1472話 温かな絆
闘技大会の報せを受け、裏側では大会自体への対策や調整、魔王城の在るヴァルミンツヘイムまでの旅程など、蜂の巣をつついたような慌ただしさが訪れていた。
しかし、市井の人々をはじめ、それ以外の場所では普段と何一つ変わらぬ日常が流れている。
それはつまり、仕事を終えたテミスとフリーディアが、食事の折にマーサの宿でばったりと顔を合わせる事も起きり得るという事で。
夜も深まり、店が閉まる寸前に駆け込んできたフリーディアは、アリーシャに誘われてマーサ達と食卓を共にしていた。
「――その時のテミス凄かったんですっ! 手の届かないくらい遠くにいたはずなのに、いつの間にか私の側に居て……お陰で、落としちゃったお皿も割らずに済んだんです!!」
「ふふっ……。なにより、貴女が無事で良かったわ。でも、無茶は駄目よ? 焦って怪我をしてしまったら皆が悲しむわ」
「えぇ~……無茶じゃないですよぉ……。あの時はちょぉっとだけ足元がふらついちゃっただけで……」
「それを無茶だと言うんだ。そもそも、アリーシャならば無理をして大量の空き食器を一回で引き上げるよりも、素早く往復して片付けた方が速いだろうに……」
「それは……そうだけど……。でもテミスを見てると憧れるんだよ。塔みたいに積みあげた沢山の食器を一気に下げるの。たまに見物しに来てるお客さんもいるくらいだし……」
「だからって出来もしない事を真似しようとするんじゃないよ。アンタだけならばともかく、お客様に怪我をさせたらとんでもない事になる」
「あっ! お母さんひっど~いっ!! フリーディアさん! 今の聞きました!? 私よりもお客様の方が心配なんですよッ!」
フリーディアを加えた家族の食卓はいつも以上に賑やかで。
テミスは温かな団欒を噛み締めながら、マーサが腕によりをかけて作った料理に舌鼓を打っていた。
今度はギルファーに出向いていた時ほど長くなる予定はないとはいえ、またしばらくこの料理を味わう事ができないと思うと、出来得る限り全力で出立の日を遅らせたくなってくる。
だが、そのような個人的な事情で旅程を詰めさせるわけにもいかず、どうあがいた所で数週間はお預けなのだ。
「……アリーシャ、マーサさん。またしばらく、町を空けることになりそうなんだ」
「えっ……!?」
「ふむ……」
「…………」
ちょうどフリーディアも居る事だし、そろそろ話しておくべきだろう。
そう判断したテミスがゆっくりと口を開くと、楽し気にフリーディアと言葉を交わしていたアリーシャの表情が一転して不安に染まり、マーサは小さく息を吐いた。
その二人の傍らで、フリーディアは何処か非難するかのような視線をテミスへ向けていたものの、文句をつける事は無く口を噤む。
「心配しなくていい。ヴァルミンツヘイムで闘技大会が開かれる事になってな、ファントの代表として私も出場するんだ」
「闘技大会っ……! よかったぁ……また危ない事をしに行くのかと思ってびっくりしちゃったよ。テミスも……って事は、フリーディアさんも?」
「クク……いいや、フリーディアはロンヴァルディア代表。つまり敵だな」
「ちょっとテミス。それは聞き捨てならないわ。大会が交流を目的としているってこと忘れていないわよね? せめて対戦相手とかにしなさいよ」
「そうだよ! フリーディアさんに敵だ~なんて言っちゃ駄目だよ? でも、っていう事はテミスとフリーディアさんが戦うかもしれないんだ。ふふっ……ちょっと見てみたいかも」
テミスがこの話を、わざわざフリーディアが同席している時を選んで告げたのは、二人に余計な心配を掛けたくなかったからなのだが。
どうやらその目論見は上手くいったらしく、一瞬だけ流れた不穏な空気を掻き消すかのように、再び明るく騒がしい雰囲気が戻って来た。
「あら、だったら試合を見にいっしょに来れば良いじゃない。闘技大会っていうくらいだもの、観客は沢山いる筈だわ。ねぇ? テミス」
「おいおい。店はどうするんだ店は……。そう簡単な話では無いぞ」
「あはは……大丈夫。言ってみただけだから。二人共、応援しているからねッ!」
笑顔と共に零したアリーシャの言葉に、フリーディアは首を傾げながらテミスへ水を向ける。
確かに、ヴァルミンツヘイムまでの旅に二人を同行させる事は容易いが、それでは長い間この店を閉める事になってしまう。
政や戦いで生計を立てているテミス達とは違い、町に根付いて暮らしているアリーシャ達には、そのような事は到底出来るはずも無く。
それをよく理解しているアリーシャも、すぐに笑顔と共に話題を切り替えたのだが……。
「行ってきな、アリーシャ。テミス達と一緒なら大丈夫だろうさ。テミス、すまないけれどお願いできるかい?」
「お母さん……!? いいのっ……? っ……!! でもお店はッ……!!」
「なぁに、心配するんじゃないよ。アタシが何年この店をやってると思っているんだい。ちょっとくらいアンタ達が居なくたって平気さ」
「お母さん……!! ありがとうッ!!」
「いい機会だ。他の町をしっかりと見て勉強してくるんだよ」
突如、まるで何かを考え込むかのように動きを止めていたマーサが口を開くと、アリーシャは驚きを露わにして弾かれたように席を立って問いを返した。
その問いに、マーサは何処か不敵に得意気な笑みを浮かべると、胸を張ってアリーシャへと言葉を返す。
すると、アリーシャは感極まったのか、そのままマーサへと飛びつくようにして抱き着くと、肩に顔を埋めて喜びを露にする。
「……と、いう事らしいけれど? どうするの?」
「…………。ふっ……確かに驚きはしたが、否やは無いさ」
そんな二人の様子を眺めていたフリーディアが、悪戯っぽい笑みを浮かべてテミスへ視線を向けて問いかけると、テミスはただ肩を竦めて笑顔で答えを返したのだった。




