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135話 少女の安息

「くっ……ああああぁぁぁぁぁ…………」


 立ち上る湯気の中。暖かな湯に身を沈めると、テミスは心地の良い脱力感と共に快楽の息を漏らした。

 風呂は良い。万国共通などという物ではない。世界が違ったとて、この風呂の温かさと心地よさは変わらなかった。


「普遍的真理……というヤツか……」


 テミスは溜まった疲れが湯の中へと溶けだしていくのを感じながら微笑んで呟いた。串焼きの店の後、文字通り街中全てを回る勢いで練り歩いたせいで、戦闘をした時を上回る疲れが体を支配していた。


「それにしても、意外だったな。まさか最前線のこの町がここまでバラエティに富んでいるとは……」


 普通、最前線と言って思い浮かぶのは、物々しい武具や荒廃した街並みを思い浮かべるものだ。少なくとも戦争に注力する以上、戦いに参加しない一般市民の物資的余裕は目減りするはず……。


「これも全て、魔王様の手腕……と言う奴なのかね」


 テミスは心地よい疲れとゆっくりと押し寄せてきた眠気に身を任せながら、のんびりと独り言をつぶやいた。

 結論から言うと、ファントの物的資源は潤沢だった。バランの雑貨屋を始め、武器屋防具屋には良質な武具が並び、飲食物を扱う店舗も活気で溢れている。それどころか、マーサの宿屋を含む各種宿泊施設や酒場なども、漏れなく客で溢れかえっていた。


「まぁ、白翼騎士団の連中と第五軍団……これだけの頭数が増えればさもありなん……かね」


 現在ファントには十三軍団を除いても二つの部隊が駐留している。その分人口が増え、需要と供給が増加すると考えるのならば、この活気も頷けるという物だろう。


「戦争が起きれば商人が喜ぶ……至言だな」


 確か前の世界で、どこぞの誰ぞが残した言葉が、名言として有名だったはずだ。世界が異なっても仕組みは同じ、人の営みにおいて世界の差など些末な事と言う事だろうか……。


「ふふっ、何それ。戦争が起きれば、普通の商人さん達は嫌がると思うけど?」

「――っ!?」


 突如声がかけられ、靄がかっていたテミスの脳味噌が一気に覚醒する。いつの間にかそこに居たのは、面白そうな笑みを浮かべてこちらを眺めているフリーディアだった。


「お隣、お邪魔しても?」

「……好きにしろ」


 フリーディアは問いかけるものの、テミスの返事を待たずにその身を湯に沈めた。

 今更見慣れたものではあるが、やはりまだ他人の女性の肌という物を直視するのは抵抗がある。特に、私には無い大きな双丘だけは、色々と複雑な気分になってくるものだ。


「って……何を考えているんだ私は……」


 テミスは頭を左右に振ると、思考を振り払うように目を固く瞑った。精神は肉体に依存するという話を聞いたことがあるが、この心の片隅にある認めがたい嫉妬心はその証明なのだろうか。


「ふふふ……変なテミス。皆の前で気を張っている貴女と今の貴女……どちらが本当の貴女なのかしらね?」

「さぁな。ただ、今日のような平穏が須臾の幻である事は理解しているつもりだ」


 テミスはクスクスと微笑むフリーディアから目を逸らすと、ほてった頭を冷やすかのように冷たい言葉を口にする。

 そうだ。私と彼女は本来は敵同士。こうして湯を共にしながら語らう日など、この戦いが終わればもう二度と来ないのだろう。


「そうね……いつもならあなたを白翼騎士団に誘うのだけれど……こうして賑わうこの町を見ちゃうと……それも難しいわね……」


 テミスの言葉に、フリーディアは何処か寂しそうに微笑むと、手元の湯をかき混ぜながら零した。


「……私は誘わんぞ。つい先日……袖にされたばかりなんでな」

「あら、残念。今なら首を縦に振っても良い気分だったのだけれど?」

「抜かせ」


 そっぽを向いたテミスが告げると、悪戯っぽく笑ったフリーディアがそう応える。それをテミスは皮肉気な笑みと共に一笑に伏した。

 彼女の甘さは心底理解しているつもりだ。肉親の情と言うだけで、自らの全てを奪おうとしたものすら赦すその甘さ。その救いようの無い根源的感情だけは、たとえ彼女がこの町を見て回った事で正しさを理解したとしても、到底覆る事は無いだろう。


「だが……何故だろう……な……」


 テミスは湯船の縁に頭を預けると、心地の良い脱力感を味わいながら言葉を続ける。まずいとは解っていても、この甘美な誘惑に抗うのは難しい。


「たとえ幻想でも……この心地の良い平和が……少しでも……長く……」


 力なく紡がれていた言葉が徐々に途切れ、そして小さくなっていくと、テミスはそのまま小さな寝息を立てはじめた。


「疲れて……当然よね」


 その安らかな寝顔を眺めながら、苦しそうに眉を顰めたフリーディアはその頭を固い浴槽から自らの肩へと移し変えた。

 ここ数日。彼女と行動を共にして聞いた話は、壮絶そのものだった。仮に自分が同じ立場であったならば、間違いなく途中で折れていただろう。


「テミスは強いね……」


 フリーディアは自らの肩にもたれ掛かって寝息を立てるテミスに語り掛けると、悲し気に微笑んでその髪をゆっくりと撫でた。

 修羅の道に堕ちながらも、誇り高き理想を追い求める彼女を支えるものが何なのかはわからない。けれど――。


「私も、この戦いが長引けばいいなって……少しだけ思ってるわ……」


 孤高の少女の僅かな安息を祈るかのように、フリーディアの優しい声は、誰の耳にも届くことなく反響して消えていったのだった。

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