136話 誤算と軋轢
「~~~~~っ……私としたことが……」
翌日。テミスは執務室の自分の机に突っ伏すと、呟きながら身もだえていた。
いくら町中を引き回されたとはいえ、あの程度の疲労で寝入ってしまうとは……。しかもあろう事か、フリーディアの肩に身を預けていたとは一生の不覚だ。穴があるのならば入りたい!
しかも、フリーディアの奴も心配したマーサさんが覗きに来るまで起こさないせいで湯あたりするし……。情けないにも程がある!
「むむぅっ……」
テミスはうめき声と共に寝返りをうつと、やる気のないスライムのように机の上に体を広げた。
当のフリーディアは何故かその件について触れないどころか、私を気遣うように部隊の訓練などと言って席を外すし、いっそからかわれでもした方が気が楽だ。
「テミス様……」
「何だ……? 新偏した部隊で何か問題でも?」
「いえ……それがっ……」
そんな風にゴロゴロしていると、マグヌスが暗い声で声をかけてくる。それにテミスが、欠片も覇気を感じられない声で応じると、マグヌスは目線を逸らして言葉を続けた。
「伝令使……王都ヴァルミンツヘイムへ送った早馬が先程戻って参りまして……」
「そうか。それで? 連中は?」
テミスはゆっくりと体を起こすと、仕事にかかるべく脳みそを切り替える。また新たな部隊を招聘したとなれば、今度こそ駐留場所を考えなければならない。いっその事、町の民家や衛兵の家に要請して、民宿代わりにでもするか……。
「テミス様。こちらが魔王様……ギルティア様からの回答状です」
「回答状だと……?」
言葉と共にマグヌスが一枚の巻かれた羊皮紙をテミスの前へと差し出した。その巻物には、確かに魔王の印が赤い蝋で封印されている。
「回りくどい奴め……っ……っ!?」
テミスはため息と共に書状を受け取ると、乱雑に封印を切ってその内容へと目を走らせた。そしてその表情が驚きに変わり、全文を読み終える頃には修羅をも幻視しそうなほどに表情を歪めたテミスが、怒りに打ち震えていた。
「何を……考えている……ギルティアッ……!?」
「テ……テミス様ッ! ど、どうか落ち着いて――」
「馬鹿が! これで落ち着いてなどいられるかッ! 奴は頭がおかしくなったのかっ!? 自らの領地が大軍に攻められていると言うのに不干渉など……ッ!」
テミスは狼狽えるマグヌスに書状を突きつけると、自らの帽子を机に叩き付けて怒りを露わにした。
あろう事か、ギルティアは援軍を拒絶した。それどころか、魔王軍の一員であるドロシーがファントを攻めるなどと言う妄言は止すようにと、ご丁寧に注意めいた意思表明までつけて来たのだ。
「マグヌス! 今すぐにルギウスとフリーディアを呼んで来い!」
「お待ちくださいテミス様ッ!」
「喧しいッ!」
「テミス様ッ!!!」
「っ――!!」
マグヌスの叫びに、激怒していたテミスの頭が少しだけ冷えた。
今までこの男が私に対してこうして怒鳴った事などあっただろうか? 一年にも満たない短い付き合いの中だが、それなりに濃密な時間を過ごしてきたはずの記憶の中にそれらしいものは思い当たらない。それ故に、マグヌスのこの行動はテミスの頭を冷やすのに一役を買ったのだろう。
「お気持ちは、重々お察しいたします。不肖このマグヌスも、強烈な違和感を覚えている次第です」
「…………」
マグヌスが静かに語りはじめると、テミスは目を細めてその姿を眺めた。
よくよく見て見れば、書状を握る手は震え、ヒトより遥かに大きなその口元は、ミシミシと歯の軋む音がこちらまで聞こえてきそうなほどに固く食いしばられていた。
「だからこそっ! だからこそ、どうか冷静なご判断をッ! あえて言葉にいたしますが、この件に関しては明らかにテミス様に理があるかと愚考いたします」
「マグヌス……お前っ……」
その瞳に明確な怒りを燃やしながらも、静かに進言を終えたマグヌスを、テミスは驚愕の表情で見つめていた。
今この男は、明確に主君であるはずのギルティアを否定したのだ。マグヌスの頭の固さを、テミスは身を以て知っている。この男ほど忠義に厚い武人は見た事が無いし、その頑固さは筋金入りだ。
そんなマグヌスが、明確に言葉にしてギルティアの意思を切り捨てたのだ。
「…………解った。すまない。世話をかけた」
長い沈黙の後、テミスはマグヌスに頷くと視線を逸らして小さく礼を言った。
確かに、あまりの事に冷静さを欠いていたようだ。マグヌスの言葉が無ければ、今すぐにでも近衛とフリーディアを率いてヴァルミンツヘイムへと殴り込んだかもしれない。
「いえ……私はテミス様の副官ですから。たとえ御身が魔王様に弓引く時も、我らが胸に燃ゆる正義に従います」
「フッ……それで良い」
「それでは、急ぎお二方をお連れいたします」
マグヌスの言葉に対し、テミスはニヤリと頬を緩めると彼の目を見据えて頷いた。そして、マグヌスが一礼をして部屋を辞すると、窓の外へと目を向けて小さく呟いた。
「得難い部下を……得たのかねぇ……」
奴は結局、魔王に付くとも私に付くとも言わなかった。ただその代わり、自らの正義に従うと。つまりそれは、自分の目で確かめ、正しさを選ぶというテミスの信念に他ならなかった。
「私もまた、評し評される側……と言う訳か……」
テミスは自らの席に腰を下ろすと、机の上に叩き付けられていた帽子を傍らに寄せて、皮肉気に頬を吊り上げたのだった。