1447話 専門外の荒療治
この顔を、私はよく知っている。
どろりと濁り、生気を失った目。瞳は緩慢に緩み、そこに宿っていた力強い光はもう無い。
在るのはただ、掛け値なしの絶望。
今の彼女は、生きる意味を見失い、生きる意義を喪失くした生ける屍だ。
ああ、よく知っている。知っているとも。
かつて最期を迎えた日の『俺』も、きっと同じような顔貌をしていたのだろうから。
「待ってッ!! テミス!! 早合点はいけないわ! 今はただッ!! その……そうっ! 彼女は混乱しているだけなのよ!」
まるで死を請うたイメルダに応えるかの如く大剣を振り上げたテミスに、様子を見守っていたフリーディアが鋭い声で口を挟んだ。
その声に視線を向けてみれば、流石に自制しているのか、間に割って入ってきてこそはいないものの、その手は既に腰に収めて剣に番えられており、このまま黙って見ているつもりが無い事は明白だった。
だが、当のイメルダは高々と振り上げられた大剣を、まるで他人事であるかのように、弛緩した瞳でぼぅっと見上げているだけで。
内心を察して余りあるテミスは、イメルダの目を覚ましてやるには、相当な荒療治が必要となる事は容易に理解できた。
しかし、それもフリーディアに邪魔をされては全てが台無しになってしまう。
故に……。
「フリーディア。命令だ。黙ってそこを動くな。何があってもだ。この命に反してみろ……私はお前を一生許さない」
「っ……!!!」
テミスは夜空を衝くが如く、高々と大剣を振り上げたままフリーディアを睨み付けると、押し殺したような声でフリーディアに命じる。
瞬間。
フリーディアはピクリと肩を跳ねさせて息を呑み、何処か驚いたような表情を浮かべるが、彼女から言葉が返ってくる事は無かった。
でも……それで良い。
私のこの選択が正しいとは限らない。ならば、私とは何もかも正反対のアイツが、こう言っても尚私を止めるのなら、それはきっと間違っているのだろう。
「…………」
「…………」
「っ……!」
「ぁっ……!!」
努めて冷ややかな目で、テミスはイメルダを見下ろした後、振り上げていた大剣を彼女の首目がけて振り下ろした。
だが、それと同時に深く一歩を踏み込み、地面に座り込んだイメルダの顔を覗き込むほど深く膝を折る。
すると、鈍い音を響かせながら空を切った大剣は弧を描いた後、どずりと音を立てて切っ先を地面へと埋めて止まる。
「……。ぇ……?」
「…………」
僅かな沈黙の後。
穏やかに瞑られていたイメルダの目がゆっくりと開き、その視線が首筋を薄皮一枚裂いて止まっている漆黒の刃へと向けられた。
「どう……して……?」
「刃を振り下ろす瞬間……。ふと、一つだけ疑問が浮かんでな。どうせ死ぬのならば、介錯の駄賃に答えて貰おうかと思ったんだ」
「はは……こんな私に……今更何を……」
イメルダの口からポツリと疑問が零れ落ちるのを聞くと、首筋に当てた刃を握り締めたまま、テミスはイメルダの顔を覗き込んで淡々と問いを発する。
だが、答えの代わりに返って来たのは自嘲の言葉と弱々しい笑みで。
それでも、テミスは気に留める事無く鼻を鳴らして、変わらぬ冷たい口調で問いを続けた。
「先程、お前は自分の命と記憶を偽物だと言った。それがどうにも理解できなくてな」
「……揶揄っているのか? それとも、弄んでいるつもりか?」
「いいや、純粋な興味だ。察するに、お前が偽りだと称したのは自らが死した後……つまり、クルヤの奴に蘇生されてからだと思うのだが?」
「それ以外に何がある。……問わずとも解っているじゃないか」
「解らんよ」
テミスの問いに、イメルダはまるで嘲笑するかのような口調で言葉を返すと、唇を皮肉気に歪めてテミスの顔を見上げた。
しかし、テミスはただ感情の籠らない紅い瞳でイメルダを見返した後、背筋を伸ばしてただ一言答えを返す。
わかる訳が無い。わかるはずも無い。
一度、死した後に得た命が、記憶が全て偽りだというのならば。
私が今、こうして生きている事も、共に肩を並べる仲間達との輝かしい記憶も全て、偽りだという事になる。
そんな筈があるものか。
たとえ、この身があの忌々しい女神モドキに創られたものであったとしても、この新たな生が自らの力で得たもので無かったとしても。
私が今ここに生きているという事は、私が命を懸して選んだ選択は……決して偽物なんかではなくまごう事無き私自身のものだ。
「よぉく思い返して答えろ。本当に。お前がクルヤに蘇生されてから選んだ道は、胸を焦がした想いは偽物なのか? それとも、人間ではないから? ハハッ……! 下らん些事だ。この町を見てみろ、人間だけではなく、魔人族獣人族、果てには良く解らない連中だって紛れ込んでいるではないか。お前は今、確かに感じ、考え、生きている。その事実に変わりは無いと思うが?」
「っ……!!!!」
「さて……最後の問いだ」
大きく息を吸い込んだ後、テミスはまるで演説でもするかのように声に抑揚をつけ、芝居がかった口調と身振り手振りでイメルダに告げてから、言葉を切ってピンと背筋を伸ばす。
視界の端では、剣に番えていた手を離したフリーディアが固く手を握り締め、身を寄せ合ったロノとヴァルナが酷く不安そうな目でこちらを見つめている。
やれやれ、参ったな。この手のカウンセリングは専門外なんだ。
そう胸の中でぼやいた後、テミスは小さく肩を竦めて足元で目を見開いているイメルダを見下ろした。
そして……。
「お前に死を望ませる程の絶望とは何だ? 私が納得する答えを出せたのなら、このまま刃を蹴り飛ばし、この私が手ずからその命を刈り取ってやろう」
テミスは不敵な笑みを浮かべると、地面に切っ先を突き立て、刃の傍らにイメルダの首を添えた大剣の鍔に、蹴るようにして片足を乗せると、悠然とそう言い放ったのだった。




