1484話 在りし日の意趣返し
長い廊下を抜け、幾つもの扉を潜った先。
体感にして十数分は歩いただろうという頃、先頭を歩くルギウスがようやく足を止めると、テミス達一行を振り返って口を開いた。
「皆に使って貰う部屋はここ。長く歩かせてごめんね」
その背後には、年季の入った木製の大扉が鎮座しており、傍らには小さな椅子が一組置かれている。
しかしそれよりも、一行の目を惹いたのは大きな扉の上に設えられていた一枚の板で。
そこには、とても達筆な筆文字でただ一言、『第十三軍団』とだけ記されていた。
無論。その文字を目で捉えた面々は、半ば反射的に最後尾を歩くテミスを振り返っており、それによって何食わぬ顔で歩を進めていたテミスの視線もまた、大扉の上の板へと吸い寄せられる。
「っ……!! なっ……こ……こはッ……!?」
「あはは。君はそうなるよね。そう、この区画はもともと君たち十三軍団に与えられていたのさ。宿舎、将兵私室、執務室、訓練室あたりの設備は全て揃っているよ。……尤も、君はほとんど使わなかったみたいだけれどね」
「ッ……!! そういう事か……!! 妙な言い回しをすると思ったら……!! ……ったく、ギルティアの奴め」
驚きの表情を見せた後、苦虫を噛み潰したかのような渋い表情へと変わるテミスを眺めながら、ルギウスは苦笑いを浮かべて案内を続けた。
しかし、その声もテミスの耳には届いていないらしく、テミスは呟きを漏らしながら深い溜息を一つ吐くと、酷くばつが悪そうにガリガリと後頭部を掻いていた。
「……ギルティア様曰く、これは君への意趣返しと言っていたよ」
「ハン……自分の用意した施設がまるで使われてなかったのが、そんなに気に食わなかったのか」
「テミス。そこに掲げられている軍団の名が刻まれている板は、軍団長が就任の折にギルティア様が手ずから作られる物なんだ。第五軍団の区画にも、当時僕が戴いたものが今も掲げられているよ」
「っ……!」
「それに、この各軍団の備品や訓練用の装備を手配されるのもギルティア様だ。僕たち軍団長は、魔王様の直属だからね。これは僕が君に初めて出会う前の話なのだけれど……ギルティア様はとても楽しそうに部屋の用意をされていたよ? 『バルドの後任が見付かったぞっ!』 ……って嬉しそうに僕に話しかけてきたのを今も覚えているね。けれど君は人間だから……色々と気を使われていたよ」
「あ……っ……う……ぐむぅ……」
そこへ追い打ちをかけるように、少し陰のある笑みを浮かべたルギウスが言葉を重ねると、その度にテミスの表情は渋く曇っていき、最後には何も言い返す事すら出来ずにただ視線を大扉へと向けていた。
その脳裏には、あれやこれやと色々な事を予測、想定して書類にペンを走らせるギルティアの姿が浮かび上がっており、テミスの胸の内は言いようの無い罪悪感で埋め尽くされた。
「テミス……私、今はじめて魔王に同情しているわ?」
「……人の心は無いのか?」
「私が口を挟むのも何ですが……先程の説明を聞いただけでも、かなりの予算がかかっていそうですね……」
「テミス様……流石に魔王様が可哀想ですよ……」
「っ……!!!」
加えて、フリーディアたちやヴァイセからテミスに向けて降り注いだのは非難の嵐で。
テミスはズキズキと痛む良心の呵責に耐え兼ねると、何も言葉を発する事無く大股でルギウスの傍らを通り過ぎて大扉に手をかける。
同時に、テミスへ胸の中で仕方ないじゃないかと釈明の叫びをあげながら、目尻に浮かびかけた言い知れぬ感情の溶けあった涙を仕舞いこんだ。
各軍団にこういった施設が用意されているのは知っていた。
だが、私が軍団長の任官を受けたのはファントで。しかもその時には既に、ファントへの駐留も決定していたし、おいそれとファントを離れられるような状況でも無かった。
そもそも。ヴァルミンツヘイムでこんな施設を用意された所で、使う機会など殆ど無いのだ。
しかし……ルギウスの話から聞いて分かる通り、ギルティアが彼なりの思い遣りを込めてこの部屋を設えている事は理解できる。
故に。何も言い返す事などできないのだが……。
「ハァ……アンタ達ねぇ……。黙って聞いていれば好き勝手言ってくれちゃって。だいたい、テミス様やアタシ達がこの部屋を使う事ができなかったのは、アンタ達が好き勝手に暴れてくれていたからでしょう? 特に『白翼』の二人ッ! アンタ達だけはこの件、絶対に文句言えないわよね?」
「うっ……!! それは……確かに……」
「この場合、誇るべきか謝罪をするべきか……悩みますな……」
それまで口を噤んでいたサキュドが、耐え兼ねたかのように口を開くと、怒りの滲んだ口調でそれぞれを指差して反論をする。
サキュドの正論で貫くが如き反撃に、フリーディアたちは言葉を詰まらせると、苦笑いを浮かべて大扉へと視線を送った。
「あははっ!! さて……そろそろ良いかな、これだけの反応が見られればきっと、ギルティア様も満足されると思うよ」
その時。
突然ルギウスが軽快な笑い声をあげると、懐の内から小さな箱状の物体を取り出してボタンを押した。
すると、虚空から小さな羽の生えたクリスタルのような物体が湧き出てくると、ルギウスの掌に舞い降りてから箱を抱えて飛び去って行く。
「今のは……魔導偵察機ッ……!?」
「ふふ……元ね。エルトニア製の魔道具をウチの技師たちが改良したのさ」
「……おい待て。ルギウス……お前まさか……!!」
クリスタルが飛び去って行った方向を見つめながら、レオンが驚きの表情を浮かべて息を呑むと、ルギウスはクスリと不敵な笑みを浮かべて言葉を付け加える。
しかし、テミスにとってはそんな事はどうでもいい事で。
テミスは拳を握り締め、小刻みに震えながらルギウスを睨み付けると、低い声で口を開く。
だが。
「ごめんよ。テミス。これもギルティア様からの命令だったんだ。見ての通り、僕の手元に映像は無いから、諦めて部屋で休むのが良いと思うよ?」
「ッ……!!! グッ……ク……!!!! ッ~~~~!! クソッ!! ギルティアの奴めッ!! やってくれたな……ッ!! 覚えていろよッッ!!」
空になった両手を開いたルギウスは、朗らかに笑いながら事実上の敗北宣告をテミスに告げる。
そんなルギウスを前に、テミスはニヤニヤと満足気な表情を浮かべながら今の映像を眺めるギルティアを思い浮かべて恥辱に身を震わせると、悔し紛れの台詞を吐き捨てながら叩き付けるように大扉を開けたのだった。




