時の事はあまり覚えていないんだ。こちらもそれなりに必死だったのでな」
「っ……! いえ! とんでもない! こうして再びお目にかかる事ができ、お話しできただけでも光栄です!!」
嘘を言ってはいないぞ。
胸の中でそう呟きを漏らしながら、テミスは極力持って回った言い方で、極力婉曲に事実を伝える。
実際、あの時は魔王に会うべく必死だったし、軍団長ほど強くはなくとも数の居る彼等を相手に苦労もさせられた。
すると、コーヌは再び手をバタバタと動かして首を振ると、口角を吊り上げてテミスへと笑いかけてみせた。
しかし、その表情にはあからさまな落胆と悲しみが滲み出ており、仮にとはいえ一度は戦ったらしい相手を忘れてしまったと告げたテミスは、何とも言えない居心地の悪さに肩を揺らす。
見たところ、魔人族である彼は一兵卒とはいえ、仮にも魔王の直属である第一軍団に籍を置いているのだ、それなりに腕の立つエリートなのだろう。
ならば、相応にプライドも高い筈……。このまま話を続けるのは得策ではないか……。
そう判断したテミスが、迅速に撤退すべく口を開こうとした時だった。
「あのっ! コーヌさん!! おすすめのお店を教えていただけるとの事でしたが……?」
「はい。立ち聞きをするつもりではなかったのですが……えと、お話が聞こえてしまったので。ハイ。お力になれたらと思いまして」
「っ……! なに、構わないさ。こうも店が多いと迷ってしまってな。美味い店を教えて貰えるのならば有難い」
「勿論です!」
そんなテミスの気配を鋭敏に察知したのか、傍らでニコニコと人の好い笑みを浮かべていたアリーシャが手と共に声を上げると、それとなく話を本題へと進める。
その手腕は鮮やかなもので、テミスが言葉を選ぶために口を噤んだ一瞬の間を経て、話題が本旨へと進んでいき、コーヌもアリーシャの笑顔に応えるかのようににっこりと微笑みを浮かべ、大きく頷いてみせてから口を開いた。
「まず、すぐそこに見える魔なる酔人亭と夢見る大鷲屋は避けた方が良いです。大鷲屋は店主がその……極度の人間嫌いでして。酔人亭の方は門の前の角地という最高の立地で歴史もある店なのですが、その分金額も高くてパンとスープに炒めた肉で蒼貨2枚は持っていかれます」
「えぇっ……!? そんなにッ!?」
「…………」
蒼貨1枚は銅貨……魔族領で言う閃貨5枚の価値を持つ。マーサの宿屋で同程度のものを頼むと閃貨1枚程度である事を考えれば、アリーシャが驚いて悲鳴をあげるのも無理はない話である。
要するに、都会価格と観光地料金の重ね掛けといった所なのだろう。
それにしても、あの世界で一等地に軒を連ねる超高級レストランで出される食事の二倍から三倍の値段は、少しばかりやり過ぎな気もするが。
「基本的にですが、この一番通りに軒を連ねる店は、どこも値段の高い店が多いです。逆にこちらやあちら……一番通りから一本離れればかなりマシになりますよ。例えば、あちらへ城壁沿いに5分ほど歩いた所にあるコカコカ亭は中々に美味しくて、名物のコカトリスの一枚ステーキを食べても閃貨2枚くらいです」
「コカコカ亭……。まさかとは思うが、『コカ』トリスにかけているのか……?」
「えぇ! ステーキ以外のものも新鮮でおいしいですよ! お酒を飲むのでしたら、三番通り裏の老いたブレンは面白い店主に安くてうまい酒にうまいつまみと最高ですし、少しい変わり者の店主がやっている森の隠者庵では新鮮な野菜を使った料理が絶品です。あと個人的ですが、喫茶モルトンの甘味はぜひともご賞味いただきたく……!!」
「わ、わかった! 助かった。とても参考になった。色々と回ってみる事とするよ。行こう、アリーシャ」
「はぁい! ありがとうございましたっ! 行ってきますね!」
唇の端から口角を飛ばさんばかりに力説を始めたコーヌに、テミスは半ば反射的にアリーシャの前へ僅かばかり身体を割り込ませながら言葉を返すと、気を良くしたらしいコーヌの解説がさらに激しさを増した。
その勢いに若干気圧されながらも、テミスは声を張り上げて話を断ち切ると、アリーシャの手を掴んで半ば強引に身を翻した。
すると意外にも、アリーシャはテミスの動きに合わせて共に身を翻し、頭を下げて見送るコーヌへ朗らかに礼を告げる。
「いってらっしゃいませ! どうかお気をつけてッ!」
「ハハ……。何と言うか、凄かったな。彼は」
「んふふ、そだねぇ~。一旦おすすめされたお店に行ってみる?」
「甘味ならばアリーシャも入るだろう。彼の一押しのようだし、まずはそこから覗いてみるとしよう」
そんなコーヌの張り上げる力強い言葉を背に受けながら、テミスとアリーシャは僅かに苦笑いを浮かべて言葉を交わすと、ヴァルミンツヘイムの町の中へと歩を進めたのだった。




