1441話 或る冒険者の英雄譚
「きっかけは、ただの気紛れで受けた迷い子探しの依頼だった。当時、俺はロノと二人でパーティーを組んでいたが、ランクはB。家に帰らない子供を探してくるなんていう下級のクエストは、受ける必要なんざ無かったんだ」
フリーディアを見据えたクルヤは剣を下して静かに前へと進み出ると、淡々とした口調で語り始める。
あろうことか、守られるべき指揮役が盾役の前へと出る暴挙。その大きすぎる隙はテミスにとって、敵であるクルヤを斬って捨てるには絶好の機会だった。
だが、冷静さを幾ばくか取り戻したクルヤは、いまだに少しばかり言葉尻は荒々しいものの、剣を退く程度の理性は戻ってきているらしい。
それに、フリーディアの頭を緩いと罵ったクルヤの話には、テミスも少しばかり興味が沸いていた。
「俺たち二人の飯代にも満たない微々たる報酬。でも、憔悴しきった顔で必死に冒険者共に頼み込んでいる母親の姿は見てられなくてな……。つい手を貸しちまった」
「それは……素晴らしい人助けだと思うわ。高ランクの冒険者が依頼を受けてくれたんですもの、そのお母さんはきっと安心したでしょうね」
「フッ……。ま……結果からすりゃ俺達が引き受けて大正解だった訳だ。なにせ、その子供が居たのは、アンタが今言った例のヒヒ爺……ゴルマンの野郎の屋敷だったんだからな」
「フム……」
「っ……!!! その言い方だと……迷子になった子を保護していた……訳では無いのよね……?」
昏い笑みを浮かべて言葉を続けたクルヤの話に、フリーディアは小さく息を呑んで掠れる声で問いを返す。
一方で、途中から話の結末になんとなく予測の付いていたテミスは密かに息を吐くと、口元に僅かな笑みを浮かべてクルヤへと視線を向けた。
つまるところ、クルヤがそのゴルマンだとかいう名の伯爵を殺して、攫われていた子供を救い出したという訳だ。その時、仕える主を失ったイメルダを拾い、仲間へと加えたのだろう。
殺してしまうには惜しい。
クルヤの話を聞いたテミスの脳裏には、いつの間にかそんな考えが居座っていた。
確かに私とクルヤが同じ道を歩む事は無いだろう。だが、酷く歪んでしまっているとはいえ、その心根には悪逆を許さぬ心が確かに存在している。
なればこそ。ファントではなく遠く離れた地へと送り出す事ができれば、この世に蔓延る悪逆の駆除にきっと役立つ事だろう。
……尤も、クルヤが今ここで語った事のみが真実であったのならば、だが。
そんな打算がテミスの脳裏を巡り、僅かに思考へと向けられていた意識が現実へと舞い戻った時だった。
「……そんなッ!!! 嘘よッ!!?」
鋭いフリーディアの悲鳴が空気を切り裂き、テミスは半ば反射的に姿勢を落として攻撃に備えた。
だが、テミスの警戒したような不意打ちが来る事は無く、声の方へと向けた視線の先では、皮肉気な笑みを浮かべたクルヤがフリーディアを見据えてゆっくりと口を開いていた。
「嘘じゃない。疑うのならイメルダに聞いてみると良い。ヴァルナもシェナも、奴の屋敷から救い出したんだ。奴の趣味部屋は、流石に反吐が出るかと思ったよ」
「っ……!! …………」
「……事実です。私はその事実を知っていましたが、相手は伯爵……逆らう事はできずに居ました。そしてあの日、救出のために屋敷へ突入してきたクルヤ達と戦って敗れ、運よく生き残った私は後処理の中でクルヤに手当てを施されて命を救われ、今に至るのです」
「っ……!! …………!!!!」
「もう一度言おうか。ゴルマンの野郎は、人間の子供やエルフみたいな他種族を攫っては集め、死ぬほど虐め抜いて玩具にしていたクソヤロウなんだよ!! あぁ……そういえば、襲撃犯を野放しにはできないんだったか? 今、アンタの目の前に居るぞ?」
明かされた真実に息を呑んで絶句するフリーディアに、クルヤはまるで追い打ちをかけるかの如く両手を広げると、高らかに自らが伯爵を殺した犯人だと名乗り出てみせる。
しかし、クルヤの語った過去の一件において、どちらが正しいかなど一目瞭然で。
これが一方からのみ語られた、視点の偏った話だとしても、低ランクの依頼だとしてもギルドを介している以上、事の顛末は調べれば記録として残っている筈だ。
つまるところ、過去の縁を頼りにイメルダを懐柔しようとしたフリーディアの策は完全に失敗したという事になる。
「……そういう訳だ。すまないが貴女の誘いに乗る訳にはいかない」
「そう……よね……。戻れるはずが……いいえ、戻りたいはずがないわよね……」
酷く申し訳なさそうな表情で、しかしきっぱりと答えを告げるイメルダに、フリーディアは項垂れながら呻くような声で言葉を返した。
目に見えて気落ちしているフリーディアが抜き放っていた剣の切っ先は、既に彼女の心境を表しているかのように地面へと落ち、戦意など霧散してしまっているようだった。
最早これ以上、戦いを続けられるような雰囲気ではなく、酷く気まずい沈黙が流れ始めた時。
パチパチパチ……。と。
軽快なリズムで刻まれた拍手が沈黙を切り裂くと、傍らに大剣を突き立てたテミスが手を叩きながら、不敵な笑みと共に口を開く。
「いや見事……素晴らしい英雄譚だった。私としては、諸手をあげて良くやったと賞賛したい程さ」
「…………」
「テミス殿……」
「……それで? 勧善懲悪を是とするお前達だ。私としては余計、狙われるような覚えは無いのだが? それに、戦う力の無い筈のお前が、どうやって屋敷に攻め入ったのかも気になるな?」
拍手と共に述べられたテミスの賞賛に、小さく息を吐いたイメルダが構えた盾を下ろしかけた刹那。
不気味な角度で首を傾げたテミスは、じろりとクルヤを睨み付けて静かな声で問いかけたのだった。




