1476話 騒がしき休息
ガラガラと進む馬車の車輪の音が響く中。
テミスは隣で寝入ってしまったアリーシャに肩を貸しながら、自らもうとうとと微睡んでいた。
ここは流石魔王軍だと言うべきなのか、馬車の中に居ても車輪から伝わる衝撃は殆ど無い。
けれど、狭い馬車の中ではやる事がなくて手持ち無沙汰であるのは間違い無く、ただぼんやりと視線を窓の外で流れる景色へと向ける。
「んむ…………」
日の傾き具合からして、そろそろ最初の野営地点へと辿り着く頃合いだろうか。
ヴァルミンツヘイムまでの旅路は普通に向かえば七日ほどの旅程で。
次の町との距離を気にしなくていい分、最短で二日から三日といった所だ。
「全隊~ッ!! 止まれッ……!!!」
そんな事を考えていると、馬車の外から微かにルギウスの号令の声が聞こえてきて。
その声に従って馬車はゆっくりとスピードを下し、ゆったりと十数秒の時間をかけてピタリと停止した。
「んん……? テミス……? 着いたの?」
「いや、どうだろうか……。アリーシャは構わないからそのまま休んでいてくれ。少しルギウスの奴に確認を取ってくる」
「あい……いってらっしゃぁ~い……」
寝惚け眼でモゾモゾと体を起こしたアリーシャに、テミスは優し気に微笑んでそう告げると、自らの座っていた場所をアリーシャの上半身へと預け、馬車の外へと歩み出る。
そこは、街道の傍らにちょうど大きな沼地が広がっている湿地帯で。
少し街道を離れても水に浸かるまでには十二分に広さがあるこの場所は、確かにテミス達の間で決めた第一の野営地点だった。
「あぁ、テミス! ちょうどよかった。呼びに行こうとしていた所なんだ」
「今日の所はここまでか? ……時間を鑑みれば、ここよりも少し手狭にはなるが、もう一つ先の予定地点まで進めるとは思うが」
「うん。到着が日没寸前になるだろうけれど、ギリギリ付く事はできると僕も思うよ。けれど、今日一日走り通しだったからね……それにまだ初日だ。あまり馬にも負担を掛けなくない」
「フッ……お前がそう言うのならば構わんさ。案内人であるお前は、この部隊を率いる隊長でもあるからな。意見具申こそすれど、異論は唱えんよ」
「ははっ……。末恐ろしいお客様だね。構わないならば、このまま荷下ろしと野営の準備に取り掛かっても構わないかい? できれば、ロンヴァルディア……フリーディア君たちにもそう伝えてくれるとありがたいのだけれど」
「了解だ。伝えよう」
馬車が並ぶ車列の傍らで、テミスは歩み寄ってきたルギウスと言葉を交わすと、任された伝言を携えて身を翻した。
今から準備に取り掛かれば、日が暮れる前にかなり余裕をもって全ての準備が終わるはずだ。
「さて……」
馬車の列をゆっくりとした足取りで遡りながら、テミスは最後列に陣取る馬車の戸の前に立つと、馬車の戸から少し離れた位置でゆっくりと拳を振り上げた。
おおかた、フリーディアの奴も退屈を紛らわすために眠りこけているのだろう。
ならば、この戸を叩けばその瞬間、凄まじい勢いで開かれるであろう事は容易に想像が付く事で、テミスは馬車の扉の射程圏から身体を逃がして、握り締めた拳で数度馬車の戸を叩く。
「オイッ!! フリーディアッ!! 居るかッ!? おおいッ!! ……っ!!」
そうして即座に身を翻し、テミスはけたたましく開かれる筈のドアに備えたが、その予測が的中する事は無く、カチャリと軽い音を響かせて馬車の戸が開くと、そこには少し呆れた顔を浮かべたフリーディアが立っていた。
「……なんだ。居るじゃないか。ルギウスから通達だ。今日はこのままここで野営をする。お前達も各自荷下ろしなどの作業に取り掛かってくれとの事だ」
「っ……。……わかったわ。うん、了解よ」
「フッ……」
「…………? なによ……」
「クク……いいや……?」
しかし、通達を伝えながらテミスの瞳は確かに、フリーディアの口元の端に僅かに残った涎の後を見逃しておらず、彼女がいま必死で微睡んでいる脳を叩き起こしながら、体裁を取り繕っているであろうことを見抜いた。
……とはいえ、わざわざ言及したところで大した得がある訳でも無く、テミスは不敵に微笑みを浮かべると、不審そうに首を傾げるフリーディアに背を向けて歩き始める。
そして、十数歩。
フリーディアから十分に距離を取った所で……。
「所でフリーディア、昼寝は心地よかったか? 口元、痕がまだ残っているぞ?」
「なっ……!!!!」
テミスはクルリと上半身だけで背後を振り返って、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべると、自らの口元を指差しながら高らかにフリーディアへと告げる。
瞬間。
フリーディアの顔は瞬く間に赤く染まり、両手で口元を覆うと涙目でテミスを睨み付けた。
「テ~ミ~スぅ~ッ!!!」
「ハハハッ!! ではなッ!! 伝令、確かに伝えたぞッ!!」
だが、顔を赤く染めたフリーディアが拳を空へと振り上げる前に、テミスは高らかな笑い声と共に身を翻して、車列の前の方へと走り去っていったのだった。




