1485話 すれ違わぬ表裏
大扉の先に広がっていたのは、豪奢な飾りつけが施され、宿泊施設へと姿を変えた軍団区画だった。
閲兵や出撃前のブリーフィングが行われる為に設置されているであろう広々とした玄関ホールには、物々しい石造りの床には似合わないフカフカのカーペットが敷かれており、本来ならば軍団長とその副官……かつてのテミスとサキュドとマグヌスが立つはずであった小上がりになっている壇上には、小洒落た喫茶店の軒先に設えられているような机と椅子が数脚、所在無さげに佇んでいる。
「…………。ぉぉぅ……」
辛うじて脳裏に残るかつての面影をことごとく踏み砕くかのように施された内装に、流石のテミスも、つい先ほどまで胸を滾らせていた怒りは一瞬で霧散し、言葉を発する事もできずに喉を鳴らして閉口した。
まるで、ここが戦闘の為に編成された部隊が駐留する拠点であるという事実を塗り潰すかのような品々からは、ギルティアの意地のようなものを感じさせた。
だが同時に、元々の部屋には似合ってこそいないものの、随所に施された工夫や見るからに高級な調度品の数々は、ギルティアの歓迎の意を声高に物語っている。
だからこそ、テミスもただ酷く嫌味な意趣返しを受けたと気炎を上げる事も出来ず、ただひたすらに目の前の事実を受け入れるほかになかった。
「っ……!! わぁっ……!! すっごいっ!! 絨毯もふかふかッ!! って……これ、踏んじゃっても大丈夫だったよね!?」
「これは……驚いたわ……。えぇ、大丈夫よアリーシャ。毛足が長いから、足を取られないように気を付けてね」
「っ……!!!」
「…………」
数拍遅れて、テミスの背後から湧き上がるアリーシャ達の歓声や、驚きに息を呑む音が聞こえてくるが、テミスはその一切を無視して、一足先に恐る恐る他の部屋の状態を確認すべく足を延ばした。
「これ……は……」
まずテミスが足を向けたのは、兵たちが腕を磨く訓練場だった。
今回は出場する者達の調整の場として使われるであろうここならば、如何にギルティアとてそう大幅にいじくり回す事などできないだろう。
そう、半ば逃げ込むような感情で飛び込んだ訓練場は、テミスの記憶に微かに残っている光景と何一つ変わらない姿でかつての主を出迎えた。
高い天井に広く取られた訓練スペース、壁際には各種練習に用いる為の武器や道具が並べられていて。
ただ一つ、異様な点を挙げるのならば、長らく使われる事すらなく放置されていた筈のこの場所が、塵一つ落ちていないほど綺麗に整えられているという事だけだろう。
その、何処か寒々しさすら覚える景色は、まるで今日この日まで捨て置かれていた鬱憤を晴らしているかのようで。
テミスは訓練場の入り口で数秒間呆然と佇んだ後、よろよろと後ずさりをして、次の部屋へと足を向けた。
「ねぇテミス? 私たちは勝手がわからないのだからちゃんと案内をして……って! また一人でッ……!」
「あはは……今はそっとしておこう? テミスもなんだか楽しそうだし……。そうだ! 今テミスが出てきた所を見に行ってみようよ!」
「……。フム……」
「お待ち下さいフリーディア様!! そのように荷物を床に投げ出されては……アリーシャ殿まで……って、ああっ!? レオン殿ッ!?」
一方で玄関ホールからは、未だに賑やかに騒ぐフリーディア達の声が響いていたが、それが切羽詰まっているテミスの耳に届く事は無く、テミスは足早に玄関ホールの片隅を駆け抜けていく。
こうなったらもう、目指すべき場所など一つしかない。
倉庫と化している一般兵の宿舎の前を通り過ぎ、高級レストランの食卓のように彩られた作戦卓の隣をすり抜け、テミスは一つの扉の前で息を荒げて立ち止まった。
そこは、今日フリーディアやアリーシャ達が泊まる予定の、各将兵たちに与えられていた個室のさらに奥。本来であれば軍団長が起居するための私室。
テミスもここで寝泊まりをした事は数えるほどしか無いし、これといった私物を置いていた訳では無い。
だが、これほどまでに至るところがギルティアの手によって魔改造されている今、あの何処かホテルを思い出させるかのような落ち着いた雰囲気を、テミスの心は渇望していた。
「すぅ~……ふぅ~っ……!! よしッ!!」
この場所までも陥落していたら、もう素直に全てを諦めて流れに身を委ねよう。
テミスはそう心に決めると、改めて気合を入れ直してから、かつての軍団長私室へと繋がる扉を開ける。
「っ……!!」
そこには、かつてテミスが数日間だけ寝泊まりした時と何一つ違わない、落ち着いた内装が広がっており、部屋の中はやはり埃一つ無く清潔に保たれていた。
けれど、乱れ切ったテミスの心が求めていたものはまさにこれで。
テミスはじんわりと胸の中に安堵が広がっていくのを噛み締めながら、部屋の中へゆっくりと足を踏み入れる。
瞬間。
テミスはベッドの枕元に設えられている小さな机の上に、一通の封書が置かれているのを見付けると、まるで吸い寄せられるかのように歩み寄って手早く封を開けた。
「…………。フン……」
その、この区画の入り口に掲げられた看板によく似た達筆で記された中身に目を通すと、テミスは鼻を鳴らしながらもクスリと小さく微笑んでから、封書を懐へと仕舞いこんだのだった。




