1479話 弱者の剣
何気ない会話の傍らで密かに切られた戦端。
鋭敏な感覚を持つレオンがそれに気付かない筈はなく、腰を掛けた倒木に立てかけていたガンブレードへ即座に手が伸びる。
しかし、それよりも迅く。
テミスは鞘を射出路として目にも留まらない速度で刀を抜き放ち、白刃を振るった。
その切っ先が狙ったのは、テミス達の傍ら、レオンとちょうど焚き火を挟んだ反対側に座っているカルヴァスの首で。
音すら切り裂いて進むテミスの刃はパチパチと立ち昇る炎の先を断ち、カルヴァスへと肉薄する。
しかし。
「っ……!! 突然何をするのですか……!? 流石に肝が冷えましたよ……」
「ッ……!!!!」
ゴギンッ!! と。
ゆらりと持ち上げられたカルヴァスの剣がテミスの刃の行く手を阻み、白刃は鈍い音と共に浅く鞘に食い込んだだけで止まっていた。
しかも、カルヴァスは驚いた素振りこそ見せてはいるものの、テミスの放った神速の斬撃をさも当然の事であるかのように受け止めていて。
だが、今の一撃は紛れもなく、レオンが見立てたカルヴァスの実力では、こうして防ぐ事はおろか、知覚する事さえできない域の斬撃のはずだった。
「なん……」
「ふふ……何故……と思うだろう? それがお前の誤りの正体だよ。レオン」
目を見開いて絶句するレオンに微笑を浮かべて告げながら、テミスはカルヴァスへ向けた刃を退いて腰の鞘へと納める。
一方で、刃を向けられたカルヴァスはただ、困ったような笑みを浮かべるばかりで、テミス達の会話に口を挟む事は無かった。
「俺の誤りだと……? お前ッ……。っ……!! どういう意味だッ……?」
余裕を窺わせる笑みをカルヴァスが浮かべる一方で、レオンは今にもテミスにつかみかからんばかりに身を乗り出し、見て取れるほどの葛藤の末に、絞り出すような声で問いを口にした。
その葛藤の中には恐らく、対戦相手であるテミスが自分達を乱しに来たのだという疑念もあっただろう。
しかし、一度相対した者の直感か、それとも共に戦場で肩を並べたが故の信頼か、他でもないテミスが、そんなチャチな小細工を弄する事は無いとレオンは判断していた。
「確かにカルヴァスは弱い。私やお前と真っ向からやり合えば、十度やろうと十度我々が勝つだろう」
「っ……! はっきりと言いますね……」
「事実だ。だが、こと対人戦闘における連中の読みは、時に未来を垣間見ているとさえ思えるほどの威力を発揮する。たった今、お前が目にした通りな」
「読んだ……と言うのか? お前の斬撃を……?」
未だ驚愕の覚めやらないレオンに、テミスは薄い笑みを湛えながら解説を加えるが、それが更にレオンの驚きを上塗っていく。
あり得ない話だ。
仮に、テミスを危険人物だと見做し、寄られれば斬られるかもしれないと常に警戒している程度の話ならば理解できる。
だが、それでは斬撃のタイミングまでしっかりと見極めて防ぐ事など不可能だし、何よりカルヴァスにはテミスの斬撃は見えてすらいなかったはずだ。
だというのに……。
「そういう事だ。カルヴァス、何なら解説してやれ」
「……敵いませんね。では、ご厚意に甘えて」
テミスは混乱するレオンの様子を、まるで愉しんでいるかのように微笑むと、もう一人の当事者であるカルヴァスへと水を向けた。
すると、それまで黙していたカルヴァスはポリポリと頬を掻いてからテミスへ一礼すると、解説を引き継いで口を開く。
「まず、レオン殿の隣へテミス殿が腰を掛けた際ですが、勢いに任せてこそおりましたが、脚を大きく開いておいででした。普段のテミス殿がこのような座り方をされるのは珍しく、何かの狙いがあると目しておりました」
「なっ……!」
「フム……なるほど?」
「次に、レオン殿とお話しされている間、僅かづつではありますが、重心が左から右へと傾いており、ここで私は、あぁ……抜かれるおつもりなのだ……と確信しておりました」
「…………」
テミスの一挙手一投足に至るまで注意を払っていたカルヴァスの解説が語られるにつれて、レオンと、そしてテミスの口数が格段に減っていった。
確かに、ある程度動きを読まれている事は想定の内ではあったが、ここまでつぶさに動きを観察されていたとは露ほども思っていなかったテミスとしては、何処か気恥ずかしさを感じると同時に、背筋を薄ら寒い何かが通り過ぎていくのを感じた。
「極めつけは、レオン殿と言葉を交わしながらも、テミス殿が常に私を視界に入れておいでだった事ですね。備えておいて、あとは会話の流れと身体運びから機を合わせれば……辛うじて防ぐ事ができたという次第です」
「っ……、な? なかなかどうして、捨てたものではないだろう?」
「…………っ!!! あぁ……恐ろしい……いや……見事な観察眼だ……」
「はは……ありがとうございます。ですがテミス殿の言われた通り、私では十度挑もうと勝つ事はできませんから」
カルヴァスが解説を締めくくると、テミスは泡だった肌の表面に絡みつく怖気を振り払ってクスリと笑みを浮かべ、傍らのレオンに問いかけた。
ある程度、カルヴァスの腕を知っていたテミスでさえこの有様だったのだ、当然レオンの受けた衝撃は凄まじいものだったようで、レオンはパチリと口元に手を当てて呻くように言葉を返す。
しかしそれでも、カルヴァスは相変わらず困ったような笑みを浮かべたまま、軽い口調で礼と謙遜を述べただけで。
「いや……!! 俺が間違っていた。侮っていて悪かった。アンタがそれだけできるのならば、幾つか試したい事がある! 例えばだが……」
「…………」
そんなカルヴァスに、レオンが早口でまくし立てながら焚き火を回り込み、隣へと腰を下ろすと、熱の籠った調子で戦略を語り始める。
テミスとしては、このままフリーディアが戻るまで、彼等の作戦を盗み聞ぎしていても構わないのだが……。
「……やれやれ。付き添いの借りにしては返し過ぎたか?」
熱弁を始めた二人の邪魔にならぬよう、音を立てずにレオンとカルヴァスの側から歩み去ると、肩を竦めてそう嘯いたのだった。




