1467話 秘めたる心
テミスとトゥーア。
少なからず両者の内心を知るフリーディアにとって、互いに抜き身の刃で斬り合っているかのような今の状況は酷く歯痒く思えた。
テミスは外敵と間違った選択へとひた走る自警団を排する事で……。
トゥーアは町を護る自警団の立場を守る事で……。
本質的に、二人が守ろうとしているものは同じ。ファントの町を護らんとしているというのに。
各々が各々の考えを以て動いたが故に、真っ向から対立してしまっているようにフリーディアの目には映った。
だからこそ。
今にも袂を分かちかねない二人を前に、フリーディアは言葉を重ねる。
「テミス。貴女は無駄だとか放っておけだとか言っていたけれど……それでも自警団を取り潰せとは一言も言わなかったわよね? それどころか、人手の足りない自警団に手を貸す私を黙認していた……。それも全ては、いつの日か自警団が元の形に戻る事を信じていたからではないのッ!?」
「…………」
「トゥーア団長。貴方のこの町に対する想いは素晴らしいわ。ファントの町がこれ程まで穏やかな日常を保っているのも、あなた方自警団の功績無くして語る事はできないでしょう。ですがそのために、外敵に対する備えを怠れば貴方の愛したこの町そのものが喪われてしまう……。この町を長く守り続けてきた貴方なら、よくお判りでしょうッ!?」
「ッ……!!」
鋭く放たれたフリーディアの叫びに、テミスは僅かに眉を吊り上げて黙り込み、トゥーアは低く喉を鳴らして目を伏せた。
この時、フリーディアの脳裏に浮かんでいたのは、かつてファントへ攻め入った冒険者将校カズトの援軍として駆け付けた自分達に、テミスの放った言葉と光景だった。
あの時受けた衝撃は、時が経った今でもこの胸の奥に刻み込まれたまま忘れた事は無い。
ファントへ辿り着いた私達を前に、テミオスは黒煙の立ち昇る町を背負い、煮え滾るような怒りと深い悲しみの入り混じった光を目に宿して告げたのだ。
『我々にとっての悲劇は、貴方達の最高の喜劇となるのでしょう?』
……と。
今ならばわかる。あの時テミスが皮肉気に顔を歪めて嗤っていたのは、怒りと同じだけ胸を張り裂かんばかりに滾る悲しみを、覆い隠すためなのだと。
「ねぇ、テミス。貴女はどうしてそうやって皆を遠避けようとするの? 貴女はこんなに自警団の事も、この町の事も想っているのに、それを隠してせせら嗤って……。そんな事だから誤解されるのよ?」
「っ……!!」
「チッ……!!!」
重ねられるフリーディアの言葉が僅かに震え、湿り気を帯び始めると、うつむいていたトゥーアは息を呑んで顔を上げ、テミスは忌々し気に舌打ちをした。
その何処か苛立ったかのような舌打ちが、フリーディアの訴えを耳にしたトゥーアには、まるでこれから紡ぐ言葉の気恥ずかしさを紛らわしているかのように聞こえて。
驚きと衝撃に耐えかねるかの如く、ゆっくりと口を開くテミスの前で、トゥーアの脚がガクガクと震えはじめた。
「……人の心中を勝手に推し量るな。迷惑だ。私はただ、この町を守るべく責任を果たしているだけ。想いだ? 信頼だ? そんなもの存在するものか。私はただ……」
――自分を救ってくれた、アリーシャとマーサの為。
フリーディアのあまりに的外れな推測に、テミスは思わず本心を漏らしかけると、すんでの所で口を噤んだ。
既に議論の体を成しているとは言い難いが、この場はあくまでも自警団との協議の場だ。
そんな場所で、アリーシャやマーサの名を出してしまえば、それこそ彼女たちを下らない争いごとに巻き込みかねない。
テミスが言葉を止めたのは、そう気が付いたが故だったのだが……。
「ッ~~~~~!!! 申し訳ッ!!!! 御座いませんでしたッ!!!!」
「はッ……!?」
「このトゥーア……!! テミス様の御心の内を知りもせず……浅薄で愚昧極まる世迷言ばかりをッ!!! なんと……何とお詫びすればッ……!!!」
突如。
トゥーアはテミスの机の前に身を投げ出すようにしてしゃがみ込むと、ごすりと床に額を打ち付けて、涙ながらに絶叫した。
その姿は、大きな執務机の影に隠れてテミスからは欠片からも見える事は無かったのだが、テミスを戸惑わせるにはその豹変した態度だけで十分だった。
「皆を率いる者であれば、時に冷酷とも思われる判断を下さねばならぬ時もあるでしょうッ!! 無論、それを誹る者とて出てくるはず。ですがその苦しみを知れば民の間で諍いが起きる……。それを防ぐために、貴女は……敢えてッッ……!!!」
「いやっ……!! 待て。何を言っている。早合点をするな。私は――」
「――皆まで仰られますなッ!! 私とて自警団を率いる立場……その苦悩は少なからず知っていた……否、知っていた筈であったのにッッ……!!! あろう事か、貴女様を責めてしまうなど……ッ!! おぉぉ……ッ!!! おおぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」
しかし、困惑するテミスを余所に、トーゥアはテミスの言葉すらも遮って謝罪を続けると、堪えかねたかの如く咽び泣き始める。
そんなトゥーアに、テミスはかける言葉すら失い、ただただ困惑したまま延々と紡がれる深い後悔の籠った懺悔を訊き続けるしか無かったのだが……。
「トゥーア団長。お気持ちはよく理解できます。私もテミスの心が解らず、幾度となく弓を引いてしまいましたから。ですから今度は、共に酷く誤解されやすい彼女を支えていきましょう?」
「ふぐっ……!! おぉぉぉぉぉッッッ!!! 申し訳ありません!! 申し訳ありませんッ!!」
「っ……! チッ……。はぁ……ったく、フリーディアの奴……」
テミスの傍らを離れたフリーディアが、床の上で咽び泣く続けるトーゥアに優しく寄り添って言葉をかける。
すると、トゥーアはより一層激しく咽び泣きながら、謝罪を重ね始めた。
一方で、思いがけずフリーディアの心情を聞いたテミスは、目の前の混沌とした状況を収めるのを諦め、ぎしりと腰掛けた椅子の背もたれに身を預けて、深く愁いを帯びたため息をついたのだった。




