1448話 生誕の夜
問いを終えたテミスが口を閉じると、重苦しい沈黙が場を支配した。
微かに響くのは、問われたイメルダの浅く早い息遣いと、それを不安気に見守る仲間達の吐息だけ。
数秒……数十秒……待てども、答えが返ってくる事は無い。
それでも、テミスはイメルダの命を絶つ刃へと足を乗せたまま、辛抱強く彼女の答えを待ち続けた。
「…………」
「……い」
そんな時間がどれほど続いただろうか。
一分……? いや、一時間……? 静やかなる緊張感に支配され、永遠にも感じられるほどに長い時間の果て、イメルダは自らを見下ろすテミスを見上げてぽつりと口を開いた。
「死にたく……ない……。死にたい訳など……どうしてあろうかッ……!! やりたい事は沢山あった……果たせぬ想いだって……ッ!! だけどッ……!!」
「クス……」
まるで血を吐くかのような力強さで、イメルダは自らの内に溜め込んでいた本心を吐露すると、涙を流しながら地面についた手を固く握り締める。
その言葉は、未だイメルダを捕らえたままの鎖が残ってはいるものの、紛れもなく彼女自身が持つ願望だった。
故に。テミスはどこか満足気に微笑みを零すと、大剣の柄を踏み付けていた足を静かに下ろし、イメルダの傍らへ膝を付いて穏やかな口調で口を開いた。
「その身が人で非ずとも、何の問題がある? それでも尚、思い悩むというのならば……フゥム……そうさな……。幽人族というのはどうだ? 一度目の死を乗り越えたが故に、死する時は屍を残さず、幽鬼の如く消え失せるヒト。ククッ……我ながら悪くない名ではないか」
「っ……! 待ってくれ……貴女は何故……。私は最早、本当の私であるかすらもわからないというのに……!!」
「だったら今のお前は何だ? 斬れば死ぬはヒトの道理、飯を喰らい、考え、笑い、喋り、嘆く。出自を除けばヒトとさしたる差はあるまい? ならば、獣の特徴を持つヒトである獣人族然り、魔力に秀でた特徴を持つ魔人族然り、死すれば消える特徴を持つ者を幽人族と定義して然るべきだろう」
縋るような目でテミスを見上げ、言葉を詰まらせたイメルダに、テミスはまるで自らが当然のことを……雨が天から地面へ向けて降り注ぐのと同じく、至極当然なこの世の摂理でも説いているかのように事も無げに言葉を紡いだ。
そして、イメルダの答えを待たず、テミスは小さく肩を竦めながら立ち上げると、穏やかな笑みを不敵な笑みへと変えてフリーディアへと視線を送りながら言葉を付け加える。
「……尤も? 生きている者を複製するような真似は当然許容しかねるがな。なぁ? フリーディア」
「ふふ……そうね。もう二度と、自分自身と戦うのも、自分自身を手にかけるのも御免だわ」
「ほぉ……? 私は少し……興味がなくは無かったがな。自身の戦いを鏡映しで体験できるなど、まずもってあり得ん経験だ」
「んっ……ん~……それはちょぉっと難しいかも知れないですよ? テミスさまぁ。だってあのテミス様……泣きながら必死な顔で逃げ回っていてすっごぉ……く可愛かったですし……」
冗談交じりにテミスがフリーディアへと水を向けたのを皮切りに、緊張感の漂っていた空気は緩み、それに乗じたサキュドが悪戯っぽい笑みと共に進み出て軽口を叩く。
だがそれは、自らと同じ姿をした何者かを撃退したという報告しか受けていなかったテミスにとって、考えすらしなかった情報で。
「なにぃ……? 待てサキュド。と……いうことはだ。つまりお前は、逃げ回る私を追い回した挙句、尋問した上で殺めたという事か?」
「あッ……!!! いえッ!! 止めを刺してしまったのはホントに不可抗力なんですッ!! まさか刃を突き付けられているのに暴れ出すなんて……。あぁ、でもあの時のテミス様の表情もゾクゾクしたといいますか……」
「っ~~~~!!! サキュド……お前の本心はよぉ……くわかった。そこへ直れッ! 今日こそお前のその歪み切った性根を叩き直してくれるわッ!!!」
「わわっ!! 待って下さいよテミス様ッ!! お手合わせ頂けるのはとぉっても嬉しいですが今はッ……!!」
「やかましい! 問答無用だッ!! 私の仇だッ!! せめて一発殴らせろ!」
「ちょっとテミス! 後にしなさい!! 今は戦いの後処理が先でしょうッ!!」
「……やれやれ」
テミスはイメルダの傍らに突き立っていた大剣をゆっくりとした動作で引き抜くと、弁解の言葉を重ねながら空中で体をくねらせるサキュドへゆらりと身体を向ける。
そしてそのまま大剣を振り上げ、テミスは叫びを上げながらサキュドへと斬りかかっていく。
対するサキュドは、頬を紅潮させてまんざらでもない表情浮かべて即座に紅槍を顕現させ、剣戟の音を響かせてテミスの剣を受け止めた。
「…………。えぇ……と……」
「っ……!! イメルダッ! この馬鹿ッ!! とんでもない事を言い出してッ!!」
「見ているこっちの身にもなるッ!! 心配したッ!! すっごく……!!」
そんな、つい先ほどまで本気の戦闘が行われていたなどとは思えない程に、明るく緩んだ雰囲気の傍ら。
剣戟に興じ始めた二人を止めるべく響くフリーディアの怒声を聞きながら、さり気なく残った三人へと視線を向けるヴァイセの前で、目に涙を浮かべたヴァルナとロノが、困惑した表情を浮かべたイメルダの元へと飛び込んでいったのだった。




