1450話 朝日に浴して
クルヤの起こした騒動からはや数か月。
早朝の黒銀騎団詰め所の中庭に、空を切る剣の音が響き渡る。
しかしそれは、テミスが普段繰る大剣が奏でる引き裂くような豪快な音でも、フリーディアの振るう剣が奏でるような、しなやかなリズムを刻んでもいなかった。
二人が愛用する剣が奏でる音よりももっと甲高く、そして鋭い。
そう。例えるのならば、ぴんと張り詰めた一本の糸が如き剣閃の音が、朝の静寂を揺らしていた。
「スゥ……ハァ……」
けれど、こんな早い時間にこの場所を使って鍛練をする者など、立場が故に兵達に混じって鍛練ができないテミスと、勤勉極まるフリーディアくらいのもので。
今日も剣が奏でる音は違えど、眩い朝の日の光をキラキラと反射しながら翻っていたのは、ほんのりと紅く色付いた長く美しい白銀の髪だった。
「セィッ!!! ッァ……!!」
裂帛の気合と共に抜き放たれた白刃が再び横薙ぎに空を切り、次の太刀が十字を刻む。
その迅さは到底余人が目で捉える事など不可能なほど迅く。刹那の時間の内に刻み込まれた二太刀は、まるで大気が斬られたことにすら気付かなかったかのように、一拍の間を置いてから剣風を巻き起こした。
「…………」
チン……。と。
自らの巻き起こした剣風が過ぎ去った後。
テミスは振り抜いたままの格好で維持していた姿勢を起こし、振るった刃を軽い音と共に鞘へと納めた。
今、テミスの手に収まっているのは、いつも扱っているブラックアダマンタイトの大剣ではなく、僅かに反った長細い刀身が特徴的な片刃の長剣。
主にシズク達ギルファーの民が好んで腰に帯びている、打刀と呼ばれる武器だった。
「重い……な……」
背筋を正したテミスは、鞘に納めた刀へと視線を注ぎながらぽつりと呟きを零す。
使用者の意志を読み取って重量を自在に変化させるブラックアダマンタイトの剣であれば、振るう剣に重さを感じる事など殆ど無い。
まさに自らの身体の一部として振るうことの出来る理想の剣。その特性はまさに伝説と呼ぶに相応しいだけの器量を備えていると言えるだろう。
だが、この刀を形作っている金属はギルファーで産出される、粘り強く固い事が特徴の雪鋼という金属で。
独特の製法を以て作られる打刀はファントでは珍しく、ヤタロウが帰国する折に頼んで漸く一振り手に入れた代物だ。
刀と共に送られてきた手紙曰く、事のあらましを話した猫宮夫妻が殊更張り切って用意した一振りらしく、ギルファーでも指折りの名刀らしい。
銘を白銀雪月花。
ギルファーに伝わる由緒正しき名刀が一振りである雪月花に準えた一品で、かの国一番の名工が拵えたらしい。
刃金は極限まで薄く、一方で研ぎ上げられた刃はいっとう鋭い。
造りゆえの脆さから受け太刀には向かないが、神速の斬撃を繰り出すことの出来るテミスであれば、一撃必殺の威力を引き出す事ができるだろう。
「フム……」
どちらにしても、この刀で戦うには鍛練を重ねるしかあるまい。
テミスは小さく喉を鳴らして小休止を終えると、再び腰を深く落として収めた刀の柄に手を番え、居合いの構えを取る。
「スゥ……ハァ……スゥッ……」
意識して呼吸を整え、身体に入っている余分な力を抜いていく。
ブラックアダマンタイトには劣るとはいえ、この刀もかなり軽い部類だと言えるだろう。
持ち歩くのにかさばる大剣の代わりに、護身用として腰に帯びる武装としては、今まで応急的に持ち歩いていた詰め所の剣とは、比べるべくもない一級品だ。
ならば、一級品たる刀を振るうにふさわしい腕を身に付けなければ、この刀を用意してくれたヤタロウや猫宮夫妻に面目が立たない。
「っ……!!」
雑念を払おうと胸の内へと意識を向ける度に、奥底からは止めどなく小賢しい思考ばかりが湧き出てきて、テミスは己が未熟さに苛立ちを覚えながら、ぎしりと歯を食いしばった。
もっと迅く。もっと鋭く。
頭の中に思い描いた剣閃と寸分たりとも違わぬように……刀を振るうッ!!!
「ッ……!!!」
雑念に塗れた思考の中で、テミスはそれらを押し退けるようにして自らの中に敵のイメージを思い描くと、その首を一太刀で断ち切るように刀を抜き放つべく、弛緩させていた全身へと一気に力を籠める。
その瞬間。
「お早うテミス。こんな早い時間から、貴女にしては珍しいじゃない」
「バッ――!!!」
傍らからひょっこりと姿を現したフリーディアが、刀を構えたテミスの顔を覗き込むかのように正面へと回り込むと、上機嫌な挨拶と共にテミスへと言葉をかけた。
だが、既に刀を抜き放つ体制に入っていたテミスは己が身体を止める事はできず、イメージした敵の姿諸共フリーディアを切り裂くべく動き出してしまう。
「えっ……!?」
「クッ……!!!」
「きゃぁっ!!」
もう間に合わない。
そう判断したテミスが辛うじてできたのは、刀を握っていた手を全力で緩める事くらいで。
鞘から刀が中程まで抜き放たれた所で漸く、テミスが己が体に発した命令が実行され、空になった手が凄まじい速度でフリーディアの胸へぼすりと叩き付けられる。
そして、支えを失った刀は鞘走った状態のまま数度不気味にゆらゆらと揺れた後、鋼の擦れる音と共に鞘へと吸い込まれ、キン……と音を立てて、元の位置へと収まったのだった。




