1464話 未来別つ白刃
テミスが刀の鯉口を切った微かな音に、真っ先に反応したのはフリーディアだった。
それまで自らの胸の内を埋め尽くしていた苦悩や葛藤など千々に吹き飛び、脳が考えるよりも先に身体が動き、閃光の如きスピードでフリーディアの掌が閃く。
「テミスっ!?」
「っ……!!」
フリーディアの手は、鯉口を切ったテミスが刀を抜き放つまでの刹那を飛び越え、鞘に刀身を収めたままの状態で柄頭を押さえる事に成功した。
だが、すんでの所でフリーディアが止めたとはいえ、抜刀の体制にまで入ったテミスの格好の意図に気付かない者が居るはずも無く、トゥーアは深く眉根に皺を刻み込むと、静かに一歩退いてから口を開く。
「何故……とお聞きするのは野暮なのでしょうな。そして、私などがこうして距離を取った所で、貴女の前では何の意味をも為さないのでしょう」
「テミス貴女……ッ!! 自分が何をしようとしたのかわかっているのっ!?」
「あぁ……話して解り合えぬのならば斬って進むしかあるまい。無為に時間を費やせば、今度こそ私達は手がかりを失うことになりかねん」
眼前からは警戒心と失望を露にしたトゥーアが、傍らからは義憤に気炎を上げるフリーディアが、口を揃えてテミスの行動を非難する。
しかし、テミスは堂々を胸を張って目の前に立つトゥーアを見据えると、揺るぐ事の無い低い声で淡々と言葉を紡いだ。
事実。戦闘が終了してからすでにかなりの時間が経過していた。このままここで押し問答を続けていれば、アリィとマリィが程なく目を覚ましてしまうだろう。
今は道を違えていたとて、彼等自警団はこれまで長い時間この町を守ってきた仲間だ。
たとえそれが見るに堪えない悪あがきであっても、取りつく島もなく斬って捨ててしまうのは些か人の心に欠けるといえる。
だがそう理解して尚、テミスは己の心を凍て付かせると、自らを止めるフリーディアの手をバシリと振り払った。
「トゥーア。お前の気持ちが理解できんわけではない。お前なりに、傾きかけている自警団を立て直そうと必死であるのもわかっている」
「でしたらッ……!!」
「っ……。本末転倒な要請も、無茶で横紙破りな願いも目を瞑ろう。だが、これだけは駄目だ。幾らお前達が忠を尽くそうと認められん。失敗するとわかっていて、守るべきものが甚大な被害を被ると知っているからこそ、私は許す訳にはいかない」
「そんな事は……!! やってみなければわからないでしょうッ!! テミス様ッ! 如何に貴女が先見の明に優れたお方であっても、読み違える事はあるはずですッ!!」
「そうだな……。だが、この一件に関しては別だ。お前の望む未来は来ない。その望みが叶えられる事は永劫無い」
「テミスッ……!!!」
退けない事も、譲れない事もわかっている。
だからこそ。テミスは歪んだ笑みを浮かべながらトゥーアへと突き付けるかのように言い放つと、自らの内で拘泥している思いを断ち切って刀を抜いた。
その瞬間、傍らのフリーディアが鋭く息を呑み、己の腰に提げた剣へと手を伸ばす。
けれど、柄に番えられた震える手がそれ以上動く事は無く、フリーディアの手は惑うように柄から離れると、固く拳を握り締めた。
「ッ……!! テミス様ッ……! 貴女は間違っておられるッ!! 己が意にそぐわぬ者を斬って進む先にあるのは、名君の誉れではなく暴君の誹りですぞッ!!」
「フッ……そうかもしれんな。だが、歴史の為に民を見殺しにした暗君と評されるよりはマシだろうさ」
コツリ。と。
抜き放った刀を手に一歩距離を詰めたテミスに対し、トゥーアはぶるぶると肩を震わせながらも、逃げる事無く毅然と言葉を紡いで見せた。
そこにはトゥーアの、ファントの町を想う彼なりの忠義の形が眩しく輝いていて。
テミスはその輝きを前に悲し気に目を細めると、意図して悪魔の如く歪めていた笑みを緩めて微笑みと共に言葉を返す。
「ヌゥッ……!! ッ……!! フゥゥゥゥ……。そこまで言われるのでしたら仕方がありません。この老骨を斬って進まれるがよろしい。せいぜい……バルド様と見届けさせていただきますとも。貴女の血塗られた道の果てが、何処に続いているかを」
「っ――――」
「ぅ……」
「ッ……!!!!」
そんなテミスの答えに、トゥーアは低く喉を鳴らして唸り声をあげた後、迷いを断ち切るかのように深く息を吐いて言葉を紡いだ。
その言葉は紛れもなく、自分がテミスに斬られるであろうことを覚悟した上での末期の言葉で。
そう決然と言い放ったトゥーアに、白刃を携えたテミスの手が震えた時だった。
背後から微かなうめき声が響き、逡巡する時間さえもテミスから奪い去っていった。
「……ならば、せいぜい見ていろ。案ずるな。痛みは無い」
背後から迫るタイムリミットに背を突き飛ばされるようにして、テミスは固く食いしばった歯をこじ開けて言葉を返すと、トゥーアの首に狙いを定めてカチャリと刀を構えたのだった。




